異をとなえん |

対日強硬論の体制へ - 中国新体制のメンバーが決まる(その4)

2012.11.26 Mon

21:42:42

私の考えている政治の原則として、中間派が最大勢力を占めていることと、国民の間に不満が多ければ政治闘争は激しくなるとの二つを挙げた。
このことを前提にして、中国の新体制について考えてみたい。
まず第一に明白だと思われるのは、常務委員のメンバーのほとんどが前総書記たる胡錦濤と関係が薄い人物が選ばれたということだ。
江沢民派がほとんどという意見も多いが、胡錦濤が10年も一応最高指導者を務めていたことと、基本的に中間派が最大勢力を占めているという理屈を考えれば、彼らのほとんどが党の総意を代表していたと思われる。
それでは党の総意とはなんなのか。
胡錦濤の力が弱まっていたことを考えると、たぶんに胡錦濤の主張とは反対の意見が多数派になったと見られる。
胡錦濤の主張で思いつくのは、対日穏健論であり、和諧社会論だ。
対日穏健論とは基本的に日本とは仲良くやっていこうという主張だろう。
和諧社会論というのは、よくわからない。
「みんなで仲良くしましょう」というような理屈で、ピントがずれているように思う。
具体的にどうしたいのか日本から見ているとわかりにくいのだが、本質は穏健論ではないかと思う。
急激な変化は避けて、じっくりやっていこうという話だ。

そう考えてくると胡錦濤に対する反対派の主張は強硬論ではないかと思う。
日本に対して強硬な政策を採るべきという意見であり、社会に対してもより急激な政策が必要という意見だ。

「就任演説に現れた習近平の本性」を読むと、習近平体制の目指す政策が見えてくる。

引用開始

習氏の前任者の胡錦濤国家主席は、「調和のとれた社会」の実現という政治スローガンを掲げ、対外協調路線を進めてきたが、党内の保守派から「弱腰」と批判され続けた。保守派に多い軍などを主な支持基盤としている習氏は、胡路線との違いを際立たせることによって、自身の求心力を高めようとする思惑があるとみられる。習氏はこの日の演説で、胡氏の政治スローガンの「科学的発展観」も「調和のとれた社会」も一切言及しなかった。前任者を完全に無視した。

 尖閣問題や南シナ海などの領土問題で今後、習政権は胡政権より強い姿勢で臨む可能性が高いことを内外に印象付けた。
引用終了

また、毛沢東時代の用語を使ったり、改革派の意見を無視している。

これは上の推測を満たしていると思う。
新しい中国の体制は、対日強硬体制であり、表面的な毛沢東時代への回帰を目指す可能性が強い。
そういうことを、

** 民主主義的政治改革論

なぜ対日強硬論の体制に向かうのか、政治改革に対する立場から考えてみた。
経済が成長し、生活が豊かになっていくならば、国民は政治に不満を持たない。
政治参加を求めることもないだろう。
けれども、経済が成長できずに生活が改善されなければ、国民は政治に不満を持ち始める。
自分たちの生活が改善されない理由が政治だと思うからだ。
経済成長の停滞の理由がどうであろうとも、変化を求めて政治への参加を国民は欲求しはじめる。
とりあえず指導者を変えてみたいわけだ。

当然のことながら、民主主義的な指導者の交代のシステムが整っていない場合、その欲求は簡単にはかなえられない。
だから多くの国が納得できる民主的なシステムができるまで混乱が生じるわけだ。

その他にも、民主的な政治システムが必要な理由はある。
たとえば環境問題だ。
経済の成長によって、環境汚染などの外部不経済が発生することはよく知られるようになった。
これは中国でもすでに周知のことだと思うのだが、なかなか改善されない。
工業などの発展によって、国民所得が10増えたとしても、環境問題による外部不経済で15の損失が発生すれば、何の成長にもならなくなる。
しかし環境問題による損失がどれほどかは、簡単には計れない。
だから企業側は常に低く見積もり、住民側は高く見積もる。
雀の涙ほどの損害賠償を後で提示されたとしても、汚染にさらされる側は納得できない。
実際の損失がどうであろうとも、住民全体の同意が取り付けられない限り、開発中止を要求する。
ここに住民全体の同意を取り付けるためのシステムとして民主主義が要求される。

現在の中国では住民の間のデモなどによって、先進国では環境規制によって問題がないことがわかっていても開発が止まることがある。
あるいは、広く世の中では知られていなくとも、企業が勝手に汚染をばらまいていることもある。
民主主義的な住民の意見を集約する方法がないために、権力の都合によって基準がころころ変わっているのだ。
政治改革はこのために必要だ。

その他にも、貧富の格差の問題がある。
中国は高度経済成長が続いてきた。
資本による収益率が極めて高かったために、大富豪が大量に生まれた。
個人の能力というよりも、政治家とコネを持っているかどうかが一番大事という、かなりゆがんだ選抜の結果だ。
政治家とのコネを持たない普通の国民は、それを不満に思っている。
これを改善するためのシステムとしても、民主主義が必要になる。

習近平体制はこれに答えることができるだろうか。
胡錦濤は10年間何の改革もしなかった、という批判がある。
民主主義的な改革をすべきなのに、共産党独裁体制は全然変わらなかったという批判だ。
共産党は民主主義の旗を掲げていないので、その批判は的外れだと思うのだが、改革をせずにすんだのは、高度経済成長が続いたので国民の不満を押さえることができたからだ。
習近平体制では、高度経済成長が難しくなる。
本当に難しいかは議論の余地があるけれども、資源制約や現在の世界経済の不調を考えると、ほぼ確実だといっていい。

そうすると、どうしても国民の不満を吸収するために民主主義的な改革が必要になるわけだ。
けれどもこれは非常に困難だ。
共産党による独裁統治は、民主主義的な改革を受け入れれば、それを続けることの正当性がまったくない。
昔は社会主義を実現するために共産党の支配が必要だという理屈があった。
しかし、社会主義の実現は遠くなり、中国は国営企業が主体の単なる市場経済国家でしかなくなっている。
その場合一度でも民主主義改革を受け入れれば、共産党の支配は崩壊してしまうだろう。
共産党の権益構造にずっぽり漬かった人たちは、それだけを避けようとする。

共産党の支配を正当とするために、江沢民は反日政策を開始した。
共産党こそが抗日によって中国の独立を守ったのだから、中国を統治する権利を持っているという理屈だ。
習近平体制もこれを踏襲する可能性が非常に高い。
反日政策は経済成長自体に悪影響を及ぼすとしても、反日という目標を掲げないと共産党の支配が貫徹できなくなっているのだ。
そして対日強硬論によって、改革への不満をそらし、現在の体制を維持しようとするだろう。

毛沢東路線への回帰という話も書いたが、こちらは簡単にはできない。
基本的に貧富の格差を是正するための平等主義的な立場だが、いまや指導層のほとんどが莫大な資産の持ち主と推定されていては、平等主義など実施できるわけがない。
表面的な贅沢禁止の方針を打ち出して回避するのが関の山ではないか。
もちろん、共産党内部で本質的な毛沢東回帰路線が浮上する可能性はあるのだが、これについての帰趨は簡単には読めない。
テロによって軍部を中心にした政権ができる可能性を考察したこともあるが、まだ可能性だともいえる。
結局私に言えるのは、習近平体制が対外強硬論によって共産党支配の構造の温存を図るだろうことだけだ。

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