異をとなえん |

言語に優劣はある

2010.11.25 Thu

03:03:19

言語に優劣はないという意見を見かけることがある。
しかし、私には言語に優劣がないという理屈はおかしく感じられる。

コンピューター言語では、アセンブラで書くのと、Rubyで書くのとでは生産性に多大の違いが出る。
自然言語においても、情報伝達の効率や処理に、言語の違いによって変化が出るのは当然のはずである。
たとえば、自然言語でも、その言葉の全てを0と1のビットに変換して、伝達していたら人間はコミュニケーションできないだろう。
それ以前に、0と1のビット列など元に戻すこと自体が一苦労である。

極端な例を出したが、自然言語にだってコンピューター言語と同じような情報伝達と処理効率の差はあるはずだ。
たとえば、言語の語彙には言語ごとの特徴がある。

アラスカの原住民の言葉では、雪に関する言葉がたくさんあるというなどは有名な話だ。
と書いて、ネットで検索してみたら、どうもこれは与太話らしい。
参照:なぜ本屋でトイレに行きたくなるか: エスキモーの表現する雪
そこで例を変える。

アラスカの原住民の言葉では、アザラシに関する言葉が豊富にあるらしい。
それらは、使うことが頻繁にあるから、成立しているわけで、そうでない言語で同じ内容を話せば冗長になるのは当然だ。
効率は当然環境依存になる。
アザラシに関する言葉の処理効率が良くても、その言語が優れているとは言えないだろうが、アザラシに関係する情報を処理する場合などと条件をつければ、言語の優劣は判断できるはずだ。

同じようなことはコンピューター言語にも言える。
FORTLANは科学技術計算で膨大なライブラリがあり、計算の最適化の技法も進歩している。
だから、言語の基本的な使い勝手とは関係なく、科学技術計算ではFORTLANを使うことが多い。
その場合には科学技術計算において、FORTLANは言語として優れているという話になる。

自然言語も情報処理のためのツールとして比較可能であるはずだ。
けれども、自然言語では、その差異はあまり大きくはない。
自然言語はできてから物凄い時間がかかっている。
人間に言語が発生してから、ざっと1万年は経っているのではないか。
コンピューター言語が人工的に作られて、長くても50年やそこらとは比べものにならない。
そして、自然言語は自然に発生してから、人間の間で使われることによって、自然に進化してきた。
緊急情報の伝達は短かくわかりやすいようになっただろう。
いや、言語の発生は緊急情報の伝達こそ要だったはずだ。
獣が仲間に襲いかかろうとしている時、その危険を知らせるためにまず言葉が発生した。
それは短い叫び声だ。
その後、段々と情報を付加できるように言語は発展していったことだろう。

自然言語は、その自然の錬磨によって、基礎語彙と呼ばれる200語程度の情報の伝達においては、ほとんど効率に差はない。
文法の難易度とか、文法の例外の多さみたいな問題も、言語の処理効率に関係してきそうだが、一方で得をすると、一方で損をするような関係が成り立ちそうで、全体で考えると、やはり効率に差はないと思う。
私はそう考えている。
だから、自然言語には基礎的な部分において優劣はない、というのは正しい。

しかし、効率に差がないのは基礎の部分だけで、更に付加されてきた部分には適用できない。
付加されてきた部分とはいろいろあるだろうが、もっとも重要なのは、数と文字だ。
これらは特別な環境とも言えるが、現代では対応すべき必須の環境だ。
数を使わなければ、文字を使わなければ、それ以外の部分では他の言語と効率は同じだと言っても、残念ながらもはや現代では役に立たない。
現代の言語においては、数や文字を効率良く使いこなせないのなら、劣っていると断言できる。

数については、石原慎太郎のフランス語発言で有名になったように、フランス語は99を表わすのに、20が4つに10足してさらに9を足す、とか表現する。
不合理極まりないと思うのだが、このような効率の悪さが残るのも、数という概念が言語に取り込まれたのが、遅かったからだろう。
あるいは、数の言葉が生まれた頃が、文字が生れてくるのと同じ頃で、文字によって古い言葉を保持し続けたのかもしれない。
フランスは先進国として発展しているのだから、致命的な問題ではない。
けれども、数の処理効率が少し低下しているのは明らかだろうに、これによって得をする部分もないように思える。

もう一つ文字の効率がある。
日本語は漢字、カタカナ、ひらがなと三つの文字がある。
この三つの文字を併用することによって、文章を読む時の効率は他の言語に比べて優れていると感じる。
他の言語と言っても、私は英語しか読んだことがない。
後はまだ漢文だけだ。

私は日本語ネイティブで後天的に英語を学習した人だが、英語と日本語の文章の読み易さを比較すると日本語の方がずっと読み易い。
英語もかなり慣れてきたつもりだが、それでも絶対に同じ領域になれるとは思えない。
日本語と英語の間に読み易さの差があるのか、それとも単にネイティブの言語の方が読み易いだけなのか、私はずっと疑問に思っている。
日本語以外の言語ネイティブで後天的に日本語を学習した人が、両方の言語の文章の読み易さを比較したら、どのような結論を出すだろうか。

中国語と日本語を比べてみると、中国語の方が日本語よりずっと圧縮されている。
通信する情報量が少なくても済むという利点はあるが、現在は通信量よりも、人間の処理効率の方がずっと重要だ。
その点遊びのある日本語の方が、効率的に思える。

日本語は読む方の効率は優れているとしても、そのための副作用はないだろうか。
書く時の効率は表音文字よりも明らかに劣っている。
コンピューター時代の前は、タイプライターが普通の人に使えないという点で、日本語はむしろ劣っていると見られた。
しかし、かな漢字変換によって書く方の効率は大幅にアップし、問題点はなくなった。

もう一つ副作用として、会話の効率の悪化がある。
日本語は同音異義語の大量発生によって、会話での効率は悪くなっているだろう。
ただ、文章による情報伝達の重要性に比べると、音声のそれは落ちると見られる。

日本語の文章の読み易さが他の言語より優れているかどうかは、難しい問題だ。
結論が簡単に出るとは思えない。
あるいは、条件を一定にすることが難しいことを考えると、永久に出ないかもしれない。
また、文章による読み易さは優ったとしても、その他の副作用で帳消しにする考えもあるかもしれない。
これらの点を比較考慮して判断するのは難しいだろうけれども、不可能とは思えない。

まあ、日本語が優れた言語かどうかは、今回の記事の主題ではない。
自然言語の優劣というのは、数や文字のレベルまで含めると十分ありえることを主張したいのだ。

余談、本題と全然関係ないのだが、国語という科目名を日本語に変更すべきという意見がある。
どちらでも構わないような気はするが、漢文は日本語に入るのだろうか。
私の感覚では漢文は古代文章中国語であって、日本語ではない。
国語が日本国民が知っていた言葉を意味するのなら、古代文章中国語と日本語、両方合せて国語で正しいと思う。

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