異をとなえん |

『「国連」という錯覚 日本人の知らない国際力学』感想

2009.06.05 Fri

03:09:16

前ITU(国際電気通信連合)事務総局長である内海善雄氏が書いた、
『「国連」という錯覚 日本人の知らない国際力学』を読んだ。
ITUに立候補してから辞めるまでの、経験談のような本である。
ITU事務総局長としての仕事は、情報社会サミットの開催がほとんど全てみたいで、
その話にほとんどのページが費されている。
そして、それを通じて国際社会の理不尽さみたいな不満を訴えている。

私の読んだかぎりでは、非常に独善的に思えた。
普通な日本人の考える正義を、
そのまま国際社会でも正義だと無条件に思っているような印象を受ける。
正義という観念を持つことは悪いことではないが、それは万人の正義だとは限らない。
自分の持つ正義の概念がどんなものでありかを回りに説明し、
理解して貰わなければ、指導者としての立場は果たせない。
そういう部分が弱いように思える。

最後の方に「自己利益だけを追及する者は、
必ずいつかは破綻するという信念を今も持ち続けている」(P271)とある。
この考え自体は理解できても、自己利益を追及しなければ、
全体の利益が得られるわけではない。
全体の利益を目指すとしても、それを参加国全体が認めなければ、
結局回りからは、自己利益だけを目指していると誤解されてしまう。
本の最後の方で一部の人に理解されたと誇るような部分がある。
身の回りの人だけに評価されるとしたら、
それは側近政治とか呼ばれるものではないだろうか。

本の全体を通じて、事務総局長としての立脚点がよく見えない。
日本政府からのサポートが特にあったわけでもないので、
日本の利益を図っているわけではない。
先進国と発展途上国の対立にも、特にどちらかに加担しているわけでもない。
結局の所、
官僚出身者らしくITUという組織の維持・拡大を最大の拠り所にしたように見える。
ITUの組織の維持が最大の目的だから、
自分たちの仕事を増やすことを目指し、努力していく。
外部から見ると何を考えているか、わからないと言うのが正直な所ではないだろうか。

私の考える事務総局長というのは、
誠実な利害の調整者であり、全体の利益を考える人だ。
全体の方針が決まった後、それに向かって進む人だ。
自分の目指す目標を勝手に邁進する人では困ってしまう。
内海氏は、「技術専門機関のITU活動の維持も大切だが、
より政策的な機関にならなければならない。」(P60)という考えを持っているようだが、
その決定は加盟国がするものであり、事務総局長がすべきでないと私には思える。

本の中で加盟国から大幅な予算の削減を迫られ、
事務総局長として反対するが、押し切られる話がある。
その後、いろいろともめて、削減派の国と感情的な対立をしている。
しかし、予算の決定は加盟国がするものであり、
決まった以上事務総局長としては受け入れるしかない。
率先して予算の削減を目指すべきなのに、
そうでないならば、批判が集まるのは仕方がない。

また、本の中で内海氏は人事部長を更迭している。
その更迭では不当だとILOに提訴され、審判になる。
結果負ける。
自分の処置は正しいと信じても、公平な第三者機関とされるILOでは間違いと判断された。
この場合、普通は自分が間違っていたと思うのではないだろうか。
しかし、内海氏は無条件にILOの審判が間違っていると仮定しているみたいだ。
どんな事情だか詳しいことは書かれていないので判断できないが、
国際公務員としては問題に思える。
日本の場合でも、どんなに理不尽だと思うような判決でも、
最高裁までいって確定してしまえば、それは建前としては正義だ。
それに従って業務を実行せざるを得ない。
そういう認識が欠けている。

今この感想を書いてみると、官僚という印象を強く受ける。
郵政省出身の官僚だから当然だろうけど、その思考をそのままITUでも、押し通している。
しかし、政策を決定するのは官僚ではない、加盟国だ。
それなのに、政策機関を目指したのが、内海氏の言う理不尽さにつながったと思えた。

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