異をとなえん |

原発についての自分の意見

2012.03.12 Mon

21:09:53

原発についての質問があったので、一言述べておきたい。

原子力発電について、賛成か反対かを問われたら、いまだに賛成派のような気がする。
とは言っても、ところどころで見かける、推進派と反対派の論議の中であるような絶対的な確信はない。
だから、どこかで原発を作りたいと言いだす人がいたら、それを法律で止めるのはおかしいと感じるし、自分の家の近くで原発を建設するならば、それ相応の迷惑料を払ってもらわねば、許せないと思うだろう。

結局のところはコストの問題なのだ。
原発のコストが他の原料による発電のコストに比べれば、安ければ推進した方がいいし、高ければやめた方がいい。
もちろん、原発のコストはいろいろな物がかかる。
事故が広範囲で長期間に及ぶ問題や、処分に時間がかかる核廃棄物の問題がある。
今までの推定が今回の事故によって変わったことも明らかだ。
それと同時に、一つ一つの事故に伴って改善していくことで、技術の安全性は高まっていく。
どんな技術だって最初からパーフェクトなものはない。
それを考えにいれず、最初から事故を起こすと考えてコストを産出することもおかしい。

しかし、事故の確率なので誰も正確にわかるわけがない。
しょせんは未来のことであり、不確定のことだ。
その不確定な未来を前にして決断するのは、リスクを取って、金を儲けようとする資本家以外にいない。
国家の援助がなければ、無理という話もある。
それはそれで正しいのかもしれないけれど、国家がリスクを引き受けなけれならないなら、やめた方がいい。

なんか文章を書くのが難しい。
遠慮が出ているような気がする。
実は主張したいことはあるのだが、原発についての基本的意見を書いていたら、うまく入らなくなってしまった。
それについてはまた書くこともあるだろう。

この文章を読むと、結局逃げているだけではと感じる人もいるだろう。
それについては、その通りだと答える。
私は、国民として、消費者として、自分がわからないこと、責任を持てないことに対して判断を停止し逃げるのは正しいと思っている。
民主主義論として書かねばならないのだが、それはまた別の話だ。

それでは、なぜ原発基本賛成派なのかと言うと、アトムの記憶だと思う。
「三つ子の魂百まで」ではないが、子供のころ鉄腕アトムを好んでみた記憶がしみついている。
だから、原子力が嫌いになれない。
もっとも、幼児のときの記憶にこだわってもしかたがない話だ。
だから、原発について賛成か反対かと問われれば、わからないと答える。

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