異をとなえん |

続:なぜ一人当たりGDPが高いだけではガラパゴス化しないのか? - ガラパゴス化は必然である(その10)

2011.01.17 Mon

21:19:50

前回の記事では、日本より一人当たりGDPが高い国は資源国か金融業が盛んな国であり、その高いGDPは主として資産効果によって生まれている、と述べた。
今回は資産効果による消費が、ガラパゴス的な商品・サービスを生み出さないことを説明する。
ここでの、ガラパゴス的は、他と違って独自の進化を遂げたということを意味し、他の環境に普及する、しないは関係ない。

** 資産による消費

資産の消費、資産効果による消費の本質的な特徴は、その所得が個人の努力と無関係に決まることから生じてくる。
前回述べたように、金融業では資産取引の仲介が本質だから、資産価格が上昇すれば、在庫の価格上昇や手数料の増大によって、収入が増えていく。

また、取引の回数増大と価格の上昇は相関関係がある。
取引が盛んになれば価格は上昇するし、価格が上昇すれば取引は増大する。
だから、こちらの面からも収入は増大する。
ただこの場合、取引回数の増大は労働量の増大をまねくので、収入が増加するのは当然とも言える。
そういう理由で、バブルが発生している時は金融業の所得の全てが資産効果によるものとはいえないが、大部分は資産効果によるものだろう。

そして、金融業の従業員は給与という形で所得を得る以上、それが資産効果であることに気づきにくい。
自分たちの生産性が向上したから、収入が増大したと考えるわけだ。
そうすると、消費は収入が増大するに連れて増えていく。
けれども実際は生産性が向上していなくとも、収入が増えているわけだから、労働に見合わない消費をすることになる。

** 資産による消費は工夫が要らない

個人の努力と無関係に所得が決まる以上、その消費には制約がない。
所得がある分だけ消費できる。
その商品の本質的な価値を無視して、単に金額の高い商品を購入するのだ。

金が幾らでもあれば、家を買う場合、普通の人は大きな家を欲しがるだろう。
毎日の掃除が大変でも、金がたくさんあるならばお手伝いを雇うなど対策はいろいろある。
その増えた空間を有効利用できるかどうかなどと言う概念からの検討はなくなり、単に高額の家を買うだけだ。

つまり、所得の増加に伴なう消費の増大は、贅沢品の消費に向けられるということだ。
一つの市場には複数の価格の商品がある以上、同じ機能の商品でも品質が違えば価格は違う。
通常は品質の上昇が価格の上昇に見当っているかどうかを、消費者は厳しく吟味して購入する。
バブル崩壊後、なぜこんな物をこんな価格で買ったのだろう、という言葉がよく聞かれた。
資産効果によって儲かった気持ちでの消費が、品質を吟味する態度を失わせたからだ。
結局はムダな買物となる。

買う方が頭を使って賢い買物をしないならば、売る方が工夫をする必要はなくなる。
価格が高い商品ほど売れるならば、原価を高くしていけばいい。
価格に見当った品質ではなく、単に高品質、高価格の商品を販売する、それだけだ。
結局、資産効果による消費は新機能の商品や価格に見当った高品質の商品ではなく、単に市場に出回っている商品の中での贅沢品の消費にしかならないのだ。

単なる贅沢品は独自の進化をした商品ではない。
ガラパゴス化したなどとは、とても言えない。

** 資産による消費は一部に限られる

資産による消費の特徴は一部に限られて、世界全体に普及しないことだ。
価格に制限がない消費だから、普通の労働者には買うことができないのだ。

資産による消費には制約がない。
あればあるだけ使えてしまう。
でも、それは一部の人間の消費でしかない。
資産を持つ人間は限定されているからだ。
だから、世界に広がっていくこともない。

大衆文化がない時代、近代以前の時代においては、金持ちによる消費も文化と言えたけど、現代では金持ちだけの消費はもはや文化ではない。
全ての人間に広まっていく消費こそが、文化の名に値する。

資産効果による消費は世界全体に適応できない。
全ての人間が資産の利子で食っていけるようにならないからだ。

資産による消費は本当の意味でのガラパゴス的な消費となる。
価格が高いというだけの商品・サービスであって、それ以外に違う所はない。
一部の金持ちに限られた消費であって、世界的に広まることはない。

** 労働による消費

資産による消費が、贅沢品の消費であり、一部の消費者に限定される消費であるならば、労働による消費の特徴はどうなるだろうか。
労働を対価とした消費は、本質的に労働時間と商品・サービスの交換である。
労働時間分の価値がなければ、その商品・サービスは交換が拒否される。
この場合、通貨の価値貯蔵の機能がなければ人々は働くことをやめてしまうだろう。
労働者は通貨の形態で受け取ることによって、一時的に労働と賃金を交換し、賃金と商品・サービスの交換を先延ばしにすることができる。
売れないということだ。
そのため不況が発生する。

労働を対価とした消費には限界がある。
現代では、一日8時間週休二日制が労働時間の目途だろう。
その時間で受け取れる金額が消費できる金額となる。

家の例で言えば、単に大きい家を求めるわけではない。
普通は自分の働いた労働分の金しかないのだ。
そして家以外に使う分のお金はさっぴいて置く必要がある。
その汗水流して稼いだお金を消費するのだから、それだけの価値に見当う商品でなければならない。
だから、家が無制限に大きいことなどなく、適当な大きさの家に決まる。

** 労働による消費でなければ新規の需要は生まれない

資産による利子の消費と労働の対価の消費の本質的な違いは、労働の対価の消費の場合は、その価値が商品にないと労働しないという選択肢があることである。
利子の場合は勝手に積上がるわけだから、収入がないなどということはありえない。
労働しないという選択肢がある以上、労働に見当っただけの商品・サービスを開発する必要がある。
これがガラパゴス化と呼ばれる進化した商品・サービスを生み出す原動力となる。

日本はバブル崩壊以後、資産価格はずっと下落し続け、資産効果による消費はなくなり、労働による対価の消費しか存在しなくなった。
それで賃金に見当った価値ある商品・サービスを供給するために、非常に多くの努力が払われた。
それが、ガラパゴス化と呼ばれる商品を生み出したのだ。

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