異をとなえん |

コンピューター思考と人間思考

2012.02.13 Mon

21:04:44

ボンクラーズ米長戦で、ボンクラーズから角交換を挑まれたとき、米長氏がそれを嫌った局面があった。
一応それが敗着で、角交換すれば大体互角だったらしい。
ただ、角交換することで角を打つ場所が大量にでき、非常に広い局面になる。
米長氏の作戦はできるだけ、手の広い局面を避けることにあったのだから、交換するのは難しかったのだろう。
それまでは、ボクシングの試合でどちらもパンチが当たらなくて互角のような試合だった。
角交換すれば、パンチを避けるのではなく、どちらのパンチも当たり続ける試合となる。
体力が五分ならば互角の試合でも、体力の劣るボクサーには互角の殴り合いはきつすぎる。
ボンクラーズ米長戦はそういう試合だった。

ボクシングはパンチの応酬が見どころであるように、将棋も駒の交換が激しくなっているのに互角を保つ、そんな応酬が見どころだ。
そして、将棋の実力も一番そこに現われる。
そのもっとも重要な部分で人間はコンピューターに対して自信がなくなっている。
全幅探索というコンピューターの思考が一番効果を現わすからだ。

全幅探索というのは、あり得る可能性を全て探索して、それで評価する方法だ。
全幅探索というのは、コンピューターの思考法の一番の基本といっていい。
もっとも全幅探索するコンピューター将棋ソフトができたのは最近のことだ。
昔はコンピューターで全幅探索を実行しようとすると実行時間がかかり過ぎて無理だろうと判断されていたから、人間と同じように最初は探索する局面を限定していた。
しかし、マシン速度の向上により、全幅探索をしても十分処理可能になり、最近はどのソフトも全幅探索に移動している。

さて、コンピューター思考と人間思考の違いは、人間思考では絶対的な自信が持てない部分がある。
将棋の局面は大体80手ぐらい選択できる手があるとされる。
でも、人間は一瞬で読む手を3手ぐらいに決めてしまう。
3手ぐらいしか読めないということでもあり、その局面での最善手を3手までに限定できることでもある。
これは人間の凄い能力ではあるが、同時に限界も示している。
3手に最善手を絞るといっても、その読みに入っていない例外手がたまにあり、それがポカと呼ばれる現象を起こす。
もっともポカは人間の最高峰はほとんどおかしていないだろうけれど、それでも油断はできない。

数独というパズルがある。
かなり前から流行っているパズルだが私は最近はまった。
ルールはほとんどの人が知っていると思うけれど、9x9の升目を縦と横と9つに分割したブロック、全てで1から9が一つずつ入るように書き込んでいくというものだ。
このゲームと解くときに要求される思考法がコンピューターの思考に似ている感じがする。
初級の問題は、まず数字に着目していく。
1という数字で入力できない所と入力できる所とに分け、入力できる所が一意に定まったならば、そこが確定する。
そんな形で全部の数字を埋めていく。

上級の問題だと、そんな風では解くことはできない。
逆に入力できる空間の余りを探すような方法で解く必要が出てくる。
たとえば、3つの升目が空いていて、1から3までが入る。
そこで、2つの升目のどちらがどちらかはわからないけれど1と2であることがわかる。
そうすると、残りの升目は当然3になる。
逆算による解き方だ。
この解き方が難しい。
私はどうも苦手で苦労してる。

人間はこの全幅探索的な作業が苦手なのだ。
これは進化の仮定で自然に起こってきたことだろう。

つまり、ミステリーの孤島物のようなトリックだ。
犯人の容疑者は島にいる人間に絞られる。
そこから、絶対犯人になりえない人間を除外すると、残った人間が犯人というわけだ。
推理小説の探偵のセリフにあったきがする。
「ありえない可能性を全部除外すると、どんなに信じ難くても最後に残った結果が真実だ。」
なんてセリフだ。

孤島物の解法というのは、ミステリーでは使われても現実にはあまり役に立たない。
根本的な問題は全ての可能性を上げることが不可能だからだ。
嵐がふいている孤島だって、誰かがその島に嵐の前に隠れていたかもしれない。
現実世界というのは、つまり可能性が無限にあって全てを数え上げるのが不可能なのだ。
将棋のように可能性が定まってはいない。
だから、人類はそういう全幅探索の思考ではなく、一番可能性の高いものに焦点を絞って思考できるようになっている。

ブラックスワンなんて言葉もある。
最近の金融危機後に有名になった。
黒い白鳥はいないと考えられていたけれど、実際にはオーストラリアのどこかで見つかったという話だ。
そこで、起こらないと考えられていても、現実に起こる、破滅的な現象の象徴として有名になった。

つまり、現実世界においては全ての可能性を調べることは不可能なのだ。
だから、限られた条件で大体の最善手段を調べる。
それが人間の思考法になっている。

コンピューターは、人間のいい加減でもほぼ正しい答えを出す能力を身につけていない。
将棋の研究でも、コンピューターは結局その能力を身につけることなく、処理能力を強化することで全幅探索に頼ってしまった。
囲碁はコンピューターのゲーム研究において最後の砦となりそうだが、全幅探索に頼らない方法で人間より強くなれるだろうか。
全幅探索はコンピューターのいい所だが、人間に近づくという意味では真逆である。

何が言いたいかはっきりしなくなってきたが、コンピューター将棋とアトムのような人工知能の間にはまだまだ差があるを結論にしたい。

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コメント

308

私は人間の直感をうらやましいと思っている。なぜならその直感は私にはない力だからだ。その直感を手に入れたとき、私は人間を超えることができる。


と、コンピューターが考えるようになれば素晴らしいけれど……

309 Re: 私は人間の直感をうら

うらやましいさん、コメントありがとうございます。

> 私は人間の直感をうらやましいと思っている。なぜならその直感は私にはない力だからだ。その直感を手に入れたとき、私は人間を超えることができる。

コンピュータがこんなことを考えるのはいつの日かと思いますが、私は人間の直感を全然信じなくなりました。
gps将棋の読み筋が人間の指し手に一致しているのを考えると、人間の直感というのは複雑な評価関数でしかないように思います。
何千万ものパラメーターを計算して得られる評価値を、人間は瞬間的に大体の値を計算できます。
大体の値というのは、どちらの方が良いか悪いかしかわからないということです。
人間の直感には、コンピュータがありがたがるような神秘性はないでしょう。
もっとも、瞬時に計算できること自体は凄いことなんですけどね。

それでは。

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