異をとなえん |

中国でインフレが起こらなかった理由(中国経済の転換点-その1)

2007.09.03 Mon

00:24:20

「中国がうまくいくはずがない30の理由」という本は、私にとって中国経済の理解に最も役立った本である。この本の中で最も印象的だった部分が、論点8「高度成長期にインフレに悩まされた日本に対して、中国は急成長しているのに物価は安定しています。これは中国の経済運営がすぐれているからでしょうか?」の部分であった。回答では固定相場制の元では生産性が向上すれば物価は上昇するとし、そうなっていない中国は生産性があまり上昇していない事を示唆していた。あるいは、中国では価格体系が非常に歪なので、経済学の理屈が通用しないのではと終わっている。

私にとってもこれは大いなる疑問であって、この理由をいろいろ考えてきた。そもそも、中国は統計自体がいい加減な事もあるので実は物価は上昇している可能性とかも考えた。しかし、物価の上昇は外国人にも感じ取りやすく、胡麻化すのは難しい。日本みたいなデフレ状況とは違い、生産性が急テンポに上昇している中でのインフレのはずだから、かなりはっきりした物価の上昇があるはずである。生産性の向上がそんなに高くないという意見に対しても、中国に工場等が大量に作られているのは事実なのだから、あれで生産性が向上していないというのは納得できない。どうも、腑に落ちない状況が続いてきた。

近頃ようやく、自分でも納得できる回答が出てきた。

そもそも固定相場制の下では生産性が向上すれば物価上昇するのはなぜであろうか。上記の本では次のように説明している。

「日本の為替レートが当初1ドル=360円で均衡している状況を考えます。この状態は、日本人から見れば、360円で1ドル分の貿易財が購入できるということです。ここで、アメリカの生産性が一定のまま、日本の貿易財の生産性が3倍になったとしましょう。すると両国の非貿易財も含めた財・サービス全般の物価水準が一定ならば、貿易財の交換比率は120円=1ドルとなるはずです。したがって、変動相場制の下では、1ドル=120円の水準に落ち着くでしょう。

しかし、生産性の差を調整する方法はもう一つあります。もし、アメリカの物価水準は一定なのに、日本の物価水準が3倍になったら、為替レートはどうなるでしょう。現在の360円は国内では当初の120円分の価値しかありません。物価水準が両国で一定ならば、当初の価値で1ドル=120円が新しい均衡為替レートでした。では、日本だけ物価水準が3倍になったら。その場合、1ドル=当初の120円=現在の360円が均衡為替レートとなります。つまり、当初と同じ1ドル=360円が現在の均衡為替レートです。つまり、1ドル=360円の固定相場であったも、両国の生産性上昇の差は物価上昇率の差で調整することができるのです。」


この説明は直観的には納得できるのだが、実際にどういうメカニズムで物価が上昇するか説明していない。そこで、私が考えた物価上昇のシステムは次のようなものである。

貿易財の生産部門で生産性が上昇しているという事は、国際競争に勝てることになり、より生産を増やしたい強力な動機が働いていることになる。生産を増やすためには、労働者をより多く雇っていかなくてはならない。完全雇用状態にあれば、より多くの労働者を雇おうとする事は賃金を上昇させる事になる。賃金の上昇が生産性の向上よりも低い限り、そして、その貿易財の生産が世界市場において飽和しなければ、労働者の雇用は拡大し続ける。賃金の上昇は、非貿易財を含めた全てのコストを上昇させ、結果として物価が上昇することになる。

このように考えると中国の物価が上昇しない原因は明かだと思われる。つまり、完全雇用状態にない場合、労働者の雇用が増え、生産性が上昇していたとしても、賃金は上昇しない。中国では毎年新規に生まれる労働者が大量にいる事、農村部に実質的に失業状態の人間が大量に存在する事によって、供給が需要を上回っている。結果、賃金が全然上昇しない。一部、巨万の富を手中にしている人間がいるが、あれは労働者としてではなく、経営者としての立場の人間だからあまり関係はない。賃金が上昇しないのだから、生産性が向上していない部門は今まで通りの作業を続け、物価は変わらないままとなる。

以上が、私の考えた中国でインフレが起こらなかった理由である。しかし、この状況は最近変わってきた。中国でもインフレが発生したようである。その意味について次に分析したい。
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英文は読みづらい

2007.09.01 Sat

23:40:50

大幅に休んでしまったが、ようやく調子が戻ってきたようである。今日から再開したい。

英文を読んでいると、実に読みづらくていやになる。もちろん、日本語の文章に比べてだ。

ネイティブでないから英語に慣れていない。それが原因だと思っていたのだが、近頃違うような気がしてきた。英語圏ではアニメとマンガでは、アニメの方が人気がある。これは文字を読むという行為が、英語圏の人間の中でも難しい事を表していないだろうか。アメリカでは実は識字率も低いという話を聞く。どうも、英語の文章は日本語の文章に比べて読みにくいのではないだろうか。

日本語の文章は漢字かな交じりで、全体的な見通しが聞く。漢字が文の中での重要な部分を表していて、それが浮き上がって見えるからだ。自分がどこらへんを歩いているのかがわかりやすくて安心できる。それに対して、英語の文章は全然見通しが聞かない。一単語一単語を追っていくのがやっとである。英語に慣れると、もう少し把握しやすくなると思っていたのだが、なかなかうまくいかない。漢字が浮き上がって見える日本語の文章の方が優れているような気がしてきた。

昔、文章の書き方の本の中に、段落の第一の文はその段落のまとめになっているように書けというのがあった。そして、英語の文章は必ずそうなっているのに、日本人の書いた文章はその基本ができていないと。英語の文章を読むようになって思ったのは、そうでなくてはやってられないということである。早く読もうとしたら、段落の最初の文章しか目を通すゆとりがない。読み手がそうなのだから、書き手の方もそれを意識して書くようになるのも当然である。つまり、日本語の文章は段落の頭にまとめがあることを実践していなくても、それなりに読みやすい。

まあ、いろいろ文句を言ったが、英文に慣れていないからというのも事実ではある。日本語の文章のように大事な所は漢字になっているから大事な部分が簡単にわかるのに比べて、英語の文章はどの単語を把握していけばいいかよく理解できていない。語彙の不足による単語の重要性の理解が足りないのだ。たぶん、読んだ瞬間理解しなければならない、最重要な単語の意味を文章の流れから理解しようとしている所に問題がある。語彙がもう少し増えれば違ってくるとは思うのだがなかなか厳しい。ただ、アメリカには移民が多く母語ではない市民が多い事も考えれば、私のように英語の文章に弱い人も多いだろう。その事を考えると、普通の人にとっては、やはり英語の方が相対的に読みづらい言語のような気がする。

漢字とかなという見た瞬間にその差異を判断できる文字で文において重要な部分が分かれている日本語に比べて、英語は重要性の判断においてどうしても少し遅れる。英語と日本語を比べた文章の理解力の判定の実験でも、そんな結果が出ているというのをネットで見た気がする。しかし、信頼のおける実験というか、ソースを見た事がない。また、結局ネイティブの言語が一番理解しやすいという結果になりがちだと思うのだが、そこらへんをどう回避しているのかが、わからない。英文を読んでいるとそんな事を、思うともなく考えてしまう。

ちなみに、読んでいた英文は第1回モーニング国際新人漫画賞の結果コメントだ。日本語の文章があったのに、先に英語の文章で読んで泣きである。
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