異をとなえん |

社会はほんの少数の人間で変わってしまう

2012.11.27 Tue

21:26:33

金属に少量の別の金属を加えると、性質が全然違ってしまう。
社会にもそういう現象がある。
犯罪者などはその典型のような気がする。

日本では自動販売機が非常に普及している。
外国人に言わせると、自分たちの国で自動販売機が広まらないのは、すぐ壊され盗まれてしまうかららしい。
納得できる意見ではあるが、どれほど日本と外国とで犯罪率に差があるのだろうか。
たぶん外国も日本も犯罪者はほんの少数だろう。
けれども1%ぐらいの差で自動販売機が普及するかしないかの差が出てくる。

少し前、日本で家に盗みに入る例が多かった。
鍵の更新という話が広まっていた。
最近は減っている。
たぶん、ほんの少しのグループが盗みの活動をした。
それだけの話なのだろう。
そしてほんの数十人の活動で、そこらじゅうの家で鍵を複数つけるとかの行動を取った。
ほんの数パーセントの違いで劇的な変化が出る例だろう。

つまり何が言いたいのかというと、日本人と外国人はたいして変わらないという意見がある。
私も人間なんてたいして変わらないという意見の持ち主なので、基本的には賛成なのだが、だからといってほんの少数の人間の違いも無視することはできない。
上の例のように、劇的な違いを生むからだ。

社会の中で暴力的な人間がそれほど多いとは思えない。
でも、暴力を簡単に振るえる人間を人々は怖く思うので影響力は大きい。
中国の反日デモに対して、ほんの少数の人間がしているだけという意見がある。
でも、社会がそれを取り締まらない限り、暴力を振るえる人間の力は非常に大きい。
「北斗の拳」のマンガではないけれど、社会システムが崩壊すれば、人間は暴力を振るえる者に従ってしまう。
彼らこそがある意味、社会を動かすのだ。
アフリカの内戦でも、そんな状況が現出している。
もちろん暴力を振るう者も、より幸せに暮らすためにきちっとした社会を構築していくはずだから、いずれは安定した社会は構築できると信じている。
でもそれまでには時間がかかる。

つまり無政府状態が安定した社会に変化するまでには時間がかかるし、その間の社会の雰囲気はだいぶ違うはずだ。
その差というものが、犯罪者が国民に占める率の1%ぐらいの違いではないかと思う。
1%がたいしたことないと思っても、たとえば日本では常習犯罪者が1%だと100万だが、2%だと200万という話になる。
残りの国民の%で見ると、99%が98%だと誤差にしか見えないが、実は全然違うわけだ。

金属の属性でほんの少量の金属の付加がなぜ大きな違いを生む原因になるかは調べなかったけれど、人間の社会でもほんの少数の違いが社会の性質に大きな影響を及ぼすのと、同じ理由が働いているように見える。
後でより深く考察してみたい。
 
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対日強硬論の体制へ - 中国新体制のメンバーが決まる(その4)

2012.11.26 Mon

21:42:42

私の考えている政治の原則として、中間派が最大勢力を占めていることと、国民の間に不満が多ければ政治闘争は激しくなるとの二つを挙げた。
このことを前提にして、中国の新体制について考えてみたい。
まず第一に明白だと思われるのは、常務委員のメンバーのほとんどが前総書記たる胡錦濤と関係が薄い人物が選ばれたということだ。
江沢民派がほとんどという意見も多いが、胡錦濤が10年も一応最高指導者を務めていたことと、基本的に中間派が最大勢力を占めているという理屈を考えれば、彼らのほとんどが党の総意を代表していたと思われる。
それでは党の総意とはなんなのか。
胡錦濤の力が弱まっていたことを考えると、たぶんに胡錦濤の主張とは反対の意見が多数派になったと見られる。
胡錦濤の主張で思いつくのは、対日穏健論であり、和諧社会論だ。
対日穏健論とは基本的に日本とは仲良くやっていこうという主張だろう。
和諧社会論というのは、よくわからない。
「みんなで仲良くしましょう」というような理屈で、ピントがずれているように思う。
具体的にどうしたいのか日本から見ているとわかりにくいのだが、本質は穏健論ではないかと思う。
急激な変化は避けて、じっくりやっていこうという話だ。

そう考えてくると胡錦濤に対する反対派の主張は強硬論ではないかと思う。
日本に対して強硬な政策を採るべきという意見であり、社会に対してもより急激な政策が必要という意見だ。

「就任演説に現れた習近平の本性」を読むと、習近平体制の目指す政策が見えてくる。

引用開始

習氏の前任者の胡錦濤国家主席は、「調和のとれた社会」の実現という政治スローガンを掲げ、対外協調路線を進めてきたが、党内の保守派から「弱腰」と批判され続けた。保守派に多い軍などを主な支持基盤としている習氏は、胡路線との違いを際立たせることによって、自身の求心力を高めようとする思惑があるとみられる。習氏はこの日の演説で、胡氏の政治スローガンの「科学的発展観」も「調和のとれた社会」も一切言及しなかった。前任者を完全に無視した。

 尖閣問題や南シナ海などの領土問題で今後、習政権は胡政権より強い姿勢で臨む可能性が高いことを内外に印象付けた。
引用終了

また、毛沢東時代の用語を使ったり、改革派の意見を無視している。

これは上の推測を満たしていると思う。
新しい中国の体制は、対日強硬体制であり、表面的な毛沢東時代への回帰を目指す可能性が強い。
そういうことを、

** 民主主義的政治改革論

なぜ対日強硬論の体制に向かうのか、政治改革に対する立場から考えてみた。
経済が成長し、生活が豊かになっていくならば、国民は政治に不満を持たない。
政治参加を求めることもないだろう。
けれども、経済が成長できずに生活が改善されなければ、国民は政治に不満を持ち始める。
自分たちの生活が改善されない理由が政治だと思うからだ。
経済成長の停滞の理由がどうであろうとも、変化を求めて政治への参加を国民は欲求しはじめる。
とりあえず指導者を変えてみたいわけだ。

当然のことながら、民主主義的な指導者の交代のシステムが整っていない場合、その欲求は簡単にはかなえられない。
だから多くの国が納得できる民主的なシステムができるまで混乱が生じるわけだ。

その他にも、民主的な政治システムが必要な理由はある。
たとえば環境問題だ。
経済の成長によって、環境汚染などの外部不経済が発生することはよく知られるようになった。
これは中国でもすでに周知のことだと思うのだが、なかなか改善されない。
工業などの発展によって、国民所得が10増えたとしても、環境問題による外部不経済で15の損失が発生すれば、何の成長にもならなくなる。
しかし環境問題による損失がどれほどかは、簡単には計れない。
だから企業側は常に低く見積もり、住民側は高く見積もる。
雀の涙ほどの損害賠償を後で提示されたとしても、汚染にさらされる側は納得できない。
実際の損失がどうであろうとも、住民全体の同意が取り付けられない限り、開発中止を要求する。
ここに住民全体の同意を取り付けるためのシステムとして民主主義が要求される。

現在の中国では住民の間のデモなどによって、先進国では環境規制によって問題がないことがわかっていても開発が止まることがある。
あるいは、広く世の中では知られていなくとも、企業が勝手に汚染をばらまいていることもある。
民主主義的な住民の意見を集約する方法がないために、権力の都合によって基準がころころ変わっているのだ。
政治改革はこのために必要だ。

その他にも、貧富の格差の問題がある。
中国は高度経済成長が続いてきた。
資本による収益率が極めて高かったために、大富豪が大量に生まれた。
個人の能力というよりも、政治家とコネを持っているかどうかが一番大事という、かなりゆがんだ選抜の結果だ。
政治家とのコネを持たない普通の国民は、それを不満に思っている。
これを改善するためのシステムとしても、民主主義が必要になる。

習近平体制はこれに答えることができるだろうか。
胡錦濤は10年間何の改革もしなかった、という批判がある。
民主主義的な改革をすべきなのに、共産党独裁体制は全然変わらなかったという批判だ。
共産党は民主主義の旗を掲げていないので、その批判は的外れだと思うのだが、改革をせずにすんだのは、高度経済成長が続いたので国民の不満を押さえることができたからだ。
習近平体制では、高度経済成長が難しくなる。
本当に難しいかは議論の余地があるけれども、資源制約や現在の世界経済の不調を考えると、ほぼ確実だといっていい。

そうすると、どうしても国民の不満を吸収するために民主主義的な改革が必要になるわけだ。
けれどもこれは非常に困難だ。
共産党による独裁統治は、民主主義的な改革を受け入れれば、それを続けることの正当性がまったくない。
昔は社会主義を実現するために共産党の支配が必要だという理屈があった。
しかし、社会主義の実現は遠くなり、中国は国営企業が主体の単なる市場経済国家でしかなくなっている。
その場合一度でも民主主義改革を受け入れれば、共産党の支配は崩壊してしまうだろう。
共産党の権益構造にずっぽり漬かった人たちは、それだけを避けようとする。

共産党の支配を正当とするために、江沢民は反日政策を開始した。
共産党こそが抗日によって中国の独立を守ったのだから、中国を統治する権利を持っているという理屈だ。
習近平体制もこれを踏襲する可能性が非常に高い。
反日政策は経済成長自体に悪影響を及ぼすとしても、反日という目標を掲げないと共産党の支配が貫徹できなくなっているのだ。
そして対日強硬論によって、改革への不満をそらし、現在の体制を維持しようとするだろう。

毛沢東路線への回帰という話も書いたが、こちらは簡単にはできない。
基本的に貧富の格差を是正するための平等主義的な立場だが、いまや指導層のほとんどが莫大な資産の持ち主と推定されていては、平等主義など実施できるわけがない。
表面的な贅沢禁止の方針を打ち出して回避するのが関の山ではないか。
もちろん、共産党内部で本質的な毛沢東回帰路線が浮上する可能性はあるのだが、これについての帰趨は簡単には読めない。
テロによって軍部を中心にした政権ができる可能性を考察したこともあるが、まだ可能性だともいえる。
結局私に言えるのは、習近平体制が対外強硬論によって共産党支配の構造の温存を図るだろうことだけだ。

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習近平の中国はどうなるか?
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風邪で休んでいる

2012.11.23 Fri

21:25:36

風邪をひいてしまって、昨日から寝ている。
今日はだいぶ良くなったので明日には平常運転できそうだ。
記事を投稿できず、期待している方に申し訳ない。
一応現状報告だ。
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国民の間に不満が多ければ政治闘争は激しくなる - 中国新体制のメンバーが決まる(その3)

2012.11.21 Wed

21:19:27

中間派が多数を占めれば、争いがなくなるかというとそうではない。
たとえば、旧ソ連のブレジネフ時代からゴルバチョフ時代の前までは、最高指導部の間で争いはほとんどなくなっていたように見える。
汚職事件による失脚とかはなかったと思うし、権力の座から追われるとしてもゆっくり引退に追い込まれるようなものだった。

争うよりも自分たちの権益が重要になり、それさえ保障されれば権力闘争のようなことはしない。
最高指導者の間で互いに自分たちの縄張りを持っていて、それを侵さないようにしているわけだ。

けれども政治闘争というものは、指導部の人間関係で決まるものではない。
政治家というものは基本的に国民の希望に答えようとして生まれる。
困った人の助けになりたい、飢えや病気などで塗炭の苦しみにあえいでいる人たちを救いたい、そういう思いが政治家になろうという願望を作り出していく。
だから、政治家は国民の欲求に敏感だ。
民意をすくいあげようと努力していく。

そうなると仲間内で和気藹々とはいかなくなる。
一部の人間の利益を増やす政策を実行することは、別の一部の人間の利益を減らすかもしれない。
国民全体の利益を最大にする政策が正しいとしても、損をする人、あるいは得をしない人たちにも、ある程度利益を回してあげないと政策が実行されにくくなる。
そして政治の実行は常に不確定だ。
だからどうしても政策による争いが生まれ、結果的に政治闘争を生んでいく。

ただ当然のことながら、最高指導部の間で政治的な争いが激しい場合と穏やかな場合がある。
この二つの違いが起こる最大の理由は、国民の間での政治に注ぎ込まれるエネルギーの量の差だ。
国民が生活に困り、なんとかして欲しいと政治に期待し、政治の変革を求める場合には、政治的な争いはどうしても激しくなる。
それに対して、国民が政治に期待することもなく、今までの政策を続けていってくれればいいと思っていれば、政治は波風が立たなくなる。

後、政治システムにおいて権力がどんな構造になっているかも関係する。
国民の間で政治に対する期待が非常に大きい場合、政治的な争いは過熱するが、複数の政党が政権を争うシステムならば、政党の間で争う。
それに対して、共産党による一党独裁システムの場合、共産党が全ての国民の要求を受け入れようとするから、政党内部で争う。
ソ連も中国も革命が始まって、内戦のような状態のときは、共産党内部は団結して、他の政党を攻撃し、殺しまくっていた。
内戦が終了し、他の政党が抹殺されると、建前上は国民全てが共産党支持になるから、結果的には共産党内部が多くの路線をかかえこんだ政党に変化してしまう。
そのため、共産党内で争うのだ。

現在の中国では明らかに政治に対する不満は増加している。
国民の間で多くのデモが発生している。
群体性事件と呼ばれるこれらのデモは、2005年に8万7千件に達している。
現在件数は公表されていないと思われるが、たぶん近年はもっと増えているだろう。
それらの不満は共産党内部に深刻な影響を与えている。
国民の不満を押さえ込んでしまえばいいと考えている人たちと、ある程度認める人たちで分かれているはずだ。
それらは結局深刻な路線対立を生む。

中国共産党では中間派が最大勢力を占めていると主張した。
その場合に、国民の間で政治に対する不満が増大し、共産党内での政治闘争が激しくなれば、どのような状態になるか。
それについての考察を次の記事で行う。
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中間派が最大勢力 - 続:中国新体制のメンバーが決まる

2012.11.19 Mon

21:59:19

前の記事では、政治の基本原則と中国の未来予測について書こうとして、言いたいことが散漫になってしまった。
もう少し意見をまとめておきたい。

まず、私の政治に対する基本理解だ。
派閥争いにおいての基本原則は、組織は普通中間派が最大勢力だということだ。
日本の会社でも会長派と社長派が争っているなどという話をよく聞くが、普通はどちらの派にも属さず会社のために全力をつくしている社員がほとんどのはずだ。
これは組織というものは、目的があって形成されているものだから、組織のメンバーはその目的を目指して活動するのが本分になる。
派閥という名前で批判されるものは、組織の中で権力を争うための集団だ。
組織の目的をどう達成するかのための集団ではなくて、目的の達成に関係なく自分たちの派が権力を握ればそれでいいと考えている。
権力争いは組織の本分ではない。
だから普通の人間は派閥に対して批判的になる。
派閥のような人間関係ではなく、目的をどう達成するかの観点から是々非々で判断して行動する。
それが普通だ。

じゃあ派閥争いはないかというとそうではない。
人間関係による派閥はなくとも、政策による派閥はできるからだ。
政策を大義名分にしているだけで、実際は人間関係だというような派閥だとしても、中間派をひきつけるために政策を看板にするしかない。
その対立の元となる政策によって組織はどうしようもなく分かれ、争うことになる。

けれども、最初に述べたように組織に参加していることは根本の目的では一致しているはずだ。
社会共同体のように、メンバーには目的がなく自然に参加している場合もあるけれど、その場合は社会共同体、それ自体の安全保障が目的だ。
中国共産党の場合、中国に共産主義を実現することが目的であるはずだ。
その目的に対して全党挙げて活動するのが建前となっているから、派閥は基本的にないことになる。
みんな中間派であるわけだ。

中間派が最大勢力であるというのは、このような理屈だけではなく、勢力争いの現実においても必然的だ。
これは中間派が存在せず、全てのメンバーが派閥に属している場合、権力争いの勝者の派閥がすぐ敗者の派閥を一掃してしまうからだ。
政治闘争の場合、勝者はあらゆる手段を使って敗者を追い詰めることができる。
法の支配がなければ敗者を殺すことや、罪に問うことも可能だ。
近代的な法の支配があったとしても、敗者を指導部から追い出すことは可能なことが多い。
たとえば7人のメンバーの多数決で意思決定する組織があって、4人が派閥を組んで行動をし、事前に自分たちだけで意思を統一して行動するようにすれば、残り3人のメンバーの意見が無効にされるのは明らかだ。
遅かれ早かれ残り3人は追い出されてしまうことになるだろう。
その場合、補充人員の3名は4名と同じ派閥に属すわけだから、その時点では全員同じ派閥で結局中間派扱いとなる。

このような原則の例外と言えるのが、
朝鮮の党争だ。
李朝朝鮮では党争が激烈で、たいしたこともない政策で激しい権力争いをしていた。
喪に服する期間が何日とか、他の国から見るととてもくだらないことで殺し合いをしている。
その理由の一つが中間派がないということだ。
朝鮮では儒教の普及につれて、血族集団が大きくなっていった。
官僚たちは、同じ血族集団に属しているならば、基本的に同じ行動をとる。
つまり派閥と同じだ。
中間派が存在する派閥争いでは、誰がどちらの派につくかは明白ではない。
状況に応じれば寝返りもある。
しかし、朝鮮の党争では血族集団は一致して行動するので、寝返りとかはない。
そうすると党争の勝者は敗者を完全に一掃してしまう。
物理的に抹消するわけだ。
上に書いた理屈から言えば、勝者の中では中間派が生まれるはずなのだけど、血族集団だから血の濃さによって関係が決まり、すぐに中間派が存在しなくなってしまう。

そんな例外もあるけれど、派閥争いにおいては中間派が最大勢力であるというのが基本原則だ。
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続:ノートパソコンを買い換えた

2012.11.17 Sat

21:40:41

衝撃の事実に気がついてしまった。
「ノートパソコンを買い換えた」の中で、クリックするボタンの小さいことが不満だと言っていたが、マニュアルを見てみるとタッチパッドはそこをクリックするだけで普通のクリックと同じ役割を果たすことが書いてある。
ダブルクリックも同じように、タッチパッドをダブルクリックするだけでいい。
全然気づかなかった。
しかもスクロール機能というのもある。
右端を指先でこするようにすると、それだけでスクロールボタンと同じような役割を果たす。
前のノートパソコンについているスクロールボタンは使いづらかったので、ほとんど使っていなかったのだけど、タッチパッドについていると便利だ。
ブラウザで長いページをスクロールするとき、使いやすい。

前のノートパソコンでもクリックとダブルクリックは使えた。
2、3年は使っているのに今まで全然気づかなかったのは、ショックが大きい。
スクロールボタンがあるから、さすがにスクロール機能はないみたいだ。

ただ、ドラッグアンドドロップはうまく使えていない。
年をとった人がマウスのダブルクリックのタイミングが使えないのと同じ状態なのだろうか。
どうもタイミングがつかめないけど、反射神経が鈍っているからだとは思いたくないなぁ。
練習しなくてはいけない。

新しいノートパソコンの環境設定は少しずつ進んでいる。
meadowのインストールとcaps lockキーをctrlキーに変える設定がすんで、今この文章を新しいマシンで書いている。
うれしいのは、この新しいマシン、ダイナブックSatelitte K20のタイピングだ。
気持ちいい。
実に快感だ。
押しこんだ後の硬い感じがちょうどいい。
がっちりしている。
こんなに気持ちのいいキーボードは初めてだ。
IBMの端末のキーボードやELECOM TK-UP87MPよりもずっといい。
わけもなく、キーボードをたたいてしまいそうだ。
ブログの記事を書くのも、きっとはかどる。
キーボードだけで15800円分の価値がある。
本当に意外な値打ち物だった。

衝撃的な事実が二つあったわけだけれど、どちらもうれしい驚きなのだから、今日はいい日だったんだな。
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中国新体制のメンバーが決まる

2012.11.15 Thu

21:49:12

中国で政治局常務委員が決定した。

〔情報BOX〕中国共産党の新たな政治局常務委員と政治局員

引用開始

<政治局常務委員>
習近平 (June 1953)
李克強 (July 1955)
張徳江 (November 1946)
兪正声 (April 1945)
劉雲山 (July 1947)
王岐山 (July 1948)
張高麗 (November 1946)
引用終了

団派と呼ばれる人は首相に選出されると思われる李克強しか入っておらず、団派は派閥争いに敗北したように見える。
もっとも派閥争いといっても、昔の4人組が暴れてたような時代とは違って中間派が多いはずだ。

組織が明確な派閥によって分断される状態になると、どの派閥も引くに引けなくなってしまう。
中国みたいな法の支配が確立されていない国では、負けた方がひどい目にあうからだ。
実際最近の中国でも、政治局員クラスの大物が汚職などによって失脚する例が見られる。
1996年の陳希同・北京市書記、2006年の陳良宇・上海市書記、2012年の薄煕来・重慶市書記と単に権力争いに負けて、政治の表舞台から退場するだけではなくて、裁判で罪に問われて刑務所に入っている。
汚職で罪に問われているがそれ自体はみんなが実行していることなので、本当の罪は権力争いで負けたということだ。
問題なのは、権力争いで負けると刑務所に行くという厳しい政治環境だ。
負けても会社から追われるだけのような権力闘争ではなく、命をかけて戦っているわけだ。
だから負ける派閥などに誰も組したくない。
中国共産党の総意に忠誠を誓って、正面きって派閥などに参加する人はいなくなる。
それに共産党で派閥は禁止されている。
分派闘争をしているということ、それだけで党則違反のはずだ。

つまり今回の常務委員の選出では団派と呼ばれる人たちが一見敗北したように見えるけれど、本当にそうかということはよくわからない。
ただ、胡錦濤の力が衰えていることは明らかに見える。
胡錦濤と人脈がある共青団のメンバーが一人しか入らないこと、親日的と見られる胡錦濤に逆らう形で反日政策が実行されていることなどが、その証拠だろう。
ただそれで誰が勝ったかは、明らかではない。
党全体として胡錦濤に反対する勢力が大勢になった、そういうことだろう。

なんか話がまとまらない。
もう少し言いたいことがあるので、この項続く。
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