異をとなえん |

村上春樹氏と覚悟ある発言

2009.02.23 Mon

21:59:48

村上春樹氏が、イスラエルの文学賞の受賞スピーチで、
卵と壁の発言をしている。
ネット界では、話題になっているみたいだが、私は興味はなかった。
しかし、日経ビジネスオンラインの感想を読んで違和感を覚えた。
村上氏のスピーチを覚悟ある発言と評価しているのだが、
あれは覚悟ある発言なのだろうか。
私には典型的な気持ちのいい言葉に思える。

卵の側につくと発言だけするのは簡単な話だ。
しかし、具体的な支援方法がなければ、現在戦い続けている人たちに対して、
ほとんど役に立たない。

だからと言って、村上氏を批判しているわけではない。
私だって、平和の方がいいけれど、解決策があるわけではない。
だから、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にあるように、
「ケンクワヤソシヨウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ」というのは、
しょせん傍観者の意見だが、それなりの意味はある。
「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレ」ないかも
知れないが、一つの切っ掛けになるかもしれない。
これを機会に平和に向かう可能性はつねにある。

村上氏は単純な戦争の話ではなく、
現代の環境自体の話としてもしゃべっている。
卵とは個人であり、壁とはシステムだ。
しかし、システムを作り出しているのも各個人なのだ。
だとしたら、卵と壁は同一の物の二つの面にしか過ぎない。
その時、卵の側につくという事が何か意味を持つのだろうか。

小説家として、あるいは傍観者としてなら意味があるだろう。
ただ、それを覚悟ある言葉と称賛されると違和感を感じる。
覚悟ある言葉とは敵をつくることを怖れない発言なのだ。

私は敵を作りたくない。
コメントに対して、返答をするときに相手の感情を害したくない。
また、コメントを貰えることを期待して気をひきたくなる。
八方美人な態度をとって、あいまいにしたくなる。
だから、どう書いていいか悩んでします。
人間関係の付き合いが下手くそだなと自分で感じる。

それでも、何か物事を動かしたくて、覚悟ある言葉を使いたい。
小説家というのは、ある意味責任を回避することに全てを賭けている。
それはそれで、一つの道だ。
しかし、小説家の言葉が普通の人々にとっての覚悟ある言葉とは思えない。
「気持ちがいい言葉」ではなく、
「覚悟ある言葉」を使うという態度に共感するからこそ、
小説家の言葉を覚悟ある言葉と評価することに激しく違和感を持つ。

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