異をとなえん |

「明治維新を考える」立ち見感想

2009.01.09 Fri

22:18:40

「明治維新を考える」をざっと立ち見した。
雑誌なんかへの幾つかの論文をまとめたようで、全体としての関連は弱い。

後書きによると、大学の改革かなんかで、日本の歴史をやってきたのが、
他のアジア史の研究者と一緒になったとかいう話がでてくる。
その交流の中から比較史の観点が出てきたらしい。

明治維新は大規模な社会変動にも関わらず、死者が少ない。
また、日本の武士は特権を奪われるのに、たいして抵抗をしなかった。
条約を結んだだけで、社会が内乱状態になる。
これら明治維新の不思議をテーマとして掲げて、
答えやいかにと魅きつけられるのだが、
なんかよくわからない。
複雑系とか持ち出す必要があるのだろうか。
なんか羊頭狗肉な感じで、ちょっと惜しい気がする。

ただ、面白かったのはアメリカ人の歴史家ジャンセンの話で
著書の「坂本竜馬と明治維新」の紹介がいい。
勝者でもなく、敗者でもない観点から、明治維新を描いているということだ。
読んでみたいと思ったので、
これを忘れないために記事に書いている。

全然関係ない話だが、
最近ネットで私が面白いとおもった本の文庫版で、
本の中の謎についての解説があるという記事を読んだ。
謎の構造というか、そういうのに興味があったので、
文庫本を探そうと思ったら
書店で元々の本の題名をすっかり忘れていた。
記憶力がなくなっている。
だから、とにかく面白いと思ったことは、
できるだけブログに書いておこうと考えている。
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「コメを選んだ日本の歴史」感想

2008.11.28 Fri

17:08:44

原田信男著「コメを選んだ日本の歴史」を読む。
日本人の主食とするコメの観点から、日本の通史を描いている。

コメ関係の著作がたくさんあるみたいで、
通史にすることによって、新しい問題が見えてくるのではないかと、
作者は書いている。
確かに何かを感じられるような気もするが、
はっきりしたことは、わからない。
そういう意味で、
新書にしては参考文献が山ほどもある苦労した作品だとは思うが、
全体としてはまとまりがない。
むしろ部分部分に興味深い記述が多く見られた。

その一つはコメの重要性だ。
蝦夷と呼ばれた北海道と沖縄の二つの地域は、
明治維新まで日本の完全な支配権になかった。
日本の成立初期、米がまだできなかった東北や日向の地域も、
日本ではなかった。
理由は難しいだろうけど、
結果的に米を生産していなかった地域が日本ではなかったことは、
日本の本質が米と結びついていることを示唆している。
天皇の祭祀が稲作の豊穣を祈る儀式であることも、
そのことをうかがわせる。

また、米を主食とした他の地域では豚の飼育が行なわれた。
しかし日本では肉食は段々とすたれていった。
なぜなのか、穢れ思想からと作者は説明しているけれど、
私にはどうも納得し難い。
もっと、はっきりした理由がありそうな気がする。

そんなこんなを合わせて、今となっては、コメは食物の一種でしかないけれど、
日本人が日本人であるために、日本が日本であるために、
コメを大事にしなくてはいけないと思わせる本だった。

目次は以下の通り。

序章 コメの力と起源
第一章 日本列島へ 縄文と弥生のコメ
第二章 社会システムを変える 弥生の戦争とクニ
第三章 統一国家を築く 古墳から古代国家へ
第四章 社会の主役へ 中世の社会とコメ志向
第五章 経済の根本を担う 石高制社会の成立と性格
第六章 西洋的近代化のなかで 国家と食生活の基礎
第七章 政治と文化の狭間で コメ政策と食文化の変
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「日本に古代はあったのか」感想

2008.10.05 Sun

03:10:26

井上章一著「日本に古代はあったのか」をざっと読んだ。
日本に古代はなくて、中世から始まっているのではないかという本。
そんな書評を読み、期待してめくったのだが、本当にそれだけしかなかった。

つまり、時代区分をどう捉えるかというのは、
その人の社会・歴史のモデルの認識によるものであり、
時代区分の変更には違ったモデルを使うか、新事実の発見によるしかない。
しかし、井上氏はそもそもモデルの認識がない。
マルクス主義の歴史学は否定しているが、それに変わる物がない。
古代と中世の違いをはっきりと自分の中で決めていないのに、
適当に動かしても意味がないだろう。
そんな事を最初の方だけ読んで思った。

もしかしたら、後の方にきちんと書いてあるかもしれないが、
ぱっと見たかぎりでなさそうだった。
私はなんらかの新しいモデルが提示されるのではないかと期待していたので、
読む気がなくなった。

むしろ、下記の書評の方が深い。

『日本に古代はあったのか』:「東大系の歴史」と「京大系の歴史」


古代的な統一文明、中世的な社会の分裂、近世的な統一、というのが一つの評価基準になると考えればいいかもしれない。つまり問題は、律令制から王朝国家にかけての時代、つまり飛鳥時代から平安中期までの国家的統一をどの程度評価するかという問題だろう。これを一時的な現象(たとえば中国における晋、ヨーロッパにおけるカール大帝の統一)と見ればこの時代を中世と見ることが可能だし、これを本質的な古代文明と見れば古代と評価するしかない。


井上氏には上記の認識がないように見える。

私自身の歴史のモデルについては、そのうち書くつもりだ。
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「江戸が東京になった日」感想

2008.10.03 Fri

20:44:17

佐々木克(ささきまさる)著「江戸が東京になった日 明治二年の東京遷都」を読む。

目次は以下の通り。

はじめに 「東京遷都」の不思議
第1章江戸か京か―幕末の首都はどこか
1 花の田舎・洛中の風景
2 政治の都・京都へ
3 京都と江戸の幕府
4 王政復古の首都
第2章構想のなかの帝都
1 幕府側の新首都構想
2 大久保利通の大坂遷都論
3 江戸への遷都論
4 東西両都論
第3章天皇と新時代の演出
1 江戸を東京に
2 東京への行幸
3 東の京の天皇
4 京都還幸
第4章帝都東京の誕生
1 東京への再幸
2 三月二八日、遷都
3 帝都東京の出発
4 京都の再生
おわりに 首都・東京へ

読む前は、都市計画よりの本かと思っていたが、政治史の本だった。
幕末・維新の時代の政治を首都の移動と言う面から語っている。

まず、幕末京都が政治の都と化して、
江戸から首都の座を奪っていた事実に目を開かされる。
将軍・大名は江戸から離れて京都に常駐し、武装した家臣を引き連れ政治交渉を行なう。
江戸に変わって京都に大量の侍が流れ込み、西洋からの脅威に対応するための議論をする。
国の根本に関わる議論という事で熱くなり、天誅というテロ活動も盛んになった。
なんというか、想像するだに凄まじい感じだ。
みんな、ぴりぴりしてケンカ腰なのだろう。
この時代を描いた小説・テレビドラマなどを、たくさん見ているにも関わらず、
こういうイメージがはっきりしていなかった。
幕末を江戸と西国諸藩の争いと考え、京都を最前線と考えていたからだ。
そうではなく、京都にこそ権力の中心があった。
新鮮な見方だった。

そして、肝心の東京遷都になる。
京都から東京への遷都が、場所自体の移動より、
旧体制の改革を目指したものだという指摘は、
この時代のまだ定まっていない感じをうかがわせる。
大久保の大阪への遷都論もあり、東京に遷都するかどうかもはっきりしない。
後から歴史を見ると、なんか定まった軌道を真っ直ぐ進んでいるように見えても、
当時の人々は一寸先も見えない闇の中を、目を凝らして未来を模索している。
明治維新というのは本当に激動の時代で、大革新が続けざまに起こっていく。
細い修正が繰り返され、はっきりしない。
いつ落着くのかがわからない中、段々と世が定まっていく。
なんというか、そんな事を思い起こさせた。

最後にちょっと気にいった部分を引用しておく。


このようにいく度か官公舎建設の計画がありながら、そのつど何らかの支障が生じたため実現にいたらなかったように、それなりの理由があった。
(中略)
端的にいえば、何が何でも造るという、そうした姿勢や欲望がつたわってこないのである。おそらくそれは、明治天皇をはじめ、三条実美や岩倉具視そして大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、大隈重信ら政府首脳の性格によるものではなかろうか。彼らに共通する性格は、広壮・豪華な邸宅を建てたり身を飾ったりすることに、淡白で禁欲的なことである。
(P180)


個人的には、こういう性格の指導者は好きだったりする。
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日本の国名は一度も変わってない

2008.08.28 Thu

18:23:26

歴史学者網野氏の主張だと思うが、
わが国が「日本」という国号を付けたのは「天皇」という称号を決めた時と同じで、
それ以前は「日本」ではないから、
それ以前の人を日本人と呼ぶなと言うようなものがある。
制度は変わっても、支配者は変わっていないし、人々も同じなのだから、
言い方の区別にどういう意味があるのか、私はいつも疑問に思っている。
この記事を書くために、網野氏の書いた物を再度読んだのだが、
なぜ区別したがるのか、やはりよくわからない。
区別したがる理由は別にして、今回書くのは、本当に国号が変わったのか、
いや変わっていないのではという話である。

戦後、日本の国号をローマ字表記する際には、
「JAPAN」から「NIPPON」に変更したという話を読んだ事がある。
今回書くにあたって本当かどうか確認したかったのだが、できなかった。
正式決定かどうかは別として、変更の意味は「JAPAN」というのは英語だから、
別の言語の場合でも使うのはおかしい。
どの言語でも使えるように、日本の発音のローマ字表記を使うという意味だろう。
この場合、「JAPAN」から「NIPPON」に国号を変更したと考える人がいるだろうか。
外国語での表記上の単なる変更に過ぎないと考える人がほとんどではないか。
「倭」から「日本」への変更も私にはほとんど同じと思える。

「倭」から「日本」の変化は中国語での表記の変更に過ぎない。
たぶん、当時の外交担当者には「倭」というのは格好がいい言葉に思えなかったのだろう。
その結果、702年に中国側に交渉して名称の変更を認めてもらった訳である。

では、当時の日本人は自分たちの国の名前をどう考えていたのか。
当たり前だが、発音としての「ヤマト」である。
当時の日本は無文字社会で、漢文は導入されつつあったが、
中国語の表記であって、日本語を表記する物という考え方はまだなかっただろう。

英語のJAPAN表記をNIPPON表記に変更する事が
多くの日本国民にとって大きな意味を持たないように、
中国語表記での「倭」という国名を「日本」という国名に変えた事も
大きな意味を持たなかった。
日本書紀に国号の変更の記載がないのは、
外国語表記の変更だけだから、重要と思えなかったのだ。
当時の日本人にとって国名は音としての「ヤマト」が、そのまま続いていった。

「ヤマト」の古事記での表記が「倭」であり、
日本書紀では「日本」であるのは翻訳の違いだ。
古い時代の資料中心に編纂したと思われる古事記は、
「ヤマト」を「倭」と訳した資料をそのまま使い、
日本書紀は最新の表記法である「日本」に統一した。

時が流れ、万葉仮名が生み出され、日本語を文字表記する事ができるようになった。
漢字は中国語を表記する文字というだけではなく、
日本語を表記する文字として認識された。

そして、音読み、訓読みが生まれた。

この変化はゆっくりと、音でも訓でも読むことができる漢字は、
表記自体が言葉の実体であって発音は言葉の本質ではないという認識をもたらした。

「日本」も訓読みとしての「ヤマト」から、音読み風に「ニッポン」と読むようになり、
さらにそれが変化して「ニホン」と読むようになった。
だからと言って「日本」の国号が変化した訳ではない。
「日本」は「ニッポン」と読もうが、「ニホン」と読もうが、
そして「ヤマト」と読もうが自由なのである。
正確な国号は表記としての「日本」なのだから発音にこだわる必要はない。

無文字社会だった日本は、言葉の本質をその発音だと捉えていた。
それが、漢字を導入し、ひらがなが生まれ、
いつしか言葉の本質をその文字と捉えるようになった。
漢字の事を真名というように、漢字としてである。
発音される「ヤマト」という音より、表記される「日本」という文字の方を、
真のその言葉の本質として認識するようになったのだ。

まとめると、日本の国号の変化に見えるものは変更ではない。
「倭」から「日本」の変化は単なる外国語表記の変更に過ぎず、
発音の「ヤマト」から「ニッポン」への変化は、
国号の「日本」をどう読むかだけの問題にしか過ぎない。
実際、現在だって「ニッポン」と読むか「ニホン」と読むか議論されているが、
重要な問題だとは誰も思わない。
真の国号の変化は発音としての「ヤマト」から文字としての「日本」の変更にある。
この変化は、言葉の本質・実体をどう捉えるかという話であり、
日本人全体が時間をかけて、ゆっくり変化していったものだ。
しかも、意識の変化だから、具体的に何かが変化したわけではない。
発音の変化は意識の変化が完了したから表れるだけだ。
大変化すぎて捉えようがないのだ。

結局、「日本」の国号は一度も変更されていない。

「日本」の国号がないころの人々を日本人と書きたくない人には、
そう書いて「ヤマトビト」と読むんだと言っておけ。
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tennou.rbプログラム - 日本人は天皇の子孫か?(その5)

2008.07.14 Mon

14:46:42

日本人は天皇の子孫か?
で使ったrubyのプログラムを公開する。
ただし、表示方法とかは、わかりやすいように少し修正したので、
厳密には違っているが、基本的には同じである。

htmlになっているので、フォーマットがぐちゃぐちゃだが、動作することは確認した。

--------------------------------------------------------------------------------
#!/usr/bin/ruby

=begin
プログラムの使用法

プログラムの最後の部分を修正して使用する

inc = IncreasePopuration.new([[0.01, 2.0],
[0.2, 1.095],
[0.4, 1.075],
[0.6, 1.055],
[0.8, 1.035]],
1.055)

パラーメーターの意味は最初が、人口の割合ごとの人口の増加率の配列である。
次が、全体人口の増加率になる。

inc.calcurate(1, 1400000.0, 280, 1990)
パラメーターの意味は順番に初期対象人口, 初期男性人口, 開始年, 終了年である。

=end

=begin
日本の奈良時代(七百年)の人口は六百万人。
現在(千九百九十年)、一億二千万人。

三十年を一世代とすると、四十三世代で二十倍になっている。
平均寿命が二倍になっているとすると、実質十倍である。

四十三世代で十倍になるということは、一世代あたりの増加率は下記になる。

(x)を43乗すると10になる。

irb(main):066:0> 1.05501 ** 43
=> 10.0007546876559
irb(main):067:0> 1.055005 ** 43
=> 9.99871684130698

男一人が、一世代で約1.055人の男を作ればよい。

社会階層別に上層ほど家を存続させる意識が強いと仮定して、増加率を大体

最上層20%は、1.075
その下20%は、1.065
中間層20%は、1.055
その下20%は、1.045

と仮定する。

最下層20%は、帳尻合わせのために後で決定する。

さらに最上位層1%は特に2と仮定する。これは平均4人の子供を作る必要があるため女性には厳しい。だから、男性になっている。

上記の想定のもとに最終的な増加率が、1.055になるように下記の式を満たす最下層の増加率を決定する。
(0.01 * 2) + (0.2 * 1.075) + (0.2 * 1.065) + (0.2 * 1.055) + (0.2 * 1.045) + (0.19 * x)
= 1.055

xは0.96ぐらいになる。

上位層の子供は常に上位層から占めていき、単純に押し流されていくと仮定す
ると、最上位層の1%が100%占めるまでに何世代かかるかを計算してみる。
=end

class IncreasePopuration

def initialize(rate_array, ave_rate)
@rate_array = rate_array
@ave_rate = ave_rate

current_population_percent = 0
total = 0

@rate_array.each_index do |i|
total += (rate_array[i][0] - current_population_percent) * rate_array[i][1]
current_population_percent = @rate_array[i][0]
end
@lowest_class_increase_rate = (@ave_rate - total) / ( 1 - current_population_percent)

# パラメーター表示
start_rate = 0
@rate_array.each_index do |i|
printf("%2.4f 〜 %2.4f 人口増加率 = %2.4fn", start_rate, rate_array[i][0], rate_array[i][1])
start_rate = rate_array[i][0]
end
printf("%2.4f 〜 %2.4f 人口増加率 = %2.4fn", start_rate, 1.0, @lowest_class_increase_rate)
printf("n")

@w_array = []
@w_array.push([0, @rate_array[0][1]])
@rate_array.each_index do |i|
case i
when @rate_array.length - 1
@w_array.push([@rate_array[i][0], @lowest_class_increase_rate])
else
@w_array.push([@rate_array[i][0], @rate_array[i + 1][1]])
end
end
end

def increase(target_people, all_people)
x = target_people / all_people
y = 0

@w_array.reverse.each do |item|
if x > item[0]
y += all_people * (x - item[0]) * item[1]
x = item[0]
end
end
[y, all_people * @ave_rate]

end

def calcurate(target_people, all_people, start_year, end_year)
x, y = target_people, all_people
printf("%5s %11s %11s %7sn", "西暦", "対象人口", "男性人口", "割合")
start_year.step(end_year, 30) do |year|
# printf("year = %4d, target_people = %10d, all_people = %10d, rate = % 6.2fn", year, x, y, 100 * x / y)
printf("%4d| %10d| %10d| % 6.2fn", year, x, y, 100 * x / y)
x,y = increase(x, y)
end
end

end

# Korea Yannpann
# もっとも近いと思われる推定値
#inc = IncreasePopuration.new([[0.1, 2.0], [0.2, 1.5], [0.8, 1.066]], 1.066)
#inc.calcurate(240, 2000000.0, 1400, 1910)

# もっと妥当?
#inc = IncreasePopuration.new([[0.1, 2.0], [0.2, 1.5], [0.9, 0.9]], 1.066)
#inc.calcurate(500, 2000000.0, 1400, 1910)

# bug case
#inc = IncreasePopuration.new([[0.1, 2.0], [0.2, 2.0], [0.4, 1.5], [0.6, 1.0], [0.8, 1.035]], 1.055)
#inc.calcurate(240, 3000000.0, 1400, 1900)

# 神武天皇
inc = IncreasePopuration.new([[0.01, 2.0],
[0.2, 1.095],
[0.4, 1.075],
[0.6, 1.055],
[0.8, 1.035]],
1.055)
inc.calcurate(1, 1400000.0, 280, 1990)
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藤原氏のこと - 日本人は天皇の子孫か?(その3)

2008.07.13 Sun

01:27:30

日本人は天皇の子孫か?
を読んで、疑問に思った人がいるのではないか。
佐藤、加藤、伊藤などの大姓は、基本的に藤原氏の子孫だから、
天皇直系男子の子孫ではない。
でも、それらの大姓が含まれていないのに、
天皇直系男子が70%なんて割合になることがあるのかと。

藤原氏の元は中臣氏といい、鎌足の時に藤原の姓を貰い、
その息子不比等の子孫だけが代々引き継いでいる。
物部や大伴と言った、天皇の臣下だった一族が衰退していった後も、
藤原氏は天皇と縁戚になる事によって、平安時代を通じて権力の中枢にいた。
私が描いたモデルの中での上位1%にずっと入っていたことになる。

モデルでは、上位の方から常に天皇直系男子の子孫が占めていくから、
初期に藤原氏のような例外があると大幅に狂っていくことになる。
ただ、上位階層での例外は藤原氏だけで、
他はほとんど天皇の直系男子の子孫が占めたようである。
つまり、一番上に天皇がいて、
その子孫が基本的に上位を占めていく構造は変わってはいない。
この構造が成り立つのは、
一番上位を常に天皇または天皇直系の男子が占めているからである。
他の国みたいに途中で征服されたりすると、そこからは大幅に変わってしまう。
これは日本では起こらなかった。

私のモデルで一番問題なのは、天皇の子孫が基本的に上位を占めているとしても、
階層が落ちていく時常に非天皇直系の男子が先に落ちていくことである。
しかし、天皇の子孫である事を意識できるレベルは別として、
その意識が無くなっているレベルでは、その個人が社会で優位に立てる理由はない。
結局、そのレベルでは個人の能力、運などによって社会競争での勝者が決まる。
まあ、ランダムということだ。
そうすると、それなりの家意識を持っていると、ずっと存続していくことになる。

天皇の直系男子が70%を占めるというのは、そういう意味でかなり怪しい。

しかし、藤原氏は、始祖である鎌足の妻が皇族で、
その息子である不比等は天皇の子孫になる。
だから、すべての藤原氏は天皇の子孫である。

また、各階層の中で存続していった家にしても、
その妻には天皇家の子孫を娶る可能性が強く、
そうすれば、その家も天皇の子孫になる。

男系女系混ぜてしまったら、
そもそも男系でモデルを作る意味があるのかという疑問はあるが、
そうしないと目安も持てない。
また、男系という観点がないと、2などと言う増加率を設定できないので、
そういう意味で必要になっている。
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