異をとなえん |

義之と書いて、何と読む?

2009.07.13 Mon

03:45:20

きょう目を通した本の中で、ちょっと面白かった話。

下記は万葉集の歌の一首だが、義之の部分が後世では解読できなくなっていた。

印結而(しめゆいて) 我定義之(わがさだめてし) 住吉乃(すみよしの)
浜乃小松者(はまのこまつは) 後毛吾松(のちもわがまつ)

羲之の部分を最初は「こし」と読んだのだが、
他の羲之と書いてある部分と照らし合わせると「てし」と読むしかないことを、
賀茂真淵が解明した。
しかし、なぜ「てし」と読むのか、その理由がわからなかった。
その理由を下記のように明白に解明したのが、本居宣長だった。


我が定め義之(三・三九四)
結び大王(七・一三二一)

「義之」「大王」をテシ(…てしまった)と読みます。その根拠を明快に説明したのは、本居宣長です。義之は羲之の誤りで、四世紀の中国の書家の王羲之のこと。書家だから手師(てし)。羲之の子の王献之も有名な書家だったので、父を大王、子を小王と区別したから、「大王」も羲之のことで、同じくテシと読むというのです(万葉集玉の小琴)。

第13 回 万葉集の戯書より引用。

万葉学者はこういうパズルみたいな物を、
必死になって解読してきたわけで、感心してしまう。
万葉仮名は自然発生した物だから、作り手が面白いと思えば、
読み易さなど考えずにできてしまうわけだ。

万葉集が作られた時代の頃も現在も変わっていない。
最近は見かけないが、
2ちゃんねるで「香具師」という言い方が流行ったことがある。

ヤツをヤシと間違えて、
それを再度漢字変換するというかなり凝ったテクニックだ。
後世の人が解読するのに大変そうな代物の気がする。
資料がたくさん残っていれば、たいしたことないだろうけど、
これだけだったら難しい。
本質的な問題点として、香具師を何と読むのが正解かという問題もある。
私は「やし」と発音してしまうのだけど、
2ちゃんねる上で出る時は「やつ」と発音する方が正解なのだろうか。
漢字の正しい読み方は決まっていないという話に、変化してしまいそうだ。

ネットの掲示板とかは公の場でないから、
書き手と読み手相互の正しい理解というより、面白さが優先される。
だから、万葉仮名は公の場というより私的な場で自然発生したものであり、
洒落やユーモアと言った精神に包まれていたことを示唆する。
始まりの混沌に近づくと、日本文化の根底に、
軽さといったものがあることを示していて、
古代人の精神にちょっと思いを馳せてしまった。

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