異をとなえん |

コンピューター将棋の進歩:普通のプロとトッププロの差

2012.01.27 Fri

20:31:40

「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?」

を最近読んでいるのだが、その中のコンピュータ将棋の進歩の話で面白い所があった。
素人からプロ棋士になる努力と普通のプロ棋士が羽生さんのようなトップレベルの棋士になるまでの努力とでは、後者の方がずっと大変だという話だ。
これ自体はなんとなく納得できる。
けれども、コンピューター将棋は普通のプロ棋士のレベルに到達したけれど、トップ棋士に到達するまではまだまだかかるという意見には、異議がある。
コンピューターにとっては素人からプロ棋士のレベルに到達するまでは大変だったけど、普通のプロ棋士からトップレベルの棋士はそれほど難しくないと思うからだ。
素人からプロ棋士のレベルに到達するには、いろいろ将棋の常識を覚えなくてはならない。
そして、一番大事なのは大局観だ。
詰みになるかなり前の段階で優劣を判断する能力、それが問われる。
コンピューターで言えば評価関数の能力だ。
正しい評価関数ができなくては、どれだけ読んでも正解にはたどりつかない。
最近のコンピューター将棋の進歩はボナンザがボナンザメソッドと呼ばれる方法で、棋譜から自動的に評価関数を生成できるようになったのが多きい。
正しい評価関数があれば、読みを深くすることで強くなっていける。

人間にとって素人からプロになる努力は、誰でもできると言った意味がある。
もちろん、本当のプロになるのはほんの一握りの人間だから簡単ではないのだが、それでも数百人の人間がいて理解することができる。
つまり一般的な能力であって超人にしかできない、そんな特殊なものではないのだ。
それに対して、普通のプロからトップのプロになるのは簡単ではない。
何が違うのかというと、結局はヨミの深さだというのが私の意見だ。
普通の棋士だと読みの深さが20手ぐらいなのがトップ棋士だと25手ぐらいなのではないだろうか。
数値自体は私の感覚的な物であまり意味はない。
その差はヨミの速度であり容量であり簡単に埋められない。
他の棋士よりほんの少しでも上回れば、圧倒的に強くなる。
そういうものだと思う。

100mの競走みたいなものだ。
トップは9秒7くらいだったろうか。
0.1秒の差がとてつもなく重い世界だ。
これは小さな差だけれど、限界ぎりぎりに来ているから、小さな数値を上げるのが簡単にはできない。
そういう意味で普通のプロとトップとの差は大きい。
イチローなども同じだ。
他のプロ選手と比べてほんのわずか上なだけだが、成績の上位下位を分けるものとなる。
そして巨大な年収の違いとなって現われている。

しかし、コンピューターの場合は違う。
読める深さというのは現在の所、時間が経てばいくらでも早くなっていく。

素人からプロの部分はプログラマーによってその方法を手順化する必要があった。
だから大変だった。
けれども、普通のプロからトップの部分は質的な変換は必要ではなく、量的な速さだけが求められているのだとしたら、コンピューターが追いつくのは難しくないだろう。

「そうではない。普通のプロとトッププロの違いはもっと質的な物だ」、という意見もありそうだ。
非常に難しい局面で正着を指せるのは、大局観がより優っているからというわけだ。
けれども、トッププロが難しい局面で正着を指せるのは、単に新しい局面で天才の閃きが生じたからではない。
やはり、その局面である程度深くまで読むことによって、より先を見通し、その結果をパターン化することで、ずっと先の局面が読めるからではないだろうか。
単純に読むのではなく、パターン化することによる、読みのショートカットが大きいわけだ。
ただ、このショートカットも普通のプロよりも深く読めているから気がつく部分も大きいと思う。

コンピューターには読みのショートカットはできない。
けれども、その本質が深い読みであるならば、単純に物量で深く読めばいい。
それだけで追いついてゆける。

米長ボンクラーズ戦で、米長氏は自宅にある練習将棋では連勝していたと言っていた。
これは読みが浅いので、入玉のようなその読みの範囲の外の局面に誘導することで勝てたのではないだろうか。
しかし、本番用のマシンは米長氏の自宅にあるコンピューターより10倍ほど高い性能を持っていたと聞く。
つまり、より深く読むことによって、米長氏の罠を抜けたわけだ。

結論を言うと、コンピューターと人間の本質的な差は、素人と普通のプロ棋士の違いみたいなもので、普通のプロ棋士とトッププロとの差はそれほど重要ではない。

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