異をとなえん |

数字の経済論には意味がない - ガラパゴス化は必然である(その6)

2010.12.21 Tue

04:45:17

また、書けなくなってしまった。
さぼるとどんどん書けなくなることがわかっているので、つたないことでも書く。

ガラパゴス化は必然であるというシリーズに対してまとまりがなくなっているが、日本批判に対するさらなる反論を書いてみたい。
一番よく見かける批判に、日本の成長率が低すぎるというのがある。
中国は10%成長、韓国は6%ぐらい、欧米は3〜4%ぐらい成長しているのに、日本は1%ぐらいしか成長していない、という批判だ。
つまらん話だと思うわけだ。
成長率などと言うのは数字でしかない。
その成長率で何を具体的に達成したかが問われなくては話にならない。

明治のころはわかりやすかった。
欧米の列強が攻めてくるのを前提にして、それにどう戦うかを考えて国を作れば良かった。
国を守るには軍備が必要で、軍艦、大砲をたくさん準備しなくてはならない。
それらの製品を購入するか、製造するか。
外国から購入するには資金が必要だ。
その資金を稼ぐためには輸出する必要が出てくる。
自力で製造するには技術やら工作機械が必要だ。
結局はやはり金が必要になる。
輸出をするには、外国のことを理解する必要があり、売れる製品を作りだす必要がある。
外国を理解するには、外国の本が必要であり、外国語の教育システムが必要であり、とさらにこの連鎖は続いていく。
これらの具体的な内容がイメージできるなかで、成長率という話が出てくるのだ。

あるいは、欧米文明に対するあこがれも成長のエンジンだった。
明治初期にはガス灯と鉄道が一番の魅力だったらしい。
欧米に渡った人たちが一番感動し、それを日本に持ってきたかった。
欧米文明の魅力を、日本人にすぐにわかってもらうためだ。
実際、建設されたガス灯や鉄道をたくさんの人が見物にきた。
自分たちの町にもガス灯をひいて暮したい。
鉄道を建設して、東京や大阪を見物にいきたい。
明治の人は本当にそう願ったのだ。
どうしたら、その夢を叶えられるか、頭と体の全てを作った結果が、日本の発展だったわけである。

戦後の日本の高度成長の話でもいい。
成長率が高いことは誇りだったけれど、別に成長率のためにがんばったのではない。
テレビ、自動車といった製品を買うためにがんばったのだ。
アメリカの生活が憧れであり、そういう生活をしたいと働いたのだ。

そこで冒頭の話に戻る。
成長率が低いというのは数字の話だけに過ぎない。
成長率を上げろという話ではなくて夢を語らなくてはならないのだ。

「海外に出ろ」という意見がある。
異文化を知ることによって、能力を鍛えられるからだなどという理屈が出てくる。
それに感動があるとは思えない。
なぜ、海外へいって、何々しろと具体的に言わない。
抽象的な目的では人は動かない。
具体的な目的が必要なのだ。
複数な文化に触れるのはその結果だ。

ハーバード大学で日本人の留学生が少なくなった。
だから、ハーバード大学へ行けなどというのは、つまらん意見だろう。
なぜ具体的な教授名を出して、その指導をあおぐために行けとならないのだ。
今だって、フランス料理を勉強するためにフランスに行く人とか、音楽家になるためにウィーンに行く人とかはたくさんいると思う。
そういう具体的な夢がないのに、抽象的な海外など意味があるとは思えない。

今の日本で成長率が下がり、経済が停滞しているのは、具体的な夢が見つからないからだ。
海外に憧れ、そこに行けば簡単に夢が見つかる時代は終わった。
苦しみ、もがきながら夢を探すしかない。
そして、社会人ならば、いや学生であっても、結局仕事を通して夢を探すしかないのだ。
仕事を通して課題が与えられ、人間として成長し、社会を少しずつ良くしていく。
単なる数字だけの成長論など、何の役にも立たない。

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