異をとなえん |

古代と中世をわかつもの - 理想国家としての日本(その6)

2008.10.24 Fri

04:37:12

西暦1200年ごろ鎌倉幕府ができて、武家が優位に立つまで、
天皇家は日本の権力を握っていた。
西暦400年ぐらいに日本をほぼ統一してから約800年、
古代と呼ばれた時代である。
鎌倉幕府以後は中世になるが、
この古代と中世を分ける政治変動を引き起こした原因はなんだろうか。

結論から言ってしまうと、荘園における生産性の向上が、
小さい単位で軍事力を保持する事を可能にし、
その軍事力を編成する事によって、従来の権力構造を崩壊させ、
新しい権力構造が生まれたのだと思う。

古代の軍事力は当初極めて弱かった。
生存に必要なもの以外の余剰は少く、武器は満足に揃わない。
戦闘要員も独立した人間を持てないので、
最初の争いでは共同体全員が戦いに加わって行なわれただろう。
小さな地域が大きくなっていくにつれて、
ある程度専業とした軍事力が作られ、鉄を武器としていく。
大和王朝は、この流れを作り出す事によって他を圧倒していった。

大和王朝が技術者集団を各種保持している事から、
各地域の農村では、そのような技能を持つ人間は存在せず、
余剰農産物と人員のみを中央に供給していたと思われる。
戦闘要員は、農村から徴集された人員が武具を渡され、
訓練を受けることによって生まれた。
逆に言うと、各地域自体は戦闘能力を持たず、
中央からの指示に従わざるを得ない状況だった。

日本の歴史では、
当初農民の反乱がほとんど起こらなかった事は、これが理由だろう。
古代に起こった日本の反乱は、
ほとんどが権力者同士の争いで、下層の人間はいない。
943年の藤原純友と平将門の乱は地域から起こった始めての事件となる。
この事件が起こった背景には、各農村の生産力が向上し、
地域ごとに軍事力を持てるようになった事情がある。
当初は中央からの指示に従わざるを得なかった地方も、
生産力の向上で武具を自前で揃える事ができる。
馬も持てるようになる。
各地域ごとに軍事力を保持し、中央の横暴に戦う事ができるようになる。
中世の本質はここにある。

それよりも早く土地制度に大きな変化があった。
古代では耕地は国有地であり、
農民は耕作すべき土地を与えられ、収穫物を納める、
言われたままに働くしかない存在だった。
それが、荘園制の普及と共に変わっていく。
個人で開墾をし成果物を納める事ができるようになった。

つまり、現在では派遣契約から請負契約に変わったような物だ。
請負契約では創意工夫によって生産性を伸ばす事が可能になる。

請負契約と軍事力の保持は、生産性の向上が、
即農民の利益につながる社会を生みだした。
これが中世といえよう。

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