異をとなえん |

書きたいこと、書けること

2009.12.16 Wed

02:58:03

自分が書きたいことは、何なのだろうか。
自分が人々に伝えたいと思うことだ。
今までは、とりあえず、文章を書く能力を身に付けることを最優先にしていたのだ、そのようなことを突き詰めて考えたことがなかった。
文章を書く、最初のきっかけはいろんな人のブログの記事などを読んでいると、それは違うだろうと思うことだ。
おかしいと突っ込みたくなる。
自分の意見の方が正しいかどうかは自信が持てない。
それでも、意見を表明し、他の人の意見を聞きたくなってくる。
だから、ブログで文章を書いている。

でも、書きたいことと書けることが、なかなか一致しない。
日本は平和国家だという話はリクエストもあるし、自分でも書きたいのだが、どうもうまく書けない。
材料を集め、論旨も大体定まる。
けれども、これだと全然文章が弾まない。
うんうん唸って全然書けなくなってしまう。

書きやすいのは、思考をそのまま文章にしていくことで、これはサクサク書けて気持ちいい。
今の文章は大体そんな感じなので、スピード早く書けている。
それが、材料を揃えて、論旨も定まるとどうも書けない。
なぜだろうか。
思考回路の問題のように思う。
論旨が決まっているということは、既に頭の中で一度完成している。
それを思い出して書こうとするから、全然筆が進まない。
前に何を考えてたかを思い出そうとするのは、コストがえらくかかるだけで、楽しくない。
王座戦の観戦記で、将棋の山崎隆之が局面を思い出す時間より読む時間の方がずっと短いなんてことを言っていた、覚えがある。
それと同じだ。

だから、なんと言うか、思い出すのではなく、再度テーマを考え直さなくてはいけない。
その再度の集中が難しい。
時間だけが経ってしまう。

現在、書くテーマはその時頭を刺激されたテーマを中心に記事を上げている。
だから、全然脈絡がない記事構成になる。
テーマを絞って記事を書いた方がいいとは思うのだが、今述べたように思考が切れるのだ。

切れた頭をつなげるための再集中はどうしたらできるのか。
やはり記事を書こうとした、最初のきっかけに戻るのがいい気がする。
頭を刺激した記事を再読することで、再度頭を刺激するのだ。
もっとも、なぜそんな事を考え始めたかは、忘れていることが多い。
頭を刺激した記事を忘れずにメモすることによって、思考を再集中するシステムができる気もする。

最初にこの記事を書いていた時、今後のテーマ一覧をまとめるようなつもりだった。
しかし、思考を刺激する記事はリンクしておけ、という話に落ち着いてしまった。
これが文章を書く面白さだが、ただ読者にとって読み易いのかどうか。
少し心配な気がする。
文章の流れをコントロールする技術が身についていない。

囲碁と同じだ。
完全に話がずれてしまうが、私は大学では囲碁部に入っていた。
私の打つ碁はすぐ戦いに入ってしまう。
自分としては戦うつもりはないのだが、なんというかそんな風になってしまうのだ。
棋力の向上した目で見ると、すぐ戦いに入るのは布石の時点で目いっぱいがんばった手を打っているからだ。
つまり、けんかを売っているような手が多いのだ。
棋力が向上すると、なぜそんな流れになるのかわかってくる。
戦いを求めるか、平和を目指すかの岐路を選択できるようになる。
つまり、一つ進歩したわけだ。

文章を書く力も同じようなものではないかと思う。
文章の流れをコントロールできれば、目指すべき行き先に自然に向かえるのではないだろうか。
でも、思考の流れが定まっては、新発想は生まれない。
それではいかん気もする。
結論は出ない。
まだまだ試行錯誤していくしかない。

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