異をとなえん |

「2位じゃダメなんでしょうか?」は、なぜ批判されたのか?

2013.01.17 Thu

21:35:04

蓮舫議員の有名な発言「2位じゃダメなんでしょうか?」は、なぜ批判されたのだろうか。
私には共感する部分もあったのだが、ネットでは袋叩きになっている印象がある。
私の答えは発言が政治家のものではなく、評論家のものであったことだ。

蓮舫議員は民主党政権発足時の事業仕分けにたずさわった。
スーパーコンピュータの仕分けをした際には、「世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?」と予算の妥当性について理由を求めた。
そして、次世代スーパーコンピュータ開発の予算を削減した。
その後、ノーベル賞受賞者たちから、科学では一番を目指すのは当然であり、二番ではダメなのというのは愚問だ、と批判されることになった。
ネットにおいても、同じような批判を大量に受けている。

しかし、スーパーコンピュータ開発の妥当性においては幾つかの批判もある。
下記は典型的なものだが、要するにあまりにもコストパフォーマンスが悪くて、「スパコンの名を借りた公共事業」ではないかと言うのだ。
スパコンの戦艦大和「京速計算機」
ただ、事業仕分けの際には蓮舫議員の発言を擁護する意見をネットではほとんど見なかった。
その理由は何だろうか。

一番の理由は発言が政治家のものではなく、評論家のものであったことだ。
蓮舫議員の発言を推測するに、私はこのようなやり取りを期待したのではないかと思う。

官僚:世界一のスーパーコンピュータ開発を目指します。
蓮舫:世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?
官僚:理由は、これこれこうです。
蓮舫:(納得できた)それなら認めましょう。
   (納得できない)そんな理由では国民の同意が得られません。

「蓮舫 2位じゃだめなのか」に書いてあるやり取りを見ると、官僚は全然理由を説明できなかったようだ。

こんな感じだろうか。
官僚:世界一のスーパーコンピュータ開発を目指します。
蓮舫:世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?
官僚:(別のことをぐだぐだ言う。)
蓮舫:理由がなければ削ります。

その結果ネットで批判の渦が巻き起こったわけだ。
でもこうだったら、理由を説明できない官僚が悪いように思う。

官僚の場にいるのがノーベル賞を受賞した科学者たちだったら、理路整然と理由を説明したかもしれない。
そして、激しい議論をして認めるか認めないかは別にして、その議論自体に焦点が当たっていた可能性がある。
しかし、答えることができなくては弱いものいじめに見えてしまう。
つまり、きちんと理由を説明できる官僚を相手にするのでなければ、質問形式によって議論を起こそうとするのは意味をなさないのだ。
理由を説明できなければ予算をつける必要がないというのは正論だが、実際には予算を作成するときに多くの人間がかかわっているので、ある程度の慣性がある。
その慣性を止めるには、自分も力でぶつからなければならない。

最初から、世界一になっても使うユーザーがいなければ作る必要がないと主張すべきだった。
そうすれば、世間から世界一自体に意義を認めないと受け取られることもなかったのではないか。

質問形式で議論をして、当否の判断をしようとするのは評論家の方法だ。
けれども政治家は立場をはっきりしなくてはならない。
後知恵で責任を回避しようとしてはいけない。
旗幟を鮮明にして、どちらかに立つ必要がある。
調停役ではまずいのだ。

私も評論家的立場にたって責任を回避しようとする傾向がある。
いや、政治家ではないのだから、それでもかまわないのだけれど、政治家はそれではいけない。

このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURLはこちら