異をとなえん |

意思決定システムとしての独裁者 - 平和型国家論(その5)

2012.09.18 Tue

21:21:58

平和型国家論にまた戻りたい。
戦時において指導者に権限が集中し、極めて重要であることは前回に述べた。
同じことの繰り返しになってしまうが、指導者への権力集中が別の面からも必要であることを書く。

安全保障が国家にとって極めて重要ならば、その意思決定をどうすればいいのか。
意思決定にも大方針から些細な問題までレベルが分かれる。
まず、大本の仮想敵国を設定し、戦略を練らねばならない。
いや、そもそも仮想敵国の設定こそが重大事だ。
単純に二カ国が並立し仮想敵国が自動的に決まってくる状況でなければ、複数の国から対立し戦争を覚悟しなければならない国と友好関係を築き同盟を結びたい国とを分けなければ成らない。
その判別自体、自国の意思によって決まることも、全体的状況から勝手に決められてしまう場合もある。
国家はそれらの外交関係も含めて、自国の存亡のために最善の戦略を練って決定しなければならない。
外交関係の決定から始まる政略、仮想敵に対してどう戦うかの戦略、これらに国家の存亡と国民の生死がかかることになる。

この政略、戦略をどう決定するか。
民主主義国家なら国民全員が判断することでもあるが、そもそも人数が多ければ意思決定自体に時間がかかる。
GPS将棋は前回のコンピュータ将棋大会では797台というマシンをまとめて思考したのだけれど、それだけの台数があると意思決定にも時間がかかる。
もちろんコンピュータだから人間とは比べ物にならない速さで決定できるのだけれど、他のコンピュータに比べると遅い。
最低でも3秒かかって、あやうく時間切れ負けになりそうだった。
人間の場合でも同じだ。
多人数の意思決定には時間がかかる。
また、決定の方法も問題だ。
多数決が正しいとは限らない。
基本的には議論することにより、全員が最善の方法を理解して一致するのが理想だが、一致すること自体が確定的でないし、そもそもそれでは時間がかかりすぎる。
そうすると細かいことを一々全員で議論していてはならず、指導者に一任するという方式が生まれてくる。

また他国からの攻撃が不意をついて実行され、複数の人間が集まり意思統一を図る時間がない場合には、指導者は一人で全責任を持って行動しなければならない。

さらに戦争においては、混乱した複数の命令が同時に出されては最悪だ。
速やかに行動しなければならないのが、矛盾した命令が出されては実行が止まってしまう。
そうならないように、最高指揮官である指導者からは命令が一つのラインとして走り、末端まで届かなければならない。
つまり、国家は軍隊みたいにきちんと上下が定まり、直属の上司から命令を聞き、それを実行する形に作られる必要がある。

ローマ共和制では、平時執政官が二人いた。
戦争を前提にしているならば、おかしいかもしれない。
しかし、執政官が二人というのは、一人はローマに居残って統治を行い、一人は外征の指揮官をするというのが基本のスタイルと思われる。
当時の状況では二人いても、独立に行動するので、命令が別々に出される混乱は起こらない。
危機の場合、つまりローマという都市が外部からの攻撃によって包囲されるような場合は、二人が指揮官だと混乱してしまう。
そこで一人の人間が都市防衛の全責任を持つ。
それが独裁官というわけだ。

指導者はこのように戦時においては独裁者として行動する。
第二次世界大戦当時、日本を除いた各国は指導者に権力を集中して戦争を戦った。
ドイツのヒットラー、イタリアのムッソリーニ、ソ連のスターリン、イギリスのチャーチル、アメリカのルーズベルトと自国の全ての権限を掌握し、戦争体制がスムーズに動くようにした。
民主主義国でもチャーチルやルーズベルトは軍事面でも政略面でも独裁的な権限を手にしていた。
誰に説明することもなく、その権限を行使できたのだ。
日本は東条英機が首相兼陸相兼参謀総長と複数のポストを兼任することによって、システムを動かそうとした。
けれども海軍には手がつかなかったし、他の閣僚や、元老と呼ばれる人たちを制約することはできなかった。
結局、日本はついに完全に一体化して戦争を推進することができず、バラバラに戦い続けた。
戦時という危機感が足らず、些細なことであっても反論せずに従うことを徹底的に嫌がったわけだ。

戦時下ではこのように意思決定システムという点でも、指導者への権力集中が推進される。
次回は指導者の能力について述べたい。

このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURLはこちら