異をとなえん |

日銀は刷ったお金を自分のものにできない

2013.01.19 Sat

21:58:06

「1兆円の硬貨を発行するくらいなら、お札を1兆円発行して国庫納付金として国へ納入すればいいんではないでしょうか。」というセリフを読んで少し絶句してしまう。

「日銀と紙幣増刷と国庫納付金」という記事の最後の文なのだが、間違っていることをどう説明すればいいのか。
うまく説明しようとすると、空回りしそうだ。
実際、私も管理通貨制度の概念を理解したのは社会人になってからだった。
それでも、わかるように何とか説明してみたい。

第一に理解しなくていけないのは、日銀はお金を刷ったとしても、それは使えないということだ。
正確には貸すことだけはできるけど、消費することはできない。
これは金に兌換できなくなった紙幣を使う場合の絶対的原則といっていい。

理由は刷った金で消費することは、国民から金を盗むことと同義だからだ。
無から有は生まれない。
紙幣を刷るだけで幾らでももうかるならば、日銀の職員は働かなくていい。
贅沢三昧ができる。
もちろんこんなことはおかしい。

1000兆円が流通している所で、1000兆円新たに紙幣を刷って、それを勝手に使うことができるならば、円の価値は半分になる。
実際にはこんなインチキがまかりとおるならば、円の信頼は完全になくなって無価値に一直線だろう。
だから国民が気づいていない場合としてだ。
正確にどのくらい円の価値が減少するかは難しい判断となる。
でも間違いなく一人一人の持つ円の価値が減少することで、国民から金が盗まれていることになる。

でも膨大に金を使うのではなくて、ほんのちょっぴりごまかすだけだったらわからないのではと思う人もいるかもしれない。
確かにそうだけど、それは見つからなかったら盗んでもいいという考え方と同じだ。
お金の多寡が問題というより、盗まないことを絶対原則にすべきだ。
だから、紙幣を刷ったとしても、それは日銀のものにならないのだ。

管理通貨制度では日銀ができることは金を貸すことだけだ。
利息がついて返ってくる分だけ、日銀の利益となる。
だから、日銀の役割は無利子で金を借りられる銀行のようなものだ。
その奥にはお金の神様がいる。
日銀が金を貸すときはその神様から金を借りてくる。
そして、金が返ってくると、利息以外の分は直ちに神様が金を持っていってしまう。
利息分が日銀の儲けになるが、この儲けのほとんどは神様のおかげだ。
それで儲けのほとんどは国庫納付金として、国に納めることとなる。

引用開始

日本銀行は紙幣を発行してもそのままでは市場に出回ることは無いといわれています。だから市場から国債などを購入したりする必要があるのだというように説明されています。

でも、日銀にある余ったお金は国庫納付金として国へ納付されます。
引用終了

上で述べたように、日銀は元本自体には手をつけられない。
だから余ったお金などない。

1兆円の硬貨発行というような発想もほとんど同じだ。
本質的にはインフレによって国民から金を盗もうとしているだけだ。

現在国債は幾らでも低金利で発行できる。
本当にお金が必要ならば国債を発行すればいい。
それなのに、1兆円硬貨のような奇策が出てくるのは、なんとか国民から金を盗もうとしているのに気づかれたくないからだ。
国債を発行すれば、いつかは税金として負担がのしかかってくる。
だから国民はムダな金を使わないように予算を気にかける。
それが魔法みたいに、「国債の発行をしないで国庫にお金が増える」と国民に錯覚してもらえば、好き勝手に使うことができる。
そんなわけがない。
無料のランチなど、この世にはないのだ。
少しアレンジしたけど、出典はロバート・ハインラインの「月は無慈悲な夜の女王」から。

私にとって思想的に最も影響を与えた本だ。
紹介したくて引用してしまった。

このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURLはこちら