異をとなえん |

「モノ作りで稼いだ金は、金融取引で稼いだ金より尊い」

2011.07.07 Thu

04:51:12

昨日の続きで、ちきりんさんの「金融業なんてむいてないし、東証も要らない。」という記事を批判してみたい。

引用開始

(6)お金が汚いものだと思ってる・・

しかも一部の人は「モノ作りで稼いだ金は、金融取引で稼いだ金より尊い」と信じてる残念さ。
引用終了

そんなにおかしいだろうか。
お金が汚いという意見は確かにおかしい。
お金がなくては人は生活していけない。
社会にとってもっとも重要なシステムであり、それを汚いという意見は間違っている。
けれども、「モノ作りで稼いだ金は、金融取引で稼いだ金より尊い」という意見は基本的に正しいのではないだろうか。

ここで言いたいのは、汗水たらして稼いだお金は頭をちょこっと使って稼ぐお金より尊い、という話ではない。
基本的に10時間1万円の仕事と10時間100万円の仕事があった場合、10時間100万円の仕事の方が100倍価値があるといえる。
職業に貴賤なしといっても、お金を稼げる仕事というのは、それだけ需要があるということであり、人々に望まれている、あるいは期待されている仕事だ。
だから、給料の高い仕事の方が重要であり、人はそういう方向に移っていくべきだ。

それでは、金融取引で年収10億とかいう仕事の方がモノ作りより優っているのだろうか。
それは違うと思っている。
問題なのは、金融取引が本当に付加価値を生み出しているか、よくわからない点だ。
モノ作りはわかりやすい。
付加価値が生まれていることが簡単にわかる。
けれども、金融取引、イメージしているのは株の売買みたいなことであるが、安く買って高く売ることのどこに付加価値を生み出している部分があるだろうか。
付加価値を生みだしていなければ、そこから利益などあげられるわけがない。
普通は、市場で取引をしている投機家が作り出している付加価値は、市場の流動性ということになる。
投機として売買している人がいるから、常に取引が成立し、市場が成り立っている。
将来を悲観して誰も株を買わないときに、株を買ってあげる人は、その後株価が上昇した場合儲かる。

じゃあ、金融取引で年収10億は正しい話なのか。
そうではない。
問題なのは、市場自体がバブル化して、ひたすら高値を目指していく場合だ。
この場合、市場に参加している人はみんな儲かることになる。
でも、それは付加価値を生みだしていない。
だから、最後には暴落してみんな損を出すことになる。

住友家家訓に「浮利を追わず」というのがある。
検索してみたら、正確には違うみたいだが、私の解釈では付加価値を生まない仕事をしてはいけない、と解釈している。
安く買って高く売るのは商売の基本だが、小売業などはそこに付加価値があるのがすぐわかる
そういう商売をしろという話だ。

金融取引はどこに付加価値があるのか、わからなくなる危険が大きい。
そして付加価値を生み出さない仕事は、尊いとはいえないだろう。

つまり、バブルで金融業が儲かって仕方がないときは、金融業の仕事は尊くない。
金融業の仕事に批判が高まるときは、たいていバブルのときなので、「モノ作りで稼いだ金は、金融取引で稼いだ金より尊い」というのは、大体当たっていると思う。
もっとも最近の日本はバブルにほど遠いのだから、モノ作りの稼ぎも金融取引の稼ぎも同じように尊い。

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411 金融業のイメージ

さらに、昨日の続きで、ちきりんさんの「金融業なんてむいてないし、東証も要らない。」という記事を批判する。 引用開始 (4)スピードが大事 金融は意思決定のスピードが生死を分けます。「熟考が大事」とか「重箱の隅まで全部、証明されないと信じない」とか「石の上にも3年」な文