異をとなえん |

「ひらがな論者」に反論する

2009.06.17 Wed

02:27:45

日本語をひらがなのみで書こうとするのは、
無謀に近いと思うので反論してみた。

シリコンバレーに「ひらがな論者」あらわる - Zopeジャンキー日記
経由にて、次の三つの記事を読む。

ひらがなせいかつ への いざない - ぼんやりと考えたこと
かな漢字変換 は かなかんじせんたく
読みにくいのは誰か

一番目がひらがなを使用する宣言で、
ひらがな表記をなぜするかの理由が二番目と三番目に書いてある。
理由は二つあり、
一つは、かな漢字変換のコストが大きく、負担になっていることと、
もう一つは、かなで書いてある文章ならば、
ひらがなしか読めない人でも読めることになっている。

一番目の理由である、かな漢字変換のコストは確かに大きい。
私も一時かな漢字変換せずに、下書きしたことがあるので、それは認める。
しかし、書く人間のコストが減らせたとしても、
読む人間のコストが大きくなるのでは、全体としてのコストは大きくなる。
たとえば、漢字かな交じり文で書くコストが100、
ひらがなだけで書くコストが50としよう。
それに対して、漢字かな混じり文で読むコストが1、
ひらがなだけの文章を読むコストが2とする。
そうすると、100人読んだ場合の全体コストは、
漢字かな混じり文の場合、100+1*100=200となる。
かなだけの文の場合、50+2*100=250だ。
個々の数値はもちろんいい加減だが、この場合100人読んだだけで、
全体のコストはかなだけの方が多くなる。
読む人間の数が、
千人、一万人と増えていけば全体のコストはかなだけの文章の方が、
ずっと高くなる。
文章というのは、一度公開してしまうと、思っていた以上に読まれるものだ。
たくさんの人に読んで欲しくないというのは、ブログを公開している以上、
自己矛盾に近い。
全体のコストが増してしまう技術が世界に受け入れられるわけがない。

さらに、私もかなだけで下書きするというのをやめてしまった。
記事を作成している最中に、自分の文章を何度も読み返すので、
そうするとかなだけの文章は読みにくすぎる。
勢いだけの文章ならいいが、何度も読み返す場合には、そうもいかない。
結局、自分の文章は自分が一番多く読むので、
最初から漢字かな混じり文に書いた方がいい。

二番目のひらがなだけしか読めない人にも読めるというのは、
もっともらしいけど、少し違うと思う。
まず、私の経験から言えば、小さくても漢字かな混じり文は読める。
小学五、六年のころ子母沢寛の小説「勝海舟」を読んだ。
この前、目を通したら全然読めなくて難渋したけど、その時は読めていた。
つまり、今の私にも読めないほど難しい漢字や単語を使っている文章なのだが、
子供の時は意味など深く考えずに読むので、読めてしまうのだ。
ひらがなだろうが、漢字だろうが、
子供が理解できないのは新しい概念そのものであって、
読むだけだったら適当に読みをあてればいいのだから、問題はない。
そうやって、読む力をつけていくのだ。

それでも、ひらがなだけしか読めない人の場合には、
「ひらがな・なびぃ」といったソフトもある。
漢字をひらがなに変換するソフトはあったような気がして、
今探してみつけたものだ。

ひらがなを漢字に変換するのは、文章の意味が理解できないと不可能だが、
漢字をひらがなに変換するのは、そんなに難しくない。
「市場」を「しじょう」と読むか、「いちば」と読むかのような問題はあるが、
些細な問題だろう。
どっちでも意味は、わかる。
これで、少なくとも、
ひらがなだけしか読めない人のために書く必要はないはずだ。

文章というのは、人に読まれるために書かれるものだ。
だから、特にブログのように、
不特定多数の人に読んでもらうのを目的とする文章では、
できるだけ手間をかけて読みやすくするべきだ。
かな漢字変換のコストが大きいという、自分のコストを減らる理由で、
読みにくくするのは、結局読む人を減らすことになる。
ひらがなだけで書く文章を、自分で読みやすいと思っているのでなければ、
わざわざひらがなだけで書く必要はない。

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