異をとなえん |

続:ロジステック曲線上の最初と最後では金利は0となる

2013.06.27 Thu

21:08:31

前回は中途半端なところで終わってしまった。
技術革新が停止した時点での資産価格について少し考えたので補足しておく。

技術革新が停止した状態では、金利が0になり、貯蓄自体がありえなくなる。
そこまでは自明だと思ったのだが、株式みたいな資産の価値がどうなるかわからなくなった。
金利が0になるなら、株式の配当もなくなるのが自然のような気がするし、その場合株式自体の価値もなくなってしまうだろう。
そうするとすべての資産も価値がなくなるのだろうか。
でも、それはおかしい。
たとえば世界に一つしかない貴重な美術品ならば当然価値が生まれるはずだ。
欲しい人がいれば値がつくだろう。
だから資産価格が0になるなんてことはありえない。

それでは株式みたいに一定期間ごとに配当が分配される資産はないということだろうか。
それもおかしい。
美術品を展示して料金を取れば、期間ごとに収益をあげられる。
企業が美術品を所有して収益を挙げ配当を分配するならば、その企業の株式は価値を持つはずだ。
株式は価値を持つけれど、預金や債券は価値を持たない。
何が違うのだろうか。

答えは、預金や債券はお金を投資に回さなければ価値を生み出さないけれど、株式は価値があるものの所有権が変わるだけということだ。
価値があるものの量は有限なので、売買されたとしても富が増えることはない。
それに対して、預金や債券、特に銀行預金は量を無限に増やせる。
だから金利がついていると富が無限に増えていってしまう。
技術革新が止まった世界というのは、新しい富を生み出せなくなった世界だ。
それと矛盾するので金利は0でなくてはいけないことになる。
富が増えるのでなければ問題はない。
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ロジステック曲線上の最初と最後では金利は0となる

2013.06.24 Mon

21:07:10

ロジステック曲線上の最初と最後、技術革新が停止した世界では金利はどうなるだろうか。
もちろん技術の進歩が完全に止まった世界というのはありえないので、理論的な状態だがそのような状態を前提として考える。

人口は恒常状態で人口構成も変わらないとする。
技術進歩がない世界とは関係ないけど、経済がロジステック曲線形に成長する命題での前提だ。
資源などは全て再利用可能と仮定する。
資源の量に制約を設けると、枯渇した場合には技術革新が必要になるからだ。
このような仮定の世界では当然成長自体が起こらない。
だから成長するための新規投資自体がありえない。
あるのは古くなった設備の更新投資だけだ。
この費用は設備の減価償却費でまかなえるので、新たに借金をして投資するなどということは起こらない。
投資先がない以上、銀行が預金を集めても貸し出すことができないので、金利は0になる。

この時銀行に預金する行為はありうるだろうか。
金利0なのだから預けること自体がありえない理屈もあるけれど、将来の不安とかで預金するとしよう。
しかし、これは貯蓄と投資が必ず一致するという経済学の恒等式に反することになる。
だから投資がない以上、貯蓄も起こらない。
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「国民国家」は終焉を迎えているのか?

2013.06.22 Sat

20:10:24

境界がゆらぎ崩れていくなかで葛藤が起こっている時代という記事を読んだ。
「国民国家」は終焉を迎えるという主張に疑問を持ったので、反論してみる。

記事の直接の内容は、佐々木俊尚氏の「レイヤー化する世界」の書評だ。
その中で佐々木氏の主張でもある、「国民国家」が終焉を迎えつつあるという主張に同調する形で意見が述べられている。
「レイヤー化する世界」はぱらぱらとめくってみたのだが、どうも意見がピンぼけしているようで、私には具体的に何を主張したいのか焦点が見えなかった。
この書評では「国民国家」が終焉を迎えることに主張がしぼってあるので、反論してみる。

「国民国家」が終焉する理屈は、世界が「場」によって変化し個人が国民国家の境界を越えて動くようになるので、国民国家の重要性が薄れるというものだ。
「場」とかの意味はわかりにくいのだが、下記に引用している部分を読むとなんとなくわかる。

引用開始

佐々木俊尚さんがおっしゃる「場」とは、たとえばサッカーならサッカーが「場」になってきます。そこにいくつものレイヤー(層)が重なっています。J1やJ2といったレイヤー(層)があったり、海外リーグのレイヤー(層)があって、選手たちは異なるレイヤーの間を行き来しています。

(中略)

選手たちはサッカーという「場」で、あるときはヨーロッパリーグというレイヤー(層)、あるときはジャパン代表という「レイヤー(層)」、あるときはJリーグというレイヤー(層)を行き来しているのです。こういったあり方は、ウチとソトが分かれた「国民国家」が主役の時代ではあまり一般的ではなかったことです。
引用終了

要するに、人がいろいろな多面性を持って活動している、それだけの話に見える。
昔は国をまたいだ多面性は珍しかったが、現在ではそれがありふれているということだ。
ただ、多面性を持って活動しているといっても、それは経済的な活動に限定されているのではないだろうか。

「国民国家」の本質は安全保障だと考えている。
外敵から防衛や社会保障だ。
外敵からの防衛は中世だと封建領主によって守られていたこともあるが、歴史を通してほとんどの場合国だった。
社会保障は昔は国の担当範囲ではなくて、家族や宗教団体が担っていたこともあるけれど、近年では国が主体となっている。
これらの安全保障の特徴は、交換によって双方が利益を得ることができる経済関係ではなく、ともすれば贈与によって一方だけが得をする関係ということだ。
防衛活動は健康な男子が主としてたずさわり、共同体が生きのびるならば彼らがほとんどの損を引き受ける。
社会保障も金持ちが貧乏人に対して援助する側面が大きい。
つまり、安全保障は経済活動のような対等な関係から生まれるものではなくて、家族や社会共同体といった連帯感を持った関係でしか成立できないということだ。
現在では「国民国家」がその連帯感を持つ関係に適しているので、世界に広がっている。

「場」という概念は理解した限り、経済関係でしかない。
サッカー選手が急に失業した場合には、サッカー業界が保険みたいなものは提供できるかもしれない。
けれども業界自体が不況によって崩壊すればダメになることもありうる。
誰であろうとも急に困った場合に助けてくれる組織が必要だというのが、普遍的な考えではないだろうか。
その組織というのが「国民国家」ならば、必要性はけっして薄れないだろう。
そして私には、現在「国民国家」以外にそれを担える組織はないように思う。

「場」にはSNSのような交換の関係でもなく、贈与の関係でもない関係が含まれるかもしれない。
社交的な関係とでもいうのだろうか。
ただ、それはいざというとき社会保障の代わりになるのだろうか。
擬似的な共同体には慣れても、地域性がなくては緊急時に助け合うことはできないだろう。
普段からリアルに会っているならば普通の友人と同じことだ。
それだけでは、今の社会保障の代わりにはならない。

戦争がなくなり、個人がホームレスになることなど起こらない時代になれば、いざというときの最後の助け手である「国民国家」は必要なくなるかもしれない。
けれども、少なくとも今はホームレスがいる時代だ。
そのような環境で「国民国家」は終焉を迎えない。
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世界経済もロジステック曲線形に成長する

2013.06.19 Wed

20:54:46

前回書いた、「経済はロジステック曲線形に成長する」という命題を世界全体に拡張しよう。
本質的にはこちらの方がもっと自明である。
世界経済が国家によって分断されていなければ、一つの国と変わりない。
国家に分断されることによっていろいろと違いが出てくるけれど、完全に分断されていれば別世界と同じなので無視できる。
冷戦期のソ連圏のように、アメリカを中心とした資本主義世界と貿易はしていたけれど、技術や資本がほとんど移動しなかった国も別世界と考えていいだろう。
それらの国は世界経済に組み込まれた時点で人口が増えたと解釈すればいい。
ほんの少しの人口の増加は世界経済の飽和する時期が少し延びるだけで、ほとんど影響を与えない。
普及期の後半に巨大な人口が世界経済に参入したならば、そこから再度急速普及期からやり直すと思えばいい。
成長曲線がロジステック曲線とは少し異なっても本質的にはほとんど変わりがない。

ソ連圏みたいな別世界をのぞけば、国の文化や制度の微妙な違いによる、成長スピードの違いは新製品の普及率の違いと同じようなものだ。
流行に敏感な人間は新しい製品にすぐに飛びつくし、鈍感な人はいつまでたっても手を出さない。
国の場合も、成長するための仕組みが整っている国は最初に成長していくし、経済成長に向いてない制度の国はいつまでたっても貧しいままとなる。
新製品への感度がロジステック曲線を生み出しているのだとすれば、国の制度の違いも同じだろう。
どれだけ長い期間成長しない国があっても、それはロジステック曲線の最終段階でなかなか普及率が飽和しないようなものだ。
人口の変化がたいした違いでなければ、世界経済もロジステック曲線形に成長すると言えそうだ。

人間の需要、欲望と言い換えてもいいが、それはある時点の科学技術の発展レベルで定まってくる。
個人個人の需要には違いがあっても、総体としての需要はだいたい定まってきて、その平均を取れば個人としての需要も決まる。
日本で鉄鋼の需要が1億トン、人口1億人とすれば、一人当たりだと1トン消費することになる。
これが一人当たりとしての現在の科学技術のもとでのマックスだとすれば、世界の需要が飽和したときの一人当たりの消費量は1トンという話だ。
例として鉄鋼を挙げたが、その他のありとあらゆる財・サービスに対して同じような理屈が適用され、現在の科学技術の元での消費量が定まる。
その消費量を貨幣に換算すれば、一人当たり所得となるわけだ。
世界経済はその一人当たり所得で飽和するロジステック曲線形に成長する。

ただ、世界経済に命題を拡張した場合、ある時点での技術レベルを基準にして消費量が飽和するかが問題となってくる。
覇権国の交替がロジステック曲線の1サイクルで起こることを前提とするならば、技術革新はその途中で停滞する必要がある。
しかし、技術史を見ても本当に停滞したかどうか言えるほど断層があるかと言うとよくわからない。
「大停滞」という本では、現在の技術革新のスピードが落ちていることについて幾つかの例を挙げて論証している。

ただ私にはあまり説得力があるように思えなかった。
過去の技術史を見ても、現在の技術の状況を見てもよくわからないのは、巨視的な変化を人間が把握するのが難しいことと技術革新が続いていてもその経済的な影響力が小さければ無視できることで説明できるような気がする。

ここでは技術について深く考えずに、技術革新は停滞するので「経済はロジステック曲線形に発展する」ことを前提として考えたい。
技術革新のスピードや影響力などの問題は別個検討する。
「経済はロジステック曲線形に発展する」という前提のもとで、経済成長はどのような様相を見せるか、国内政治・国際政治がどうなるかを考察していきたい。
その結果を歴史と検証することで命題の正しさを証明し、ひいては未来を予測するつもりだ。

次回は「経済はロジステック曲線形に発展する」とした場合の金利について考察する。
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経済はロジステック曲線形に成長する

2013.06.17 Mon

21:53:08

経済はロジステック曲線形に成長する。
何を言っているかわからない人が大部分だろうなので、まず文章の意味を説明する。

最初にロジステック曲線とは何だろうか。
ロジステック曲線というのは、下記のような曲線で、テレビやビデオのような新らしい分野の製品の普及率などは経験的にこのような曲線を描くことが実証されている。

ロジステック曲線

グラフでは横軸に時間をとり縦軸に普及率をとっているとしよう。
そうすると、曲線は最初の普及率は0だが時間とともに普及率が上昇して飽和することを示している。
ロジステック曲線の特徴というのは、最初の上昇速度はゆっくりだが、途中で急激に速度を速め、そして普及率の上限に近づくと最初と同じようにゆっくりした速度に戻ることだ。

新製品の普及率がこのような曲線を描く理由は、次のようなことで説明される。
最初の段階では何が主流になるかわからず技術の試行錯誤が続くので、投資金額はなかなか増えず、生産量が低いままとなる。
消費者もまた新製品の意義が理解できず、なかなか買わないのでそんなに消費量も増えない。
この二つが相まって最初の段階では普及率はゆっくりと上昇していく。
ある段階まで来ると、技術の標準化が進みどういう物を作ればいいか、どのくらいのコストがかかるかがはっきりとわかってくる。
消費者もほぼ全ての人間がその存在を知り、購入しようと考える人は計画をたてていく。
つまり作れば作るほど売れる状態になるので、投資金額が急増し、生産量も急激に増えて、一気に普及率は上昇していくことになる。
普及率が飽和に近づくと、まだ購入していない人たちは流行に簡単に左右されない人たちで急には飛びつかない。
そのため消費量が減るので普及率もゆっくりしていく。

「経済はロジステック曲線形に成長する」というのは、経済全体も新製品の普及率と同じような曲線を描いて成長するという命題だ。
経済の成長というのは人々の中に新製品が普及していく過程だと解釈できる。
何も所有していなかった人が、テレビ、自動車など今までなかった製品を購入して、より良い暮らしを楽しめるようになる。
これが成長ということだ。

個々の製品の開発時期と普及スピードは違うだろうが、普及率0の時の消費金額は0とし、普及率100%の時の消費金額をその製品の価格とすれば、ロジステック曲線のグラフは横軸に時間、縦軸にその時点での消費金額を取ったグラフへと変換できる。
当然ながら、耐用年数が複数年にわたるならその年数で分割する必要があるし、一年で何回も購入する物品ならばその分倍数を取る必要がある。
また、普及率が個人というより世帯で計る場合には、それも計算に入れなくてはならない。
製品の耐用年数が全て一年だと仮定すれば、普及率がその年の一人当たり消費金額になることは容易にわかるだろう。
その結果個々の製品のロジステック曲線を全て重ね合わせると、国家全体の一人当たりGDPの成長曲線へと変換できることになる。
個人一人一人に全ての製品が100%の普及率を達成したとすると、その時点での製品の合計した価格が一人当たりGDPと同じになるわけだ。
消費金額の中には、原材料分が輸入とか、製品自体が輸入となる場合もあるけれど、その場合にはそれに見合った分だけ輸出しているはずだから、GDPとしては変わりがない。
そして新製品の普及率の総和は同じようなロジステック曲線を描くことが容易に予想されよう。
新製品の数に限定があれば、最初と最後がゆっくりした成長の曲線になることは明らかだし、急激な成長期は金額の大きい消費財の普及時期によって決まってしまう。
実際に国ごとの経済成長率は、一人当たりGDPが低い時点では成長率も低く、経済成長する環境が整った時点で急激に成長し、そして先進国と同じようなレベルになると低下していく。
これは経済成長がロジステック曲線に近似していることを示している。

「経済はロジステック曲線形に成長する」という命題を国レベルで解釈して説明した。
この命題は世界全体に拡張しても同じように成り立つだろう。
特に新製品の開発、つまり技術革新の継続は世界全体で判断しなければならない。
次回は世界全体に拡張した場合の「経済はロジステック曲線形に成長する」という命題の意味を説明する。
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