異をとなえん |

労働と財・サービスの交換理論 - ノーベル経済学賞を目指して(その2)

2012.07.12 Thu

20:38:36

好きなジョークに次のようなものがある。

引用開始


メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」と尋ねた。
すると漁師は 「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。
旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、
漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。 そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。 そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。 「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」

「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」 と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」
引用終了

このジョークが好きなのは、突っ込みどころはあるにしても、本質的には正しいところだ。
突っ込みどころというのは病気とか災害で、それらが発生した場合の保険がないのは、漁師を続けると問題になる。
でも、病気や災害の確率が低いならば、自分の満足できる消費に必要な分だけ働くのは正しいに決まっている。

何度か書いてきているが、人間は労働をして、それに見合った分の財・サービスと交換をする。
交換が不利だと考えれば、当然交換はしない。
日本人は風呂が好きだが、それは豊富に水が取得できるからだ。
これが砂漠みたいに水が容易に手に入らないところなら、風呂は高価な消費活動になる。
当然のことながら金持ちしかしない。

あるいは、水汲みみたいな行為を考えよう。
水は人間にとって必要だから、遠方にあっても汲みに行かざるを得ないことがある。
その労働時間によって、どれだけ使うかが違ってくる。
物凄く遠方にあって汲んでくるのも一日仕事だったら、本当に必要な飲み水だけかもしれない。
でも近くにあったらシャンプーぐらいはしたがるかもしれない。

結局労働の苦労と消費の楽しみの釣り合いの取れたところが、労働量と消費量の均衡点だ。
このことは自明の真理だと思うのだが、既存の経済書を読んでいても、それについて主張している本が見つけられない。
誰でも考えつくようなことだと思うのだけれど、なにか問題があるのだろうか。
一応誰も主張していない真理として、私はこれを利用して既存の経済学を再構築したい。
これでノーベル賞を取ろうというわけである。
次回からは、この理屈から解釈できる経済上の現象を説明するつもりだ。

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