異をとなえん |

平和型国家論

2012.09.11 Tue

21:15:17

前に「世界は日本化へ向かう」のシリーズ記事を書こうとした。
本にするつもりで書いていたのだけれど、どうも意識しすぎて文章が書けなくなってしまった。
あの時よりも文章力は上がったと思うので、再度挑戦してみたいと思う。
ずいぶん時間が経ってしまったので最初からやり直す。
同じ内容の繰り返しになってしまった部分はご勘弁を。

平和型国家論というのは、世界を平和型国家と戦争型国家に分類し、二つの国家の特性を述べる理論だ。
平和型国家というのは、現在の所想定しているのは日本ただ1国であり、戦争型国家というのはそれ以外の全ての諸国になる。
だから平和型国家論というのは日本論に他ならない。
しかし日本がどうこうと語るよりも、ある属性を持った国家はこういう性質を持つと語る方が、私には普遍的であり望ましく思われる。
とは言っても、実際のモデルが1国しかなかったら、どうしてもその国独特の特徴がモデルに付加されてしまうことはやむを得ない。
共産主義国家というものがソ連一つしかなかった時、粛清は共産主義国家独特の性質にも見えたけれど、ベトナムでは少なくとも殺しあうところまではいってなかった。
つまり粛清というのはロシア的特徴であって、その性質がソ連の衛星圏国家では濃厚に出たけれども、その影響からかなり外れているベトナムではその性質が出なかったということだ。
平和型国家論においても、日本のみをモデルとしているので、日本独特の性質を平和型国家の性質としてしまうかもしれないが、それについてはできるだけ除去しようと努めるしかない。

それでは、まず平和型国家と戦争型国家はどう区別するのだろうか。
平和型国家というのは、他国から攻撃されることで、国が滅亡する可能性を意識していない国家である。
戦争型国家というのは、当然逆に意識している国家だ。
現実の歴史では自国の安全保障を意識していない国家は非常にまれだ。
というより日本しかいないのではないか。
もちろん明治以後の歴史では、日本も他国からの侵略を意識せざるを得なかった。
そのため明治以後の日本は、その前の時と国家の性質が異なる。
平和型国家から戦争型国家への移行が進んだわけだ。
しかし国の性質は簡単に変わるわけではない。
というより、平和型国家と戦争型国家では国民の性格も異なってくる。
千年以上の長い期間続いた平和型国家であったことによる国民の性質は数十年の危機では変わらない。
平和型国家から戦争型国家への変換も、日露戦争以後では日本は滅亡の危険性が減退することで、止まってしまった。
むしろ平和型国家の性質が強くでてくるようになった。
太平洋戦争はその帰結であったと言っていい。
敗戦後はアメリカの支配した国際体制に置かれることで、日本は自国の安全保障上の危機を認識しなくなった。
そのため、普通の平和型国家に戻りつつある。

ここらへんの話については、また後で述べることにして、明治以前の江戸時代の日本が平和型国家の基本形になる。
その中で培われた平和型国家の性質と国民性について語っていきたい。
それは同時に戦争型国家の性質と国民性を語ることになる。

それでは平和型国家と戦争型国家の性質の違いは何だろうか。
まず第一に権力が集中されているか否かだ。
戦争においては、他国の攻撃から自国の安全を守るために全ての力を集中して対応することが必要になる。
10人対10人の戦いでも、一方はばらばらに行動していて、もう一方は統制が取れた行動をするならば勝負は明らかだろう。
1人に対して10人でぼこっておいて、他の9人が何の対応もしなければ、簡単に個別に撃破されてしまう。
1人に攻撃があったならば、直ちに他の9人が救援に向かわなければならないのは必然だ。
国と国という、もっと人数が多く広い領土を持っている場合には、さらに権力の集中が必要になる。
大きな国では情報伝達が困難になる。
ある地域で他の国から攻撃されたとしても、その情報を直ぐに他の地域に伝わらない。
他国からの攻撃を受けたという情報をできるだけ他の地域に伝えるためには、国としての中心を持ちそこに情報を伝達し、中心から全国に情報を伝達する必要がある。
情報が伝達されたとしても、どう対応していいかわからなければ意味がない。
中心は国の防衛のための対応方法を決定し、国として行動するための各種命令を発行する必要が出てくる。

生命にある意味似ている。
多細胞生物としての植物はこれといった中心がない。
だから他の生物から食われても対応のしようがない。
動物はその点違う。
攻撃され食べられることが嫌だ。
だから脳を持ち、攻撃されれば他の細胞を使って対応することが可能になっている。
生命が一つの意志を持つことになる。

戦争型国家というのは動物ほど一つの意思では固まっていないけれど、国家としてはかなりの程度まで意思統一が図られている。
その意思統一ができなくなれば、国としてのまとまりを失ったことになる。
ここらへんは歴史的には難しい。
封建時代には封建領主たちは国からかなり独立した行動を取っていた。
中心がなかった時代といってもいい。
だから、封建領主の支配地域ごとを国として理解していいのかもしれないが、同時に封建領主の争いでは領民同士の争いを伴っていないとも理解できる。
実際にヨーロッパの封建時代では、封建領主だけが争っていたとしても、イスラム圏からの攻撃があれば、キリスト教国全体としての対応しようとしている。
つまり国家としての範囲があいまいなので、中心が作れず、権力が集中できないわけだ。

封建時代を考え始めるとわけがわからなくなってしまうが、安全保障を考えると権力は強固に集中しなければならない。
戦争型国家とは、まずそういうものである。

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494 平和型国家は権力集中を嫌う - 平和型国家論(その2)

前回、戦争型国家では権力が集中すると述べた。 権力が集中するといっても、究極の形態として1個人に集中する場合と簡単に集まって意思をまとめることができる人数の場合とがある。 複数の場合は会議によって意思をまとめることができるのは7人ぐらいといわれるので、そのぐらいが上限となる。 民主主義国家では複数選んで意思決定するシステムはかえってメンバーの選択が難しい。 さらに集まっても目的