異をとなえん |

平和型国家の定義のやり直し - 平和型国家論(その3)

2012.09.13 Thu

21:23:13

文章にしてみると、今まで深く考えなかったことを考えるようになる。
日本は明治維新後、平和型国家から戦争型国家への転換を図ったなどと書いてみると、定義がどうもあいまいな気がしてきた。
つまり日本は明治維新から太平洋戦争まで戦争型国家だったのかという質問が生まれてくるのではないだろうか。
その質問に対する私の回答は違うだ。
それでは平和型国家と戦争型国家では何が違うのか。
平和型国家というのは、長い期間の平和によって価値観、思想がそれに合わせて変化した国家だ。
日本は外敵との戦争が極めて少なく、あったとしても短期間だった。
その結果、戦争がない状態を普通のことと思い、それに合わせて価値観、思想を形作っていった。
だから平和型国家というのは平和ボケした国家といっていい。
それに対して、戦争型国家というのは外敵との戦いが常に起こっているような国家だ。
そのような国でも平和な状況というのはありうる。
けれども価値観が戦争を常態としている状態に合わせて作られているならば、戦争型国家のままとなる。

日本は明治維新後、戦争を常態とする国へと変わっていった。
しかし、平和型国家の本質である価値観や思想はそう簡単には変化しない。
だから日本は平和型国家のままであったわけだ。
中央集権が促進されるとか、戦争に対応するための各種制度は作られていくが、精神は簡単には変貌しないから、どうしてもずれていく。
太平洋戦争のときの陸軍と海軍の深刻な対立が、その一つの例となる。
国家の危機であることを肌レベルで感じているならば、当然国の意思を統一するために、あらゆる処置を取ろうとしたはずだ。
大日本帝国憲法が総理大臣のリーダーシップを保証していないなどは枝葉の事情に過ぎない。
日清日露戦争のときにできたのは亡国の危機を指導者たちが共有していたからであり、太平洋戦争のときにできないのは国が潰れるはずがないと錯覚していたからだ。
危機を共有できなければ、どうしても平和型国家の精神がよみがえってしまう。
自分たちの権力をできるだけ他者にゆだねたくないという、権力分散の性質が強くでて、国自体の分裂をまねいたわけだ。

そもそも国家というものは、外敵に対する安全保障から生まれたと思っている。
外敵から自分たち共同体を守るために、戦士ができ、指導者ができる。
階級も戦士や指導者から生まれたのだと思う。
マルクス主義の唯物史観では、国家は階級闘争の結果生じるが、私には逆としか思えない。
だから、平和型国家というのはある意味字義矛盾なのである。
国家は戦争に対応するために生まれたものなのに、戦争を意識しない点がおかしいわけだ。
これは日本という国が生まれてから直ぐに、日本列島全体を支配することになり、外敵がいなくなってしまったからだ。
日本という国に住んでいる人たちには、世界が統一されたのだ。
ある意味世界連邦とかの先駆けだ。

外敵を全て倒すことによって生まれたのが日本という国であり、結果として戦争を意識しなくなった。
その結果価値観が変化し、平和型国家に変化したのだ。

その価値観や思想について書いていくわけだが、その前にやはり国家の制度について書かなくてはならない。
今までは権力の集中について書いていたが、次回は指導者について続ける。

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