異をとなえん |

「カウンターから日本が見える」感想

2009.01.07 Wed

17:01:05

伊藤洋一著「カウンターから日本が見える 板前文化論の冒険」を読む。
伊藤氏の作品
を継続して読んでいるわけではないのだが、
古本屋でちょうど見つけて買ってみた。
日本料理の店で見かける、料理人が客の目の前で調理して、
カウンターに直接料理を出していく形式のレストランが、
日本独自ではないかということで、その歴史やなぜ日本にしかないのかを、
考察していく。

読んで見た限りでは、
とってもおもしろい素材なのだが、料理しきれていない感じがする。
物凄く魅力的な謎を提示しているのだが、答えはあっけない。

日本にしかない独自な理由が、どうも納得しきれないのだ。
日本で最初に生まれる理由はわかる。
しかし、それが世界に普及しない理由がよくわからない。
たとえば、階級社会でない日本では、
誰もが平等な関係でカウンターに集まることができるとする。
しかし、日本以外では階級意識が邪魔をしてカウンターに集まれない。
そこで海外にはないという話だ。
しかし、階級意識が邪魔をするという話なら、
酒を飲む場合でもカウンターは成立しないのではないだろうか。
つまり、店がある程度客を絞ってしまえば問題はない。

私の読んだ限りの思いつきでは、単純に競争の激しさが原因ではないだろうか。
東京は世界一のグルメ都市だから、多様性を持ったレストランが共存している。
日本文化などと関係なくなる。

私はカウンターのある日本料理屋などに、入ったことがないのでうらやましく、
食べてみたい気持ちになった。
料理人と客との真剣勝負とかいうと、豪華なエンターテインメントに思える。
本を読んでの一番の収穫だ。

目次は以下の通り。

板をはさんだ日本的空間

第一章 それは色街でスタートした
フリーのスター板前がいた
大阪新町郭の活気と色気
高級な即席御料理という驚き
お座敷へのアンチテーゼ「浜作」

第二章 震災後の発展する東京へ
本当は、競馬がしたかった?
白州、谷崎から、チャップリン、モンローまで
流通革命の最中に
「カウンター」は「かぶりつき」

第三章 関西による「関東征服」
「関東割烹」はあるのか?
東京には美味いものがなかった
権威が幅をきかす江戸・東京の料理とは
上座下座がないから生まれる関係

第四章 日本にしかないのはなぜか
飲むのではなく、食べるためのカウンター
日本で生まれた五つの理由
職人がスターになれる国
絶対的料理、相対的料理

第五章 カウンター その抗しがたい魅力
客の顔が見たい、客を見送りたい
ロプションの選択と夢を世界に拡がるか
知的バトルが板につく空間
そこは大人だけの成熟した世界

第六章 日本の力の源泉が見える
フラットな形式が示唆するもの
オープンとトレーサビリティ
職人が場の中心
日本の文化が凝縮された場所

あとがき

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