異をとなえん |

表現をする意味

2010.03.08 Mon

03:05:08

どうも書けないな。
書くことが喜びにならなくては書けないのだが、どうも喜びになっていない。
それが書けない原因だ。
どうしたら喜びにすることができるのか。
一つはそれを喜んでくれる人ができることだと思っている。
ただ、喜んでもらうと逆にプレッシャーになってしまって書けなくなる。
プレッシャーに弱い性格だ。
もう一つは気楽に書くことだろうか。
この文章はそんなに時間がかかっていない。
頭に浮んでいることをそのまま書いているからだ。
この流れをそのまま続けていけば、書けるはずということになる。
つまり、書くことを事前に決めておくのではなく、流れのままに書いておいて、後で編集する方法だな。
それはそれで問題はありそうだが、そうするしかないような気もする。

逆に書くことをはっきり決めて書く方法もいいのではないかという気がする。
たとえば、「武士の窮乏化とグローバリゼーション」の記事も続きを書きたいのだが、どうも書けなくなってしまう。
続きを書こうとすると、どうしても筆が止まってしまう。
不思議なものだ。
やはり文章を良くしたいとかの見栄が悪影響を及ぼすのだろうか?
成果物を完全にすることは又後にして、一応完成形を目指すことが必要ではないかと思っている。

こういう文章を書くようになると、小説やマンガなどを志望している人たちへのアドバイスとして、「まず完成させよ」というのがあるが、それが胸に響く。
私はまだ一つもきちんとした形で文章を作れていない気がする。
何がなんでも一つの文章として完成させたい。
そういう事を考えると、まず武士の窮乏化とグローバリゼーションを完成させたい。
その他にも主張しておきたいことはいろいろとある。
日本の国債発行で、どういう場合に本当に問題になるのか。
国債発行に問題がないという意見でもなく、問題があるという意見でもない、別の切口からの意見をまとめておきたい。
これはこれで意味があると思うのだが、ちょっと本筋から外れている。
やはり本筋を作ることが一番重要なはずだ。
本筋というのは自分にとって発表しておくのが大事な優先度みたいな意味だ。

けれども、本筋をきちんと書こうとすると、全然進まない。
記事の投稿がごそっと休みになる。
かと言って、毎日の投稿を休まないように努力すると、簡単なネタで潰してしまって、大きな流れの記事が書けない。
結局、どちらにしても、大きな流れの記事は書けないわけだ。

子供のころは集中力がある方だったのだが、年を取って散慢になってしまった。
かと言って、特効薬があるわけがない。
結局は日々の積み重ねにしかない。

そうすると最初に戻って、好きになるしかないのだが、自分は本当に文章を書くことが好きなのだろうか。
心の奥底を眺めてみると、少なくとも誰かに認められたい気持ちはある。
自分の生きてきた証しをこの世に残したい。
まだ、誰も語っていない思想を確立したい。
苦しまぎれにこんなことを考えた。

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