異をとなえん |

民主主義と市場は対立していない - ギリシャのユーロ圏離脱は不可能だ(その12)

2012.05.30 Wed

20:25:05

下記の記事を読んでいろいろと考えていた。

機械仕掛けの神と金融クーデター

引用開始

民主主義と「市場」は異なる原理で支えられています。それが対立するようになったらどちらを選ぶべきか。ギリシャとイタリアの前政権は「市場」を選んだ。民主主義を放棄したのです。「市場」のために財政を緊縮し、一般市民にその負担を押し付けた。
引用終了

違和感を覚える。
市場は民主主義と対立するものなのだろうか。
市場は民主主義(この場合は選挙による投票システムと考える)とは違ったシステムによる人々の意思表示の現れと考えることはできる。
だから対立することもあると言えるのかもしれない。
しかし市場は普通争わない。
ただ流れを変えるだけだ。

市場は川のようなものに見える。
普段は穏やかに流れていくだけだ。
けれども気象関係の変化によっては荒れ狂い、氾濫する。
人間はそれをなだめるためにダムや堰を作って押さえ込もうとする。
ダムによって氾濫はなくなったとしても、本当に大きな洪水が起きたときはダムが崩壊することによって、より大きな災害を招くこともある。
市場もそんな感じだ。

市場をコントロールするために政府はいろいろなことをする。
規制することで、より川の流れをスムーズに流そうとするわけだ。
よどみがあると、いろいろなところに不都合がでる。
最悪なのは川の流れを止めてしまうことだ。
旧ソ連や北朝鮮などの社会主義国は市場を完全になくそうとした。
そうすると取引自体がなくなるか、成長が完全に止まってしまうか、あるいは政府の見えないところでのヤミ取引に変化していった。
成長が完全に止まったソ連は最終的には崩壊した。
市場を無視したことが人々の反乱に結びついたのだ。

だから、市場と民主主義は対立するものかもしれないけど、市場は現実の人間の欲望を反映しているだけど、それも一つの民意なのだ。
民主主義というか選挙が、ある特定の時点での一人一票といった意思しか反映できないのに、市場はリアルタイムに強く望んだものが多いほどその意思が反映される形で表示される。
そういう意味で市場には従うしかない。

今回のギリシャの場合、市場はギリシャ国債の償還を疑問に思っていることを示した。
ギリシャ国債の金利が上がっているのはそういうことだ。
ギリシャ国民はそれに対して、必ず返すという意思を示さなかった。
反緊縮政策はそういうことだ。
だから、市場は国債を全く買わないことでギリシャに答えようとしている。
市場の購入者の実態はもうEUの各国政府だけれど。

市場の実態がもう見えざる手ではなく、EU各国政府という見える手になっている。
だから、ギリシャ政府が直接EUと交渉して、話をまとめられるならば市場に対して責任を取らせたという話になるのかもしれない。

引用開始

市場にもキチンと責任を取って貰う。首に縄を付けておく。強欲な者、アンフェアな者には退場頂く。それこそが重要です。
引用終了

けれどもそれは市場ではない。
市場の参加者のある部分をコントロールしたに過ぎない。
そういうことを市場との対立と捉えるのは間違っている。

市場というのは体温計のようなものだ。
36度ならば平熱で、40度ならば病気だ。
36度を永遠に出し続ける体温計を使えば、病気にならないわけではない。
40度という体温を表示したならば、どこか体の調子が悪いのだろうと、病の本質を見極め治癒しなければならない。
だから、政治という頭は経済という体を市場という体温を計ることできちんと管理しなくてはならない。
民主主義と市場は対立していない。

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