異をとなえん |

戦争国家では権力が集中する - 世界は日本化へ向かう(その5)

2009.05.14 Thu

01:54:33

引き続き、戦争国家と平和国家の違いについて述べていく。
この違いを、どういう順番で記述すればいいか迷うのだが、
どうもまだ考えがまとまっていない。
そこで順不同に記述していくことをお詫びする。
今回は戦争国家では権力が集中する、という話だ。

戦争国家のモデルを考えて思い出したのは、映画「七人の侍」だ。
「七人の侍」では、農民が侍を雇ってきて山賊から村を守ろうとする。
自国の防衛を第一義とする、戦争国家のモデルにちょうど合っている。
映画では、最初村人たちは山賊からの防衛方法に対して意見がまとまらない。
侍を雇うことで、費用がかかるのを嫌うのだ。
侍たちを雇うことが決まった後も、
侍たちに対しても文句たらたらの村人がいる。
川向こうの家は防御しきれないから、
放棄するという命令に対しても従いたくない。
しかし、実際に山賊たちが襲撃してくれば、
どうしても指導者の命令に従わざるをえない。
それが生きのびる道だからだ。
「みんなは一人のために、一人はみんなのために」という言葉は、
まさに人々の命をかけた戦いのためにある。
生きるために自分自身の損得を度外視して、国のために働かざるをえない。
そして、指導者に権限が集中する。

戦いのために指導者に権力が集中する。
戦争国家では、これが常態だ。
他国の攻撃に対して、自国を守ろうとしている時に、議論している暇はない。
一番上の人間が、最善の手段を考え決断しなければならない。
そして、国民もそのことを知っている。
だから、通常の場合には上からの命令に対して素直に聞くことはないのに、
黙って従うようになる。
命令の意味がよくわからずとも、緊急の場合はそれに従って実行するしかない。

戦争国家では、平和時の場合でも権力の集中は続く。
いつ戦争が起こるかわからないと思えば、軍事用の設備建設は急ぐ必要がある。
そうすると、その建設に必要な物資の生産も急がされる。
結局ありとあらゆることが関連して、中央集権的な国家に向かうことになる。
もちろん、戦時と平時は違う。
無条件に命令に従うのは、無理やムダが多く、効率が悪い。
平時には、そのへんを改善する時間のゆとりができる。
また、戦うためにも休息や娯楽は必要だ。
平時には、そこらも充実しなくてはならない。
戦争国家とは大変なのだ。

逆に平和国家においては、権力が集中する必要はない。
戦争ほど緊急に対応しなければいけない事項はないからだ。
問題が起こってから対応しても、大体間に合う。
火事や地震のような天災は対応方法が事前に定まっている。
前例に基いて執行すればよい。

その結果、平和国家においては権力の真空状態が生まれる。
最高指導者の役割が儀式化し、下部に権力の執行が委ねられのだ。
平和国家の日本はそのいい例だ。
平安時代には、天皇の権力は摂関に委任された。
鎌倉時代末期などは、天皇の権力は将軍にかなりの部分が委任され、
かつ将軍は傀儡と化して、執権に権力が移行していた。
そして、執権自体も北条氏嫡流である得宗家が勝手に差配するようになり、
非公式な得宗が公的な権力機関である執権に命令を下すことが、
当然のようになった。
そして、最後には得宗家の執事が、
その上に立って権力を行使するという自体にまでいってしまう。
このような体制は、平和時には何とか運営できても、
非常時の場合にはうまく動かない。
実力機関は公的な経路を通った命令が必要なのだ。
最大の実力者が命令を下したとしても、一度上の承認が必要になる。
形式的であったとしても、それ自体に時間がかかるし、
サポタージュでもされたら、途端にシステムが動かなくなる
しかし、これが日本のシステムであり、平和国家の一つのあり方なのだ。

第二次世界大戦前のアメリカにも、これと似たような所がある。
大統領は存在し、選挙で選ばれているのだから、傀儡になるようなこともない。
しかし、権力自体は極めて弱い。
連邦制であるので、多くの権限は州にある。
三権分立が厳格に適用されているので、議会はその力を手放さない。
戦争の脅威がなければ、大統領と協力しようなどど思わない。

第二次世界大戦後のアメリカはすっかり変わってしまった。
共産主義の脅威の元で、戦時にあるのが常態の戦争国家になったのだ。
大統領に権力が集中し始め、帝王制大統領などと呼ばれるようになる。

このように、戦争国家で権力が集中し、平和国家で分散するのは、
戦争という特別な理由がない限り人は権限を手放さないからだ。
平和国家で権力が分散するのは、本来自然な姿であって、
戦争国家が異常なのだ。
自己の権限を手放したくない、自分の利益を図りたいというのは、
人間本来の自然な姿だ。

それを無理矢理言い聞かせるには、特別な力が必要になる。
自己に権力を掌握しようとする熱意であり、他者との手間暇のかかる交渉だ。
日本の歴史では天皇にその熱意が失われた時点で、
権力が分散されていくのは必然だったと言えるだろう。

関連記事
世界は日本化へ向かう
一度も植民地になったことがない国 - 世界は日本化へ向かう(その2)
平和国家には尺度がない - 世界は日本化へ向かう(その3)
江戸時代は平和国家の完成形である - 世界は日本化へ向かう(その4)

このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURLはこちら