異をとなえん |

「想像の共同体」感想

2008.09.24 Wed

18:06:13

ベネディクト・アンダーソン著「想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行」を読む。
図書館で借りたので増補のついてない1987年発行の旧版の方だ。

目次は次の通り。

I 序
II 文化的根源
III 国民意識の起源
IV 旧帝国、新国民
V 古い言語、新しいモデル
VI 公定ナショナリズムと帝国主義
VII 最後の波
VIII 愛国心と人種主義
IX 歴史の天使

ナショナリズムについての古典らしいということで読んでみた。
最初の部分はわかりづらかったが、
具体的に国民国家が成立する話になると納得できる。

「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である」(P17)

この言葉だけは本を読まずとも知っていた。
そして、国民国家が想像の共同体だという結論は納得できる。
しかし、その結論から何が言えるか、発展する所がなくて、
それがどうしたと思う。
肯定的なのか、否定的なのか、すらわからない。
ナショナリズムによって数千万人の人間が死んだとしている所から、
否定的に見えるがはっきりとは、わからない。
なんらかの展望を示すべきではないだろうか。

自分なりの国民国家論をまとめる時に参考になると思うので、
各章の内容を簡単にまとめてみる。

第1章「序」
「国民はイメージとして心の中に想像されたものである。」(P17)
顔をつきあわすことができる小さな共同体より大きなものは全て想像の産物。
「国民は、限られたものとして想像される。」(P18)
成員は限られている。全人類などという事はない。
「国民は主権的なものとして想像される。」(P18)
宗教の自由が認められる。
「そして最後に、国民は一つの共同体として想像される。
なぜなら、国民のなかにたとえ現実には不平等と搾取があるにせよ、
国民は、常に、水平的な深い同志愛として心に思い描かれるからである。」(P19)

第2章「文化的根源」
宗教共同体、王国の衰退。
新聞に見られる同時性の概念の発見。

第3章「国民意識の起源」
出版物が発展したことによって、
ヨーロッパにおいてラテン語が衰退し、各俗語が発達した。

第4章「旧帝国、新国民」
十八世紀後半から十九世紀初頭の南北アメリカ大陸での、
各独立国の分析。
これはヨーロッパにおけるナショナリズムと二つの点で違っている。
言語は本国と植民地で異ならない。
独立運動を主導したのが中産階級でない。
言語が同じでも分裂する。
領域は行政地域と変わらない。

第5章「古い言語、新しいモデル」
俗語が発達し、それぞれの地域で、官僚制その他で使われる言語になっていく。

第6章「公定ナショナリズムと帝国主義」
国民国家という概念が普及し始めると、王朝国家は変質を余儀なくされる。
国王、皇帝は国民に帰化し、全領域に国民語を強制的に普及させる。
「公定ナショナリズムは、ほんとうは、民衆の想像の共同体から排斥されるか、
そのなかで周辺化されそうになった権力集団による応戦だったからである。」(P180)

第7章「最後の波」
第二次大戦後の独立国の分析。
南北アメリカ大陸の独立国と似かよっている。

第8章「愛国心と人種主義」
ナショナリズムはなぜ、国に対する自己犠牲的な愛を起こせるのか。
ナショナリズムはなぜ、人種主義的偏見をもたらすのか。
それらの分析。

第9章「歴史の天使」
フランス領インドシナの独立国の分析。
社会主義を主張する国々が王朝国家の伝統を継続する。
公定ナショナリズムが妥当なモデルとなる。

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