異をとなえん |

帝国モデル - 理想国家としての日本(その4)

2008.10.22 Wed

04:32:03

理想国家としての日本
で考えたように、
日本を標準的な発展モデルとすると、
西ヨーロッパ以外の世界は大きく異っている。
日本と西ヨーロッパ以外の地域は帝国による興亡の歴史だといっていい。
この歴史の推移するメカニズムを帝国モデルとする。
日本と西ヨーロッパは標準モデルとしておこう。

帝国モデルは中国が一番いい例だ。
幾つもの王朝が生まれては滅んだ。
分裂と統一が繰り返された。
しかも、人口はあまり変わっていない。
漢王朝の時代に既に5千万の人口となり、
清の時代まで戦乱によって上下動をしながら、1億人を越すことはなかった。
大停滞を続けたといっていいだろう。
これが帝国モデルだ。

帝国モデルでは、支配が緩み各地域が自立すると、外敵が侵攻してくる。
理論的には外敵のタイプはいろいろ考えられるが、
ユーラシア地域の歴史をたどれば、この場合の外敵は遊牧民族と言っていい。
帝国は既に堕落しているので戦闘力がない。
敗北した結果、新しい帝国が生まれる。
その戦争によって、人口が大幅に減少し、生産性は下がる。
搾取も強化され、また最初に戻ってしまうことになる。

遊牧民族が農耕民族を支配している帝国もありえる。
その場合は、堕落した帝国は追い出され、農耕民族による帝国が復活する。

古代ローマ帝国も帝国モデルだ。
しかし、その後西ヨーロッパは帝国モデルから脱却し、標準モデルに変化していく。
帝国モデルと標準モデルを分けたのは、外部から侵攻しやすいかどうかだった。
西ヨーロッパは西ローマ帝国が滅んだ後、
フランク帝国や神聖ローマ帝国のようなある程度のまとまりはできるが、
総じて分裂を続けていく。
中国でもある程度の分裂をしたが、結局は統一に向かう。
西ヨーロッパが統一に向かわないのは、
各地域が地理によって小さく分かれているので、
防御しやすく侵攻に抵抗できるためだろう。

歴史的に見れば、モンゴル帝国の最大支配領域が遊牧民族による征服の可能な領域であり、
帝国モデルとしての発展というか、停滞が運命づけられた領域となる。

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