異をとなえん |

中世の終わる時 - 理想国家としての日本(その9)

2008.10.29 Wed

03:16:31

中世の始まりでは、地域は経済圏として自立した。
しかし、時間と共に経済は発達して生産が増え、地域ごとの特色が生まれ、
独自の製品を生産していく。
交換による利益を得るために、各地の間での交易が盛んになっていく。
地域ごとの交易が盛んになるにつれて、交易をより発展させるための、
システムの重要性が意識されるようになる。
通貨制度の統一、物流の整備、各種法律の整備等である。
これらのシステムを統合する事を要求するエネルギーは、
分権化された政治システムの統合を要求し、
国家は再度の統一に向かう。
その結実が絶対王政などとなる。

日本では、織田、豊臣、徳川政権であり、
西ヨーロッパではルイ14世のような絶対王政である。
日本と西ヨーロッパでは権力の統一主体に差がある。
日本では下剋上によって、下からの力が最終的にまとまって権力が樹立された。
それに対して西ヨーロッパでは、その当時の王権が力を増して、
他の貴族の力を削いで権力が樹立された。
しかし、これはそれほど重要視すべきではないと思う。
結局の所、統一を担った所に権力が集中したに過ぎない。

理屈が思いつかない事の言い訳なので、さらっと流して欲しい。

また、なぜ権力が絶対的になったかという問題がある。
これは統一のエネルギーが一点に集中したからだ。
統一の過程での争いが指導者に権力を委ねる事を要求し、
結果、統一完成時点で指導者の権力は頂点に達する。
だが、それ以後は得に権力を集中する事に意味がないので、
緩やかに減退していく。

江戸時代、徳川家康以降の将軍は巨大な権力を振うことはない。
西ヨーロッパでは絶対王政以後は市民革命の時代に突入してしまう。
日本との違いについては別の話になる。

西ヨーロッパの場合、王政の権力が非常に強くなった事には対外的な面も大きい。
ルイ14世は統治期間のほとんどを戦争に励み、領土を増やしていった。
外国との戦いは国内の意識を敵に向け統一性を高めた。
さらに、フランスが一つにまとまり他国との戦いを有利に進めるようになったことは、
他の西ヨーロッパ諸国を刺激したはずだ。
一つにまとまらなくては勝てないという意識が、
他の国の間でも国内的な統一を促進することになる。

かくして、地域の分権化で始まった中世は、地域の再統一で終わる。

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