異をとなえん |

中間派が最大勢力 - 続:中国新体制のメンバーが決まる

2012.11.19 Mon

21:59:19

前の記事では、政治の基本原則と中国の未来予測について書こうとして、言いたいことが散漫になってしまった。
もう少し意見をまとめておきたい。

まず、私の政治に対する基本理解だ。
派閥争いにおいての基本原則は、組織は普通中間派が最大勢力だということだ。
日本の会社でも会長派と社長派が争っているなどという話をよく聞くが、普通はどちらの派にも属さず会社のために全力をつくしている社員がほとんどのはずだ。
これは組織というものは、目的があって形成されているものだから、組織のメンバーはその目的を目指して活動するのが本分になる。
派閥という名前で批判されるものは、組織の中で権力を争うための集団だ。
組織の目的をどう達成するかのための集団ではなくて、目的の達成に関係なく自分たちの派が権力を握ればそれでいいと考えている。
権力争いは組織の本分ではない。
だから普通の人間は派閥に対して批判的になる。
派閥のような人間関係ではなく、目的をどう達成するかの観点から是々非々で判断して行動する。
それが普通だ。

じゃあ派閥争いはないかというとそうではない。
人間関係による派閥はなくとも、政策による派閥はできるからだ。
政策を大義名分にしているだけで、実際は人間関係だというような派閥だとしても、中間派をひきつけるために政策を看板にするしかない。
その対立の元となる政策によって組織はどうしようもなく分かれ、争うことになる。

けれども、最初に述べたように組織に参加していることは根本の目的では一致しているはずだ。
社会共同体のように、メンバーには目的がなく自然に参加している場合もあるけれど、その場合は社会共同体、それ自体の安全保障が目的だ。
中国共産党の場合、中国に共産主義を実現することが目的であるはずだ。
その目的に対して全党挙げて活動するのが建前となっているから、派閥は基本的にないことになる。
みんな中間派であるわけだ。

中間派が最大勢力であるというのは、このような理屈だけではなく、勢力争いの現実においても必然的だ。
これは中間派が存在せず、全てのメンバーが派閥に属している場合、権力争いの勝者の派閥がすぐ敗者の派閥を一掃してしまうからだ。
政治闘争の場合、勝者はあらゆる手段を使って敗者を追い詰めることができる。
法の支配がなければ敗者を殺すことや、罪に問うことも可能だ。
近代的な法の支配があったとしても、敗者を指導部から追い出すことは可能なことが多い。
たとえば7人のメンバーの多数決で意思決定する組織があって、4人が派閥を組んで行動をし、事前に自分たちだけで意思を統一して行動するようにすれば、残り3人のメンバーの意見が無効にされるのは明らかだ。
遅かれ早かれ残り3人は追い出されてしまうことになるだろう。
その場合、補充人員の3名は4名と同じ派閥に属すわけだから、その時点では全員同じ派閥で結局中間派扱いとなる。

このような原則の例外と言えるのが、
朝鮮の党争だ。
李朝朝鮮では党争が激烈で、たいしたこともない政策で激しい権力争いをしていた。
喪に服する期間が何日とか、他の国から見るととてもくだらないことで殺し合いをしている。
その理由の一つが中間派がないということだ。
朝鮮では儒教の普及につれて、血族集団が大きくなっていった。
官僚たちは、同じ血族集団に属しているならば、基本的に同じ行動をとる。
つまり派閥と同じだ。
中間派が存在する派閥争いでは、誰がどちらの派につくかは明白ではない。
状況に応じれば寝返りもある。
しかし、朝鮮の党争では血族集団は一致して行動するので、寝返りとかはない。
そうすると党争の勝者は敗者を完全に一掃してしまう。
物理的に抹消するわけだ。
上に書いた理屈から言えば、勝者の中では中間派が生まれるはずなのだけど、血族集団だから血の濃さによって関係が決まり、すぐに中間派が存在しなくなってしまう。

そんな例外もあるけれど、派閥争いにおいては中間派が最大勢力であるというのが基本原則だ。

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531 国民の間に不満が多ければ政治闘争は激しくなる - 中国新体制のメンバーが決まる(その3)

中間派が多数を占めれば、争いがなくなるかというとそうではない。 たとえば、旧ソ連のブレジネフ時代からゴルバチョフ時代の前までは、最高指導部の間で争いはほとんどなくなっていたように見える。 汚職事件による失脚とかはなかったと思うし、権力の座から追われるとしてもゆっくり引退に追い込まれるようなものだった。 争うよりも自分たちの権益が重要になり、それさえ保障されれば権力闘争のような