異をとなえん |

平和型国家は権力集中を嫌う - 平和型国家論(その2)

2012.09.12 Wed

21:22:08

前回、戦争型国家では権力が集中すると述べた。
権力が集中するといっても、究極の形態として1個人に集中する場合と簡単に集まって意思をまとめることができる人数の場合とがある。
複数の場合は会議によって意思をまとめることができるのは7人ぐらいといわれるので、そのぐらいが上限となる。
民主主義国家では複数選んで意思決定するシステムはかえってメンバーの選択が難しい。
さらに集まっても目的のために心を一つにすることが難しいので、普通は一人だ。
複数のケースは中国、ベトナムあたりの社会主義国家ぐらいだろう。

それに対して平和型国家では権力が分散する。
戦争の危険を想定しなければ、たいていの問題では意思決定を急ぐ必要はない。
だから日本の江戸時代では国自体が複数の藩に分かれ、軍事力は分散して指揮されていた。
別にこれで困らなかったからだ。
これは江戸時代が封建時代で、権力が地域ごとに分散する性質を持っているのも理由だが、封建時代でも元寇の時には北条氏の下一元的に軍事力が行動できるように整備されていたし、豊臣時代にも朝鮮出兵の場合には統一的に指揮できる軍隊の整備が行われていた。
朝鮮出兵では、加藤清正と小西行長の行動の分裂もあったが、豊臣秀吉のレベルでは一元化されていたことになる。
つまり、日本は平和型国家のモデルとするように権力分散が普通だけれども、数少なくとも国難のような場合には権力は集中するのだ。
そしてペリーの黒船以来、日本は欧米からの侵略におびえ、それに対応するために権力を集中することになった。

しかし、日本は基本的に平和国家であって権力集中を嫌う。
権力が集中するということは、上からの指示に対して下が無条件に従うことだ。
戦争時の場合には、敵の撃退が最優先なので、損害は無視して行動することが多い。
当然下の人間にはそれなりの不利益をこうむることになる。
命を失う、財産を失うなどいろいろとあるだろう。
その損害は平等ではなく、不平等に受けることになる。
平時の場合には、ある程度平等になるように負担を分配できたとしても、戦時の場合にはそうはいかない。
不平等に負担が分配される。
その分担を強制するために権力が集中されるわけだ。

日本は平和な時代が長く続いたこともあって、負担の不平等な分配に簡単に納得しない。
できるだけ負担を平等に分配するように、下から上へ突き上げることになる。
上はそもそも下に負担を押し付けることに慣れていない。
だから、どうしても意思決定に時間がかかるようになっていく。
日清戦争、日露戦争のころは戦争に負ければ国が滅ぶという意識が強いので、下のわがままを押さえることができた。
けれども、日露戦争の勝利によって国が滅ぶという危機感は大幅に減退した。
そうすると、どうしても個々の利益を優先しようとする。
太平洋戦争のころは、陸軍、海軍、その他の省庁、政党が個別の利益を主張して、国としての意思統一ができなくなってしまった。
つまり平和型国家である日本は簡単には戦争型国家には変換できず、どうしても権力分散した行動しか取れない。
その結果無残な太平洋戦争の敗戦をまねいた。

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