異をとなえん |

続:王座戦が面白い

2012.08.30 Thu

21:10:00

羽生は負けた。
昨日の記事を書いた局面では負けそうだったから当然だが、羽生びいきとしては悲しい。

なぜ羽生は渡辺に勝てないのだろうか。
渡辺が羽生の癖を見抜いているのが最大の原因ではないか。
もちろん実力の差が理由かもしれないが、他の対局での渡辺と羽生の成績を見ると実力に差があるとは思えない。
私の目には羽生の方が実力はあるように見える。
それが負けるのは、渡辺は自分の実力を最大限に発揮できるようにし、羽生がそれに付き合っているだ。
羽生は相手の手に乗って指すのは基本とする。
相手が自分の有利な戦法を選ぶのに対して、それを外そうとしない。
自分が第一人者であり、相手の得意戦法を撃破することが一番相手に負けたと思わせるからだ。
アントニオ猪木の風車の理論に似ている。
風車の理論は「相手の力を最大限に引き出して、それ以上の力でそれを倒す」事で自分のみならず相手も輝かせるといった意味合いで、羽生は将棋にそれを応用していたような気がする。

ただ、この記事を書くために風車の理論を確認してみると、本来は「相手の技を下手によけたり真っ向から受け止めるよりも、風を受け流す風車のように、逆らわずに自分自身を無とする事でダメージが無くなるといった意味合い」であるらしい。
羽生は観戦者向けというより、勝つことを重要視しているだろうから、こっちの理論の方が正しいのかもしれない。
将棋の最善手を探し、それが相手の待つ道であっても最善ならば仕方がないという理屈に思える。
けれどもこの考えは相手の方から見ると指される手が予想できるのだろう。
特に渡辺のように読みの省略がうまい棋士にとっては。
ファンから見ると、律儀に全ての手を読んでいる羽生が、ほとんどの手を読まない渡辺に負けているのは納得がいかないのだ。

羽生は今までこのスタイルで戦ってきたのだから、いまさら変更しても仕方がないかもしれない。
しかし渡辺の他棋戦の成績を見ると、羽生もなんとかできないかと思う。
渡辺の負けた対局を羽生は研究しているのだろうか。
勝負がどうこうというよりも、勝ちやすい方法がないかという点で。
そして時間にも気を使って欲しい。
終盤で羽生の方が先に持ち時間が切れる。
それでは苦しい。
渡辺に手を渡して渡辺に長考させる。
他の棋士相手にはそれができるのに、渡辺に対してはできない。
そこらへんをなんとかできないのかと思う。

今回の王座戦も1局目を失って苦しくなった。
なんとか打開してくれることを祈る。
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王座戦が面白い

2012.08.29 Wed

21:32:29

渡辺に羽生が挑戦している王座戦が面白い。
こんなに見入るつもりはなかったのだが、目が離せなくなってしまった。
gpsshogiの予想通りに進行しているのに、評価値が二転三転する。
読みの限界ギリギリの所で、勝ち負けが入れ替わっている気がする。
長手数の詰みがある状態で、評価値が信頼できない状態なのだろう。
王位戦最終局で羽生がソフトの最善手を指し続けて波乱なく終わったのと比べると雲泥の差だ。

羽生は75手目に45銀と決め手のつもりで出たけれど、後手からの反撃に見損じがあったのではないか。
67桂打ちからの戦いで長手数の詰みを見逃している気がする。
見損じというのは、これで勝ちがはっきりしていないならば、45歩と指していた方が玉が固いからだ。
しかし、ここらへんの戦いではソフトの評価値も読みの手順もころころと変わっていて、相当難しそうだ。

ただソフトの読みと人間の読みは違い、もう結論が出るしかない場面では、人間の判断の方が確実な気がする。
つまり評価値がどうこうより、詰みがあるかないかの方が重大なわけだ。
渡辺の88手目23銀がそんな手に見える。
23歩がgpsshogi推奨だが、23銀でも受けきって勝ちという読みではないか。
詰まないことを読みきって、1手ゆとりが出れば先手玉は詰む、その判断に狂いはない気がする。
どういう結論が出るか楽しみでしょうがない。
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韓国に対して本音をぶつけよう

2012.08.28 Tue

21:11:51

竹島問題の解決法について、いろいろな意見が出ている。
穏健的な意見とか、強硬的な意見だ。
私はどちらかと言うと強硬論に賛成しているので、その理由を述べたい。

竹島の領有権について実質的に日本は敗北している。
韓国にどういう行動を取られようとも、ほとんど日本は抵抗する方法がない。
今回の日本の国際司法裁判所の提訴も、実質的には意味がなく、形式的な対応でしかない。
それ以外の対応も口先だけのものがほとんどだ。
スワップ協定の延長中止も簡単にはできないだろう。
経済的な関係は双方が利益を得ているので、中止は日本も損になるからだ。

そして、強硬に対応すれば最終的な解決に近づくだろうか。
韓国は経済的に大幅な圧迫を加えたとしても、竹島の放棄を認めるわけがない。
どんなに損失を出しても、竹島を放棄したならば、国の独立を金で売るとしか考えないだろう。
韓国の歴史の理解では、竹島の日本領土への編入が韓国の独立を失った契機だからだ。

だから、日本が本当に竹島を取り戻したいならば軍事力を行使するしかない。
海や空の軍事力では日本が優位なので奪還は可能だろう。
しかし多大の人命の犠牲が出るだろうし、韓国とのさらなる戦争になれば犠牲者の拡大も必死だ。
なによりも、軍事力を使い多くの命を失ってまで、竹島みたいな小島を奪還する利益がない。
つまり、日本は竹島問題に関して手も足が出ない状態なのだ。

どうしようもないから冷静に対応しろというのは、立派な意見だと思う。
しかし、本来なら韓国は竹島については紛争地にしないほうが得策のはずだ。
実効支配は韓国が続けているのだから、日本とごたごたを起こさない方がいい。
少なくとも日本から経済的な報復を受けるなら、韓国にとっても損になる。
それが逆に韓国から竹島問題を持ち出されるのは、日本が何もできないからとなめられているからに他ならない。
韓国のイミョンバク大統領は支持率を上昇させるために竹島を訪問したという意見が多いけれども、私はかなり怪しく思う。
むしろ経済の不振や兄の逮捕などで追い詰められたので、むしゃくしゃして日本をいじめにきたように見える。
日本は抵抗しないから八つ当たりしてもいいと考えているわけだ。

この状況からは脱さなくてはならない気がする。
いじめられっ子はただいじめられているのではなくて、なんらかの抵抗をしなければいじめから解放されない。
日本が韓国に対して切れれば、いろいろと被害は出てくる。
でもそうすることで、韓国が日本を挑発すれば損になると学習して行動を自制すれば、今後の日韓関係はずっとうまくいく。
戦後のゆがんだ日韓関係を正常なものに変化できるならば、その方がいい。

もっとも最終的な落ち着き先は考えておく必要がある。
アメリカとの関係を考えれば軍事紛争までにはいかないだろう。
本当にそうなりそうだったら、アメリカが仲裁してくれる。
だとしたら、経済的な報復合戦までだ。
日本がなんらかの報復をして、韓国がそれに報復をしたら、争いはエスカレートする。
けれども経済上の損失は企業が嫌がるだろうから、抑制しようと日韓相互にいろいろ働きかけることになる。
その力でゆっくりと争いは止まる。
日本側も感情的な反発は時間と共に落ち着いてくる。
自然と休戦になる。
そこで手打ちだ。
意味のない争いかも知れないが、韓国が竹島問題で日本を挑発しないことを学んでくれれば、争いにも意味がある。

日本と韓国の戦後の関係は、日本側の戦犯意識によって、日本側が常に引いて妥協することを繰り返してきた。
ここでいう戦犯意識というのは、日本の敗北で韓国が二つの国に分裂したことを含めている。
だから戦後日本は韓国を丁重に扱ってきた。
同じ国であった時代の人間関係がそれを支えてきた。
韓国側の事情をおもんばかって、反日を過度に主張したとしてもそれを許容してきた。
けれども、日韓の間の人脈も細ってきた。
互いの事情を斟酌して、問題解決を図る能力のある人はいない。
もはや日本も戦犯意識から解放されるときだ。
日韓の間をドライに交渉する、正常な国家間の関係に近づくべきなのだ。

とりあえず、今回の問題では外交的な損得でなく、日本が韓国に対して感情をぶつけることによって相互理解を図ったほうがいい。
ヤマアラシのジレンマではないが、互いが傷つけずにすむ距離を何とかつかもうではないか。

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韓国大統領の竹島訪問に思うこと
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続:ケインズ政策の何が間違っているのか?

2012.08.27 Mon

21:17:13

前回の記事では、ケインズ政策がGDPを成長させ失業率を減少させることが問題だと書いた。
けれども、普通の経済学者は基本的にGDPが成長することを歓迎している。
それではアメリカなどでケインズ政策に反対する経済学者の理由は何だろうか。

ケインズ政策の本質は金持ちから失業者への援助である。
「ロビンソンとフライデーの話」で書いたように、公共事業等で金を回せばとにかくGDPは上昇する。
しかし、本質的に重要なのは国民総効用だ。
政府支出の効用は計算できない。
税金という金を支払って、政府サービスを購入していると解釈もできるが、大きなくくりなので個々の効用は計算できない。
10の支出をすればGDPは10上昇するが、効用は10以上も1もあるだろう。
だから、10の支出をして効用が1ならば、9の部分は実質的に国家から誰かへの援助なのだ。
国家の負担が最終的に誰がなるかわからないのが、ケインズ政策のみそなわけで、多くの人間が得ではないかと錯覚できるところが支持されるゆえんだ。
最終的な負担は未来の金持ちに回すことができる。
今は貧乏人でも未来金持ちになれるならば、一部を負担することはやぶさかでなくなるはずだ。

しかし、格差が固定化するならば、負担する人間が誰かわからないという利点はなくなってしまう。
その本質が如実に現れているのがユーロ圏である。
ギリシャが赤字財政を取りヨーロッパ中央銀行(ECB)がギリシャ国債を購入するというのは、政府が赤字財政を取って需要を拡大し中央銀行が国債を購入してサポートするケインズ政策に他ならない。
しかしその政策はうまくいかない。
ECBによるギリシャ国債の購入に対して、ドイツ政府が強硬に反対しているからである。
ギリシャ国債は永遠に借り換え続ければいいとギリシャ国民が思っていても、それは返せないのと同じことだ。
ギリシャ国債をギリシャ国民が返せないならば、それは結局はギリシャに対する他のユーロ諸国からの援助に他ならなくなってしまう。
ケインズ政策は国家から貧乏人への援助だったが、その国が均質で貧乏人も時が経てば金持ちになることがありうるとみんなが思っているならば、ケインズ政策は家族の中での一時的な援助と受け取れる。
一時的に失業した人に対して家族が援助するのは別に不思議なことではない。
けれども援助する人間をたいして知りもせず、いつか時が経てば金を返してくれるほどの能力もないと思えば、ケインズ政策は完全に金持ちから貧乏人への援助になってしまう。
ユーロ圏の場合はドイツからギリシャへの援助だ。
ドイツが納得できる限界がケインズ政策で発動できる支出の限界になってしまう。

アメリカで財政赤字に対する批判が激しくなっているのも同じことだ。
累積の借金のGDP比がどうこうよりも、アメリカでは所得格差が激しくなり人種的な格差も広がっているから、ケインズ政策を有効に働かせる国内のまとまりが弱くなっているのだ。
国内のまとまりが弱くなれば、ケインズ政策は貧乏人が票の力を利用して金持ちから金をせびり取るようなものになってしまう。
共和党が財政支出の削減に熱心なのは支持層である金持ちから金を取られないようにするためであり、民主党が財政支出の削減に反対なのは支持層である貧乏人に金が回るようにするためだ。
共和党系の経済学者はそれを理論的に補強するために、ケインズ経済学に反対しているのだろう。

日本は累積債務を1000兆円GDP比約200%まで積み上げてきた。
これだけ積み上げられたのは、なんだかんだといいながら日本がやはり同質な国であり、借金の返済を国民全体が負うことで、誰が損をかぶるかと言うこともないからだろう。
公共投資も1990年代は地方中心に投資されたことで都市から不満は高まったけれども、2000年代は小泉改革と共に地方への投資も抑えられ、財政支出は高齢者に対する社会保障が中心となり、誰が得で誰が損ということもあまりなくなった。
日本の貯蓄が高齢者に集中していることを考えれば、高齢者の中だけで金が回っているともいえる。
国債の最終的に負担する人が誰になるかはわからないが、インフレによって支払われるならば今金融資産を大量に持っている人とその子孫になる。
消費税という形で負担するとしても、使うためには資産を持っていなくてはいけないから、やはり今の高齢者が負担するのと同じだ。
高齢者の中だけで回っているからこそ、ここまで国債を積み上げられてきたのだと思う。

まとめると、アメリカの経済学者がケインズ政策に反対する最大の理由は金持ちが貧乏人に対する援助を嫌がっているからだ。
テーパーティー運動がアメリカで強力に広まっているのも、白人裕福層が黒人やヒスパニックに対して支援したくないからだ。
アメリカの国としての分裂がケインズ政策の限界になりつつある。
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ケインズ政策の何が間違っているのか?

2012.08.24 Fri

21:31:10

経済学者はバカなのか「さっさと不況を終わらせろ」

上記の記事を読むと、ケインズ政策に反対する経済学者はバカらしい。
ケインズ政策に反対し、自分はバカでないと思っている人として、反論したくなった。

まず、なぜケインズ政策に納得できるのかが、私には不思議だ。
たぶんケインズ政策によってGDPが増えるのだから正しいと考えているのではないか。
そして失業率が減少することは望ましいと。

でも本当にGDPが増えることはいいことなのか。
たとえばケインズ政策では、政府支出の増加によって、穴を掘って埋めるだけの仕事をしても、その仕事代分GDPは増加する。
しかし、そのGDPの増加には意味がない。
少なくとも、失業者にその金を仕事せずに渡した方が、国全体の効用としては増えているはずだ。
失業者は費やした労働を別のことに回せるからだ。

だから、普通はなんらかの効用を持った公共事業をしろと、ケインジアンは言っている。
でも、その効用は本当に意味を持っているのか。
たとえば地震による津波で島が大きな被害を出した。
この被害を二度と出さないように、津波を防ぐ施設を建造して復興させた。
けれども、その島から住民が移転していなくなったら、その公共投資に意味はあるのだろうか。
つまり、本質的に政府が正しい公共投資をするかは不明なのだ。

もっとも政府は社会が必要とする公共投資をしなくてはならないのは当然だが、それは好不況と関係ないはずだ。
好況でも必要ならば投資する必要があるし、不況でも無意味なものは無意味だ。

失業者が減少するのは望ましいことではないのか、という意見があるかもしれない。
実際社会で活動しないでいると人間が不良資産になるという話だ。
問題なのは、その活動をすると本当に経済的な価値が上がるかということだ。

日本はバブル崩壊後、公共投資を大幅に増やした。
建設業者は増え、建設業の労働者も増えた。
でも政府の公共施設の建造は無駄であるという世論に押され、近年大幅に公共投資は削減されていった。
それに伴い建設業の労働者も減少しているけれど、公共投資は労働者に対する人的投資として正しかったのだろうか。
私は懐疑的だ。

だから、ケインズ政策が問題なのはGDPが増えて、失業者が減少すること、それ自体なのだ。
「ロビンソンとフライデーの話」で書いているが、資産価格の下落によるバランスシート不況では、新しい成長分野を見つけだす必要がある。
その新しい分野を開拓するために、今やっている仕事をやめて、挑戦する人たちが必要となる。
だから、不況による失業者の増加は正しい道だ。
失業者が政府の公共投資による仕事に従事して、頭を使わなければ新しい模索はありえない。
あるいは、政府が前と同じだけの所得を失業者に保証したら、たぶん失業者は新しい仕事を探す気力を失うだろう。

私の意見は失業者への生活保障は一切ダメとか、公共投資は一切ダメという意見ではない。
飢えて死ぬような話ならば援助は当然だろうし、不況によって金利が低下するのだから必要な公共投資はやった方がいい。
大事なのはそれで景気を立て直すのではなく、病が重くならないように安静にさせることだ。

重要なのは失業率が上昇して新しい仕事を見つけようと努力していくこと、それ自体だ。
努力ではGDPは上昇しない。
努力が社会の中で受け入れられて、始めて価値を生み出す。

私の場合を例に挙げれば、この失われた20年に自分としては経済学に対して多大の貢献ができる理論を考え付いたと思っている。
そして、この貢献を本などにして、収入を稼げるようになれば、努力が実を結び、GDPを成長させることになる。
けれども、世間が私の理論を単なる妄想というか、読む価値がないものととらえれば、当然効用は0で、GDPは全く成長しない。
つまり暗中模索の中の努力は、無価値かもしれないし、価値があるかもしれない。
でもそれは終わった後でなくては、わからないのだ。

とはいえ、新しく価値を生み出す、成長する、ためには暗中模索が必須であることは当然だ。
GDPは暗中模索中増えないけれども、それは必要な期間になる。
そして、今までの歴史から考えると、人間は必ず新しい成果を生み出し、再び成長できるようになるのだ。
その進歩を遅らせる点でケインズ政策は間違っている。

もう少し追加したいことがあったのだが、それについては明日に。
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日本の生産性の成長

2012.08.23 Thu

21:16:38

今日読んだ中で一番気になった記事が、「失われた20年、実は日本の生産性は成長していた」だ。

この20年の日本の生産性やその推移を記事にしている。
数字を伴ってまとめられると想像力が刺激される。

グラフでは日本がこの20年労働生産性はそれなりに上昇し、資本生産性は90年代は低下を続け、2000年代は世界の中でもトップクラスの上昇をしたことを示している。
資本生産性が90年代下がり続けたのは、バブル後の不況によって既に発注していた設備投資が完成したのに対して、それに比例する形で生産高は増えなかったからだろう。
バブル以後のムダの塊みたいな、公共事業や観光施設の建造によって、資本は増えたけれども、それを使う人がいなければ当然生産性は落ちる。
そういう話だ。

2000年代になると不況によって、リストラをせざるを得なくなった。
無駄な設備を廃棄処分することで生産性が向上した。
世界で見ると多くの国で2000年代からの資本生産性はマイナス成長になっている。
これは日本のバブル以後の対応を今実行しているからだろう。
またバブルの時期は日本の1990年ごろの資本生産性の成長率が高くないように、資本を無駄遣いしがちだ。
だから世界の資本生産性は2000年代低くなっている。

労働生産性は一応ずっと成長していた。
実質成長率が常にプラスであり、日本企業はあまり人を切ることをしないので、労働生産性は結果として成長を続ける。
アメリカみたいにダイナミックにリストラをすると、労働生産性は大きく動く。
実際金融危機後、アメリカ企業は人切りを大幅に進めて、労働生産性が向上し、企業利益を高く保っている。
ただ短期で見た労働生産性にどれほど意味があるかわからない。
長期的に労働生産性が上昇しているならば、重要なのだろうけれど、世界の中では普通に伸びただけのように見える。

いろいろと思考は刺激されるのだけれど、さてここから何が言えるかというと、たいしたことが思いつかないでいる。
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尖閣諸島問題について中国はどう考えているか?

2012.08.22 Wed

21:22:06

尖閣諸島問題について、中国はどう考えて行動しているのだろうか。
下記にあるように、領土拡大を求めて戦略的に行動しているというのが一つの見方だろう。

中国の「経済ミサイル」に要注意
尖閣を巡る次の圧力は「威圧経済外交」か


しかし、私にはそう思えない。
中国共産党が未だに共産主義の理想を信じ、世界支配の野望を持っている可能性はある。
社会主義市場経済などという、いんちきにしか思えないスローガンをかかげていても、経済を知らない一部の共産党官僚はドグマ的に共産主義の優位を信じているのかもしれない。
中国人民解放軍あたりも信じている可能性がある。
けれども社会主義市場経済というお題目で、10数億人の中国人を支配している共産党指導部が、そんな理想を信じているように見られない。
すでに指導者も、毛沢東、とう小兵、江沢民、胡錦濤と4代を数える理想を目指した時代は、とっくに終わったことだろう。

それでは、今の中国が目指している外交目標は何だろうか。
私には、今の中国は戦前の日本と物凄く似ている、と思えるのだ。
経済力、軍事力が大幅に伸長しているけれども、世界からはそれに見合った待遇が与えられていない。
共産主義というイデオロギーで活動しているので世界からは仲間外れにされている。
先進国に国全体としては大きくなったとしても、1人あたりのGDPではまだまだ全然低い。
優越感と劣等感がないまざって行動している。

アメリカに対抗するための軍事費の増額は軍部の力を増強させている。
特にイデオロギー的な力を持たなくなっている共産党指導部はどうしても、軍部の力を気にせざるを得ない。
軍部は予算が増えている以上、それを使いたい誘惑にかられている。
戦前の日本で最終的に軍部が力を持てたのは、世界に力を見せ付ける点で国民に支持されたからだ。
中国でも、中国の力を世界に見せ付けたいと思っている人間がたくさんいるように思われる。

下記の記事は親日と反日に関係なく、領土の増加を支持する人々が多くなっていることを示している。
「親日」か「反日」かでは語れない領土問題

しかし、戦前の日本は破滅への道を進んでいった。
軍事的に強くなれば、小国に対しては勝てる。
でも世界の秩序に反すれば、反動もきつい。
日本の中国侵略はアメリカを中心とした反発をまねき、悲惨な戦争に日本を追い込んだ。
核の呪縛は中国を戦争へなかなか導かなくとも、周辺諸国との領土争いを続ければ、経済に支障をきたす。

日本も指導部が欧米との対立を避けるために、軍部の活動を押さえ込もうとしたが失敗した。
中国では全面戦争がほとんど考えられない以上、ある程度のところで抑制が効くと思う。
しかし、国民の間で不満が高まっていては、そう弱気にも出られない。
つまり、中国の行動はよそから見ると、強気になったり、弱気になったりで、統一されなくなる。
世界は中国の深い戦略と考えるかも知れないが、たぶんに誤解だろう。
目先の危機を解消するために、手当たりばったり行動しているに過ぎない。
日本の小泉政権のころに副首相が小泉首相との会見をどたんばキャンセルしたのがいい例だ。
反日というお題目で中国国内をまとめているために、日本がいうことを聞いてくれないとそれだけでぱにくっているようなものだ。

それでは、今後中国は尖閣諸島問題に対してどう行動するだろうか。
尖閣諸島に対して日本側の実効支配を強化させなかったのは、ある意味中国外交の勝利だった。
日本が有効な対策を取れないうちに、中国の国力を拡大すれば、いつかは尖閣諸島を領有できるというわけだ。
台湾に対する軍事的侵攻を考慮すれば、尖閣諸島を支配するのは有効に見える。
でも国民に対して、尖閣諸島は中国領だと主張したのは諸刃の刃だった。
その主張にとらわれて、日本の実効支配の強化に対して、対抗措置をとらねばならなくなっている。
中国指導部から見れば尖閣諸島は大いなる悩みの種になりつつあると思う。
領土問題は妥協しづらいからだ。

それでも日本が尖閣諸島に実効支配の行動に出ればどうなるか。
前の記事で書いているように、国際司法裁判所への提訴ではないだろうか。
今の日本が竹島にされていることへの対抗措置と同じだ。
国際司法裁判所に提訴して、自分たちの方に正義があると国際世論に訴えるわけだ。
日本が拒否すれば、国民に対して自分たちが正しいことを示せる。
そして、今は時期ではないが、いずれは軍事力を持って奪還すると国民に約束できる。

日本が竹島で国際司法裁に提訴するのと同じ理由となる。
違うのは韓国が提訴に応じなくとも、軍事力を使用しないことだろう。
日本国民が自分たちに正義があると思ってくれれば、国内世論をおさえられる。

中国の場合の問題は国際司法裁に提訴しても日本が応じてしまう可能性がある点だ。
日本が応じれば、少なくとも実効支配を崩したことになる。
日本が竹島に対して韓国が裁判に応じれば、自分たちの主張の勝利と言うように、中国も国民には自分たちの勝利と主張できるだろう。
しかし、負けると尖閣諸島を支配する可能性がなくなってしまう。
もっとも、国際司法裁で負けたなら、国内世論をある意味抑えられる。
日本が竹島に裁判で負けたならば、たぶんあきらめるように、中国国民も納得するだろう。
リットン報告書を日本人が拒否したように、中国人も拒否する可能性はあるが、実効支配をしていなければ、別の方面に焦点を移すと思う。

この理屈は南シナ海にも適応できるだろうか。
中国はASEAN諸国との南シナ海の紛争では他の国の仲裁を拒否したい。
二国間で対立している方が自分の意見を力で押し通せると考えているからだ。
軍事的手段だけでなく、経済的な力も有効に使える。
そして、とにかく自分が先に居座ってしまえば、軍事的に対抗できない国に対しては勝てると思っているからだ。
だから、こちらでは国際秩序への仲裁はなかなか受け入れない。
裁判に負けて撤退するのを国民が許容しない可能性もある。

南シナ海の問題と尖閣諸島の問題は中国政府では異なる対応だろうけれども、中国が軍事的に勝てない状況で日本が実効支配を進めれば、国際司法裁の提訴を共同で行う可能性は十分にあると思う。
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