異をとなえん |

「黒船前夜」の発売決まる

2010.01.23 Sat

20:57:00

「日本近世の起源」感想という記事で触れていた、渡辺京二氏の「黒船前夜」の発売日が決まっていた。
2010/02/02だ。
価格は3045円で私には高い。
でも、この人の本は立読みだとしんどいので、買ってしまいそうだ。


アマゾンの内容紹介は次のようになっている。

引用開始

名著『逝きし世の面影』から十余年……。
いま漸く、その続編が書き継がれた!
ロシア・日本・アイヌの三者の関係をとおして、北方におけるセカンド・コンタクトの開始を世界史的視点で捉える。
異文化との接触で生じる食い違いなどエピソードに満ちたこれこそ人間の歴史! 渡辺史学の達成点を示す待望の書、遂に刊行!
引用終了

グーグルで検索して見ると次の二つが記事の内容に関係している。

渡辺京二さん「黒船前夜」 毎週木曜に連載

渡辺京二・『黒船前夜』…シベリアの連水陸路とは

ロシア・日本・アイヌの交渉史の基本的な所から説明する本になりそうだ。
アイヌの歴史はよく知らないから、その確認だけでも意味はありそうな気もする。
よく考えてみると、ロシアのシベリア開発史もよく知らないな。
よく考えずとも知らんか。

基礎的知識だけでは面白くないから、どういう新視点があるのか。
どう料理してくるのか、ちょっと楽しみになってきた。
しかし、新聞連載なのに真っ当な感想が一つしか上がっていないのはどうしたことか。
熊本日日新聞を読んでいるブロガーなんて、ほとんどいないんだな。
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「素数に憑かれた人たち ~リーマン予想への挑戦~」感想

2010.01.23 Sat

03:49:06

少し前にNHKスペシャルで「魔性の難問〜リーマン予想・天才たちの闘い〜」という番組を放送していた。
その番組を見て、リーマン予想とは何ぞやと思って、読んだ本がこの本だ。



テレビでは最初ゼータ関数が無限和で表わされているのだが、途中で何の説明もなく黒板で無限積に変更されていた。
疑問符が頭の中で激しく発生するのだが、その疑問に答えてくれる。

本自体は、偶数章が歴史、奇数章が数学という、構成になっている。
私は偶数章を飛ばして奇数章だけ何回も繰り返して読んでいた。
難しく半分も理解したとは到底言えない。
けれども、「ゼータ関数の自明でない零点は、全て実数1/2の直線上に存在する」という、全然意味がわからなかったリーマン予想の意味だけは明確にわかるようになった。

本の中での驚きは二つあった。
一つは、素数計数関数の計算式が既に存在していることだ。
100万にまで素数が幾つあるかと言うのは、素数を数える必要がなく、ゼータ関数の零点を含んだ計算式を使えば求めることができる。
素数の個数という計算で求められると全然思えないような物が、実際に計算できるというのは神秘的である。
解析的数論という数学の一つの分野が生まれるのも当然に思える。

もっとも計算量が減るのかどうかは、よくわからなかった。
100万までの素数の個数を正確に求めるには、100万までの素数を数えるのと同じくらいの計算量分だけゼータ関数の零点を求める必要がありそうな気もする。
ゼータ関数の零点は無限にあるので、計算は無限に続く。
しかし、答えの素数の個数は整数なので、ある程度まで計算すると整数値が定まる。
もっとも計算自体には別に意味がないのかも知れない。
素数の問題がゼータ関数と結びつく所が重要なのだろう。

もう一つの驚きは素数計数関数と対数積分の大小関係が、とてつもない数の大きさで逆転することだった。
当時の数学者も驚いたらしいが、私にも驚きである。
数なんて大きくなっても、たいして変わらないと思っていた所にとんだ不意打ちだ。
とてつもなく大きい数では、本当にとてつもない事が起こっているのだ。
世の中はあなどれない。

リーマン予想自体の美しさはよくわからない。
なんとなく感じたのは特に直線上に並ぶ理由がないように見えることだ。
だからこそ、美しいのかもしれない。
そして、成り立たない可能性もあるというのが凄い。
今のコンピュータでは到底計算できない彼方に変なことが起こっている。
そこでリーマン予想が成り立たない世界があったとしたら、それは丸いと思っている地球が平面だとわかる瞬間かもしれない。

本を読んで思うのは数学教育の疑問だ。
数学はかくも美しいのに、なぜ数学の授業は個別の問題を一つ一つやらせるのだろうか。
数学は難問の解決を目指して発展してきたのだから、難問の提示があり、それを解決するための技として数学を教えていけば、ずっと興味深く勉強できたのにと、今になって思う。
複素平面はついに学校では学ばなかったけれど、三角関数なんて複素数と組み合わさなければ魅力が半減してしまうのではないだろうか。
なんか一番おいしい所を食べそこなった気がする。

NHKスペシャルを見てリーマン予想に興味を持ったのだが、チンプンカンプンだった人には絶対のお勧めである。
高校レベルの人でも、なんとなくは理解できる。
フェルマーの最終定理の本が全然わからないままだったのとは対照的だ。
図書館に本を既に返してしまったので、感想を記事にするのをやめようかと思った。
けれども、その魅力をどうしても語りたくなってしまった。
数学は素敵だ。
全然わからなくても心魅かれる。
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コメントは賛否の意思を明確に

2010.01.21 Thu

16:48:20

「初音ミクと外国人コレクション」
へのコメントへの回答ですが、長くなったのと一般的な文章コミュニケーションの問題を含んでいるので記事としました。

Cicadoideaさん、コメントありがとうございます。
管理人のみへのコメントとなっていますが、公開を前提としている文章に見えるので投稿ミスだろうと判断して公開します。

下記がCicadoideaさんのコメントです。

引用開始

はじめまして。Cicadoideaと申します。
で、この話なんですが、日本には昔から映像(絵画)の文化が有ったと思います。
これ、映画の話になって議論の場になっちゃうんで、あまりいいたくはないんですけど。
結論で言えば、日本人は古くから有る映画を捨て、ハリウッドテレビに移行していったんだと思います。
これが顕著にわかるのは、1985年あたりからだと記憶してます。
このコメは私がイチイチレスしないので、反論有る方は気長に待ってください。
引用終了

私がブログに書いた記事では、欧米人が日本人の作った欧米を舞台にしたCMを見たら、
日本人がタイ人や台湾人の作った日本を舞台にしたCMを見るような違和感を感じるのかが、一つの疑問でした。
たぶん、Cicadoideaさんのコメントは違和感を感じないと言う意見だと判断しました。
その理由は日本には映像の文化があったからだと思うのですが、実は意味がよくわかりません。
日本人は映画や絵画を作った経験があるから、微妙な映像の差異を判断できるという意味でしょうか?

次の「日本人は古くから有る映画を捨て、ハリウッドテレビに移行」という部分は全然出てくる意味がわかりません。
「日本には昔から映像(絵画)の文化が有った」という意見と、どうつながるのでしょうか?
映画もテレビも映像の話だから、この文脈で出てくる場合は何も変化がないという事実だと思います。

そんなわけで、Cicadoideaさんの意見は私にはほとんどわかりません。
文章でのコミュニケーションはなかなか難しいと本当に感じます。
私も自分の記事を読み直してみると、何を言わんとしているのか判断しにくい文章が多いと常に感じます。
たぶん、多くの人もそんな風に感じている気がします。
そんな時、この部分は何を言っているのかわからないとかいうコメントをしてくれたらと思います。
全部わからないという意見は勘弁してください。

文章のコミュニケーションの難しさは、全体としての意見の賛否がよくわからないことです。
普通の会話の場合、全身の表現を使ってなんとなく賛成か反対かの意思がわかります。
文章の場合はどうもそれが明確でなくて、理解するのが難しいです。
2ちゃんねるのコメントがそれなりに理解しやすいのは、
あるコメントに対する賛成反対の判断が明確に示されていることが多いからでしょう。
賛成するか、反対するかが明確に示されないと、受け取る方ではどう判断していいか本当に困ります。

ちょっと話がずれますが、現在放映しているアニメ「天体戦士サンレッド」の中に出てくるヘルウルフというキャラクターは「おまえ ころちゅ(殺す)」と、「おまえ ちゅき(好き)」という、二つの言葉しかしゃべりません。
表情は全然変わらないキャラクターなので、受け手はそれだけではコミュニケーション困難です。
しかし、実際には言葉として賛否の意思が明確にわかるので、それなりにコミュニケーションできます。
賛成反対、あるいは肯定否定の意思が明確に示されれば、意見を聞きたがっている方としては十分有り難いわけです。

逆に言うと、書く方もあいまいな書き方は避けなくてはなりません。
前の記事はそう言う意味で落第です。
自分の意見はこうだと言うのが明確でないと、コメントをつける方も賛否の示しようがありません。
遅ればせながら書いておくと、前の記事では、欧米人が日本人の作った欧米を舞台にしたCMを見たら、
日本人がタイ人や台湾人の作った日本を舞台にしたCMを見るような違和感は感じないだろうと言うのが私の予想です。
タイトルに「コメントは賛否の意思を明確に」としたのだから、そのようなコメントをつけられるような文章を書かなくてはいけません。

Cicadoideaさんのコメントをネタにしてコメントについての要望を書いてみました。
Cicadoideaさんのコメント自体は元の文章が明確でないのだから、賛否をつけられるわけがありません。
それなのに賛否を明確にしてくれという要望の記事に使って申し訳ありません。

私はできるだけ主張が明確の文章を書きたいと考えています。
ですから、コメントもまず賛成か反対かの意見を最初に書いて欲しいです。
コメントだけではなく、文章によるコミュニケーションでは意見の明確さが一番重要だと感じます。
もっとも、理屈だけの文章ではなく、感情を主体にするような文章はまた少し違うのかもしれません。
私はそこらへんの理解が不十分な気はしますが、理屈を主とする文章が多いと思うので勘弁願います。

それでは。
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初音ミクと外国人コレクション

2010.01.21 Thu

02:26:04

ここ最近はまったブログが面白いので紹介してみる。

初音ミク視聴のススメ

既にファンには周知かも知れないけど、私はあまりボーカロイドのファンではないので何を聞くのか教えられると便利だ。
名作で見る初音ミクの歴史の所の曲を聞いていると時間が飛んでいく。

Youtube☆外国人コレクション

Youtubeに投稿されている中で日本文化にはまっている外国人の物を集めている。
Youtubeから選ぶのはそれだけでも大変なので役に立つ。
たくさんありすぎてとても全部は見られないが、大雑把に見た中で面白かったのを二つだけ挙げておく。

CMからかいま見るタイ王国と日本

なぜか?日本語でCM 台湾

「外国メディアの日本特集」のカテゴリ中心に見たのだが、CMは短かくパッと見てわかるようにできていて大変有り難い。
CM自体の日本の紹介も、本物の日本と微妙に違っているのが興味深い。
日本のCMも外国の紹介で同じことをしているのかもしれないと考える。
けれども、日本のCMではアメリカなどを舞台にした場合アメリカの映画と同じ感じに見える。
この感覚はアメリカ人の作った映画と日本人が作ったCMの間に本当に差異がないからなのだろうか。
それとも、本当は差異があるのだけれども、微妙な差異なので日本人の私は把握できないのだろうか。

逆に台湾やタイのCMで描かれている日本像の差異は、日本が製作している映画やテレビが普及していないからと考えていいのだろうか。
それとも、それを見た上でそのまま真似るとああいう映像になるのだろうか。
どう把握していいかわからないが、そんなことを考えた。
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武士の窮乏化とグローバリゼーション

2010.01.15 Fri

17:08:56

歴史の教科書の江戸時代の部分を読むと、「貨幣経済の普及につれて、武士の窮乏化が進んだ。」なんて記述が見られる。
私は高校生の頃、あまり納得できなかった。
貨幣経済の普及というのは、いろいろな贅沢品を貨幣で買うことができるようになったと理解していたと思うが、自分の収入に見合わない商品を買って貧乏になるというのは自業自得だと考えていたものだ。
商人たちが贅沢な暮しをしていたって、それは自分たちの生活とは直接関係がない。
見栄を張って身分不相応な暮らしをしたら、破滅するのは当然だ。
だから、幕府が贅沢禁止令を出すのは、武士が商人たちに見栄を張ろうとするのを止めるためだと考えていた。
せせこましい政策に見える。
けれども、経済学的に考えると、「貨幣経済の普及につれて、武士の窮乏化が進んだ。」という表現の意味がわかるようになった。
あるいは、もっとわかりやすく説明できようになった。
その話をしてみたい。

江戸時代、「日本文化の原型」の紹介でも述べていたように、生産性が大幅に改善されて人々は豊かになっていった。
それなのに、武士は貧しくなっていったし、東北では大飢饉も起こっている。
それはなぜなのだろうか。

武士が貧しくなっていったのは、収入が増えなかったからだ。
武士の収入は年貢だが、江戸時代の最初の頃は米の半分を徴収するのが普通だったらしい。
「五公五民」と呼ばれるものだ。
しかし、それでは豊作不作によって収入が上下することになる。
それは不便だし、何よりも米の生産量の調査の手間が大きい。
年ごとに一定の量の米を収める方法に変えれば、量が一定になって処理しやすくなる。
取り分もその時点で六四とかならば、武士にとっては得だ。
農民も生産量が前と変わらなければ、不利なだけだが生産量が増えれば有利になる。
年貢の量が一定ならば、それ以上に取れた分については全部自分の収入になるからだ。
だから、その方がシステムとしては、うまく出来ていて、次第に年貢を収める方法はそちらに移行していった。

生産量が増えれば増えるほど、農民の生活は豊かになるので、いろいろと工夫して米の生産量はどんどん増えていく。
国民全体が消費できる量を越えるほどまでに増えていったのだ。
問題なのは、米価が下がってきたことだった。
社会全体としては、生産量が増えること自体はいいことだ。
価格が下がれば、その分消費量は増えていく。
たとえば米の場合だったら価格が安くなることで、米が食べられる人は増えただろうし、米を原料とする清酒の生産量も増えていった。
それでも消費できないならば、生産量を一定に抑える力が働き、労働力が別の分野に向かうことになる。
江戸時代だと、そのような労働者は江戸や大阪に働きに行くようになり、新しい需要を生産する方面に向かうことになった。
農家の次男や三男が江戸に丁稚奉公に行って働くという話だ。
経済が成長すれば、余剰労働力は別の生産を始めるので、段々と生活は良くなっていく。
農民、職人、商人の生活は良くなっていったわけだ。

しかし、そうならない人たちもいる。
武士がその筆頭となる。
武士はその収入を米に換算される年貢として受け取っている。
昔は米だけでなく、他の農作物や労働力自体も提供され、それだけで生活を賄っていった。
豊かになるにつれて、支配している農村だけでは必要となる商品が足りないので、他の地域と商品を交換することによって、生活するようになる。
他の地域と商品を交換するには、共通の通貨があった方がいい。
その結果、年貢の徴収を米だけに絞り、その米を売却して、他の必要となる商品を手に入れる方が合理的となった。
つまり、貨幣経済の普及というわけだ。

この状況で米価が下がれば武士の総体としての収入は減ってしまう。
上に述べたように、受け取る米の量は一定になっているのだから、これ自体で生活が苦しくなる。
もう一つの問題は、米価が下がると同時に、他の価格が上がることだ。
米価が下がっているのは米の収穫量が増えていることだから、一人当りで見ると米生産は増加しているわけだ。
この時代は米自体が通貨みたいなものだから、現代で言う一人当り国民総生産が増えているのと同じことになる。
そして、一人当り国民総生産が増えているということは、個人の給料が増えていることであり、そのため他の商品の価格は上がっていく。
この場合、他の商品というのは生産性の上昇がないにも関わらず、需要が変わらない商品ということだ。
具体的に言うとサービス業である。
農業工業の生産物が大量生産によって、大幅に価格が下落するのに比べると、サービス業は生産性がなかなか上がらない。
そして、需要も大きくは変わりにくい。
もちろん、生産性も需要も変わりにくいだけで、長期間だと変動するのだが、ここでは固定として考えておく。
そうすると、労働者の賃金が上昇すると、それに連れてサービス業の価格も上昇することになる。
サービス業は卸売小売業を含んでいるのだから、つまり全ての商品の価格が上がるということだ。
日本の高度成長時代に賃金が急上昇しているから、諸物価が急騰していたようにだ。

ここで江戸時代の武士の話に戻る。
今言ったように、江戸時代は生産性の上昇によって、賃金は上昇していたと思われる。
そうすると、武士の収入は米価の下落によって減少し、支出は賃金の上昇による諸物価の高騰によって上昇していくことになる。
窮乏化するのは当然だろう。
もちろん、武士が収入源たる米だけで暮すならば、支出は増えないが実際には米だけで暮すわけにはいかない。
衣食住の衣と住は金を払っていくしかない。
食だって米だけで暮せる人はいない。
おかずだって必要だ。
そんな訳で武士たちは貧しくなっていった。
ここで重要なのは、武士の生活が相対的に窮乏するのではなく、絶対的に窮乏することだ。

それでは、これを改善するにはどうしたらいいのだろうか。
一番に思いつくのは、収入を増やすことだ。
けれども、これは簡単には行かない。
収入を増やすのは年貢を増やすことだけれど、当たり前だが農民は反対する。
何らかの得がなければ、はいそうですかと納得するわけがない。
実際、徳川吉宗は年貢を増やそうと税率を上げたために、膨大な一揆を招いた。
当たり前だが、武士が年貢を徴収する最大の理由は、国の安全を保障してきたことだ。
戦国時代、日本中が乱れた当時は、武士たちが必要であり、農民たちもそれを究極には納得してきた。
だから、年貢を取られても我慢したのだ。
しかし、江戸時代は日本にずっと平和が続いた時代だ。
誰からも攻められる危険性が身近にないのに、安全保障の費用を上げようとしても納得してくれるわけがないのだ。
そのため、年貢を増やすという方法はうまくいかない。

そうすると、武士の窮乏化を解消するには、米価の維持を図るとか、米以外の商品の値上がりを抑えるとかいう方向になる。
しかし、米価の維持は難しい。
吉宗は米将軍と言われるようにいろいろと対策をほどこしたみたいだが、市場で取引されるものは生産量が増えれが価格は下落するに決まっている。
それでも価格を止めようとするには、農民に作らないようにさせるしかないが、そんなものを聞くわけがない。
市場においては、価格が商品の生産費用を上回っているならば、その農民たちは作り続けるに決まっている。
生産を止めるには強制するしかないが、それは収入を減らすのだから、結局は一揆の道だ。
現代日本みたいに減反する人には補助金を出すなどと言うのは、そもそも政府の収入が農村からの収穫に頼っていないから可能なのであって、農村からの収入に頼っている幕府にそんなことができるわけがない。
よって、米価は下がり、武士の収入は下がったままである。
しかし、理屈から言って、あまりにも米の値段が下がれば、作っている農民にとっても得はなくなる。
消費できる以上に作っても仕方がない。
そこで、生産費用が米の価格を上回る農民は生産を減らし、米価はある程度で落着くことになる。
豊作不作による変動はあるけれど、無視できる程度だ。
東北の飢饉とかいう話もあるけれど、これは別の話なので後で説明する。

武士は年貢による収入が大幅に低下するが、ある程度の所で落ち着いた。
このままなら、なんとかなるかも知れないが、そうはうまくいかない。
米以外の商品の価格は上昇するからだ。
正確には労働の賃金の上昇をそのまま反映するしかない商品だ。
普通の労働者の場合は経済が成長することによって、賃金が上昇するから物価が上昇しても困らない。
けれども、武士は収入が増えようがない職業なのだ。
困窮するのも当然ということになる。
仕方がないので、ドラマに出てくるのような傘張りのような内職をして、なんとか暮していくしかなくなる。

そうすると、武士の窮乏化は当然だが、彼らは社会の上層階級であり、他の方策を探すことになる。
その一つが贅沢禁止令だ。
今言ったように、物価が上昇する原因は賃金の上昇であり、賃金が上昇するのは生産性が上昇しているからだ。
だったら、物価の上昇を止めるには生産性の上昇を止める、つまり生産量を増やさないようにすることだ。
つまり贅沢を止めることだ。
贅沢禁止令は儒教から出てくる政策で、単なるねたみだと思っていた。
けれども理屈はあるわけだ。
贅沢禁止令によって需要が増えなければ、生産が増えない。
農村から出たきた人たちも、仕事がなければ失業状態で賃金は上がらない。
物価も上がらないことになる。

しかし、誰が考えてもこれは無理な政策だ。
より良い生活を求める人々の欲求を止めることはできないし、そもそも贅沢品を作っていて失業した人たちの暮らしはどうするかという話もある。
贅沢禁止令をかいくぐる方法は、いろいろあるし、第一武士自体だって贅沢はしたいのだ。
そういうわけで、結局なし崩しになって、武士の窮乏化は続くことになる。

これをどう改善するかは明白で、武士の仕事が治安保障で、実際治安に問題がないならば、武士という数を減らすのが一番になる。
でも階級として武士から落ちるのは難しい。
困ったなという所で、明治維新を迎えるわけだ。

武士の窮乏化自体はある意味自業自得なのだが、悲惨な所もある。
東北の大飢饉はその表れだった。

** 東北の大飢饉

天明の大飢饉は田沼時代に起こった飢饉だが、東北を中心に多数の餓死者が出たと伝えられている。
江戸時代、生産性が上昇していたならば、なぜこのような飢饉が起こったのだろうか。
もちろん、天候自体の問題はある。
江戸時代は寒くなっていったと言われるから、米の不作も止むを得ないかもしれない。
けれども、日本全体として長期に見れば生産量は増加していたと思うので、それは本質的な理由にはならない。

本質的な理由は成長そのものにある。
私は米の生産量が江戸時代飛躍的に伸びたと考えている。
大量の米が大阪で売られ、それが江戸に出荷されていた。
米相場が成立し、米価に一喜一憂する人々も多くなった。
米の大量生産で米価が下がれば、農民の収入は減る。
量をより多く作ることで、米価の下落による収入の低下を防げるところはいい。
そうでない所、生産性があまり上がらないので量自体は同じくらいしか作れない所は、米価の下落の影響をもろに受ける。
たぶん、東北の農村がそれにあてはまったのだ。
本来というか、普通に考えれば、別の仕事を探すのが一番いい解決方法だ。
けれども、東北の農家はそう簡単にはいかない。
まず、年貢は米で収める必要がある。
武士は米で収入を確保している以上、農民に米作りを放棄されたら、即困ってしまう。
だから、何がなんでも農民を土地に縛りつけて、稲作をさせる必要がある。
けれども、農民はそれでは収入が減っていくので、段々と貧しくなってしまう。
貯蓄も段々と減っていくだろう。
その状況で不作が起これば、他の所から米を買うこともできない。
飢饉が発生することになる。

その地に留まって、米以外の農作物を作るとか、特産品を作るとかするのはどうだろうか。
これは、東北の藩の藩政改革で実行したことでもある。
でも、稲作自体で労働時間を多く取られていたら、転換も難しい。
他の農作物も寒冷化が進むような状況では難しいし、手工業のような事も生産地や消費地からは遠く離れている。
その時代の生産地は京都や大阪を中心とした近畿だろうし、消費地では江戸だろう。
技術を習得したいといっても、この時代の遠距離はそれ自体伝播が困難な話になる。
結局、人が移動していくのが一番いいのだが、武士が許さない。
その結果、飢饉による強制的な人口減少による解決が実行される。
成長による格差の発生の悲劇だ。

** 成長のメカニズム

経済が成長するというのは、次の二つの仕組みが動いていることだ。
一つは、生産性を向上させた部門の人々の収入が増えるので新しい需要を生み出すこと。
もう一つは、生産性を向上させた部門で余った人々が、新需要のための労働者に配置変換されること。
これ自体が格差だといっていい。
生産性が向上している部門から追い出される人々は、今までの技能がふいになるのだから、簡単には承知しない。
ギリギリまでがんばる可能性が強い。
それはどんどんと貧乏になっていく過程だ。
どん底まで落ちると仕方がなく、新しい世界を求めていく。
新需要を作り出している部門は、新たな希少価値を生み出している部門なのだから、一番儲かる所だ。
そこへ転職しようとするのだから、格差は際立つことになる。

そして、そもそも転職できるかどうかわからない。
新しい需要は新しい技能を求める。
マッチングすることもあるし、マッチングしないこともある。
そうすると、マッチングしない人は今までの職業の中で下層の仕事に転ずるしかない。
それは辛い話だ。
格差社会という話になる。

成長のメカニズムは現在にも働いているし、その中で人々は生きている。
グローバリゼーションと呼ばれる現象もその一部だ。
武士の窮乏化とグローバリゼーションによる格差の問題とが、本質的に同じ話だということを書こうとしたのだが、そこまでたどりつかなかった。
その説明をこの次にしたい。
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中国はバブルなのか?

2010.01.14 Thu

00:57:10

中国で引き締め政策が始まった。

中国の予想外の姿勢転換、政策金利引き上げや人民元上昇の前触れか

記事によると預金準備率を50ベーシスポイント(bp、1bp=0.01%)引き上げたのだ。
新興国の引き締めは全般的には予想されていたとはいえ、中国の引き締めが今だとは思っていなかったこともあって、かなり影響している。
中国の景気後退、日本の輸出低下が連想され、日経平均が下落した。

中国の景気はバブルっぽい様相を強く示している。
中国人が夢見る「憧れのマイホーム」 不動産投資も過熱し、バブルが沸騰中
引用開始

大学を卒業したばかりの中国の若者はみんなマンションを買おうとする。ちなみに、大学新卒の年収は約2万〜3万元程度(約30万〜45万円)。それに対して都市部の新築マンションは、80万〜120万元(1200万〜1400万円)もする。

 年収の20倍以上ものマイホームを購入しようとする考え方は一般的にあり得ない。
引用終了

物価は上がっていないのに、住宅価格が上昇している。
大学を出たばかりの若者が、年収の何十倍ものマンションを借金して買っている。
典型的なバブルの症状に見える。
しかし、中国みたいな一人当りGNPが低い発展途上国でも、バブルは起こるのだろうか。
前にそんな疑問を呈していたが、その疑問に答えてみたい。

中国がバブルかどうかは、まずバブルの定義によって決まる。
バブルとは何か。
バブルの最大の特徴は、とにかく普通の景気後退に比べて影響が大きいことだろう。
それは、普通の景気後退が在庫の変動から来ているのに対して、バブルは資産価格の減少を通じて起こるからだ。
資産価格の下落は経済に大きな傷跡を残し、金融システムの安定性を損なう。

それでは、なぜ資産価格の上昇が起こるのだろうか。
今までもいろいろな説を考えてきたが、現在の私の仮説はこうである。
ある国の経済が大きく成長していた。
しかし、ある時点で今までの成長率を維持するほどの需要がなくなってしまう。
需要がないということは、投資先がないということで、成長率は低い方に屈折する。
けれども、期待成長率は急には下がらない。
今までが5%だったら、5%の成長を期待している。
だから、5%の金利を少し下がった所で金を集め続け、5%の金利を少し上回った所で運用しようとする。
でも、運用先がないため、とりあえず安そうな資産を買っておく。
運用先がなければ借金しないというのは正論だが、今までの成長が頭に残っているから、借金しても成長を目指してしまう。
安そうな資産を買ったのであっても、みんながみんなそう思っていれば、その安い資産の価格は上昇していく。
バブルの発生である。

日本の場合、バブルの発生の依代は土地だった。
中国の場合の依代はよくわからない。
全体的に上がっているように見える。
不動産にしても、株式や商品にしてもだ。
海外の資源に盛んに手を出しているのも、バブルが関係しているように見える。
バブルが崩壊すると、経済は逆回転し不況に突入する。
経済は資産価格の上昇によるムダな成長を元に戻し、さらに本来の成長率の下方屈折分の低迷も重なって、景気はなかなか回復しない。

中国の場合もバブルだとしたら、成長率の下方屈折が起きているのだろうか。
私には起きているように見える。
中国の成長の根源は、今まで外国からの直接投資によって、欧米への輸出が伸びたことだった。
それら輸出企業の生産性の上昇が中国の経済成長を支えてきた。
しかし、中国の賃金上昇は輸出企業の競争力を下げ、ベトナムやインドなどに投資がシフトしている。
つまり、成長率が下がるのはありうる話だ。

もう一つ成長率の屈折になるのは、中国の人的流動の弱さだ。
中国は戸籍の管理によって、農村から都市への人口移動を制限している。
農村から都市へ移住しても、戸籍が貰えず、教育や社会保障の対象外だ。
それでも、今までは、出稼ぎ農民は増え農村から都市への人口移動は続いていた。
でも、その力はあまり強くない。
インフレの発生が人口移動による生産性の上昇の現れだと思うのだが、中国政府はそれを嫌っている。
物価の上昇をできるだけ止めるために、人口の移動を制限している。
そのような抑圧を止めることが、経済成長の基礎だと思うのだが、共産党一党独裁体制の元ではそれも簡単にはいかない。

つまり、中国の成長率の屈折はあり得ることで、生産性の上昇が今後簡単には起こらないのだとしたら、バブル崩壊の余波は長く続くはずだ。
中国の一人当りGNPが低いことによる成長への可能性も、中国が自主的に技術開発していないのだとすれば、生産性の自動的な上昇を導き出すものではない。
外国からの技術移転がなくなれば、生産性は上昇しないことになる。

中国がバブルかという問いには、私の答えはイエスになる。
だとしたら、今回の引き締めは長い不況の始まりかもしれない。

私は前中国の成長は自律的なものだと予測してきた。
その最大の理由はインフレの発生だった。
でも中国の体制はインフレを許容できない。
けれども成長は必要としている。
その道筋は余りにも細いと言わざるを得ない。
今回、もし景気後退が起これば、国民の不満から中国の政治改革への欲求は強まるだろう。
大きな混乱が起こることもありうる。

関連記事
中国でインフレが起こらなかった理由(中国経済の転換点-その1)
インフレが始まった(中国経済の転換点-その2)
中国はインフレに耐えられない(前編)
中国はインフレに耐えられない(後編)
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日本の財政赤字とアメリカの不動産担保証券の買い取り

2010.01.12 Tue

20:05:27

正月ぼけがひどくて、ブログが書けないでいる。
書かないと、いつまでも書けないので、とにかく生きているだけでも発信しておこう。
まとまったことを書く力もないので、とりあえず頭に思い浮んだことだけ。

マーケットから見た「リフレ派」の誤謬 - よそ行きの妄想を読んで、国債が暴落するかについて考えてみた。

引用開始

政府が際限なく貨幣を増刷していけば、いずれマーケットは政府に対して不信感を持ちます。即ち、金融と物価の安定を放棄したのではとの不安です。これが一定以上蓄積したら、日本政府に対する信用が瓦解する瞬間が訪れます。そうは言っても国債の元本は必ず償還されるだろうとか、利払いが滞ることはないだろうとか、流動性がなくなることはないだろう、などといった安心感がすべて不安に変わります。それまでデフレがテーマだったマーケットが、一気にインフレムードに変わるわけです。
引用終了

財政赤字が続いて、市場がいつか返済できなくなるのではないかという怖れから国債市場が暴落するというのが一つの説である。
しかし、私には信じ難い。
政府は国債を返せなくなりそうだったら、日銀に直接引き受けさせてでも返却するというのが当然に思える。
日銀が引き受けるのは、更に信用をなくす行為だから、更に国債が売られるからダメといっても、日銀はいざとなったら全部買える。

主として日本の国債を買っているのは銀行である。
彼らは預金から国債に投資している。
国債を買っているのは、他に投資する先がないからだ。
日本以外の国に投資するのはどうだろうか。
アメリカの国債の利回りはずっといい。
実際にかなり買っていると思うが、全部を投資するということはない。
為替リスクがあるからだ。
どんなに利回りが良くとも、為替が極端に円高に振れたら、いきなり損を出してしまうだろう。
だから、日本国内で運用先を探すことになる。
国債は私にはどう考えても、信用リスクはゼロに見える。
銀行からすると預金との利息の差は確実に稼げるわけで、そこで国債は常に買われ金利は下がってきた。

この場合、注意したいのは日本の銀行にはインフレリスクはほとんどないことである。
円がインフレにより価値が目減りしたとしても、円で借りて円で運用している以上、利益は変わらない。
もちろん、ハイパーインフレが発生したならば、円で運用するのが損だと、日本で銀行預金をしている人たちも急激に預金を引出すかもしれない。
銀行は短期で集めた資金を長期で運用しているのだから、期間がマッチングしないリスクとも言える。
けれども、日本国民が急に預金を降ろすという事態がありうるだろうか。

小渕政権の頃が国債の金利が1%以上、急上昇したことがあった。
ある意味国債暴落である。
プロの間ではもちろん大問題だったと思うけど、一般の国民があまり気にしていたとは思えない。
私もその頃はあまり経済に興味がなかったので、気づかなかった。
つまり、国債の価格が下がったって、銀行預金を降ろす人はほとんどいない。
だとしたら、銀行の暴落リスクはほとんどないことになる。

ハイパーインフレが怖くなるためには、少くとも身近で物価が上がっていると感じる必要がある。
現在のデフレ状況では、到底考えられない。
そして、ある程度物価が上がった状況になれば、景気は大幅に好転しているはずだ。
実際、2006年ぐらいにインフレといった感じではないけれど、デフレが止まったという感じでも景気はいい感じであり、そして政府の財政収支は大幅に好転していた。
そもそも最初の国債が返せないという話はどこかに行ってしまう。

結局、国債の信用リスクは、ほとんどない。
それを考慮した思考はあり得ないことを仮定にした話だ。
そうすると、どういう場合に価格が下落するかというと、国債より有利な投資先がたくさんあるために、銀行が国債を買わなくなる時だけだ。
国債より有利な投資先がたくさんあるというのは、景気が回復した時だけで問題ではない。

では、どういう時に財政赤字が問題になるかというと、景気が好転しインフレ気味にも関わらず、支出をそのまま拡大し続けた場合だろう。
安倍政権が予算を組んでいた頃、景気は好転していた。
その時はかなり予算を押さえ気味にし、国債の発行残高もGNP比で縮小していた。
それなら、全然問題ない。

自国通貨建ての国債の発行で問題になるのは、インフレが発生しているにも関わらず、景気があまり良くないので、財政支出が削減できない場合に思える。
つまり、スタグフレーションが発生している場合だ。
これは本質的には、経済が供給力不足のために起こる。
この時は苦しくとも、財政支出を削って、我慢するしかない。
日本の場合はこの状況にはほど遠い。
貿易黒字が続いているということは、供給力が需要を上回っているからだ。
その場合スタグフレーションは起らない。
しかし、今後日本でも少子高齢化が進むことで、経常収支が赤字化してゆくことも考えられる。
その場合、財政が硬直化し、社会保障等の支出が継続的に増えてゆき、デフレが止まっても財政支出を減らすことができない状態がありうるかもしれない。
その時は増税することが必要になるだろうけれど、まだ先の話だ。

単なる金融政策では資源配分に影響を与えない。
日本のゼロ金利政策と量的緩和が、いつまでたっても景気を良くしなかったことが、その現れに思える。
リフレ政策というか、通貨の供給が意味を与えるのは、それをどこかで使うからだ。
単に金利を安くしただけでは、景気が悪ければ消費にも投資にも回らない。
今のアメリカの政策が成功しつつあるにように見えるのは、FRBが金利を安くするだけではなく、実際にリスクを取って投資をしているからだ。
不動産担保証券の買い取りは、いろいろと技術を駆使したとしても、本質的には住宅を買っているのと変わりはない。
FRBが住宅を買っているからこそ、住宅価格は底を打ち、景気は立ち直りつつあるのだ。
じゃあ、FRBの政策が正しいかと言うと私には全然そうは思えない。

日本の土地価格のことを考えてみよう。
日本の土地の場合も日銀が担保を買い取るなどと言う技を考えられたかもしれない。
けれども、日本の土地の価格が下がったのは、少くとも地方の場合は正しかった。
地方の商店街がシャッター通りと化し、人口が減少している以上、土地の需要がなくなるのは当然だ。
だから、土地価格が下落するのは当然と言える。
日銀が強引に価格を支えたとしても、それが利益を生まなければ、結局は単なる消費でしかない。
この場合、中央銀行と政府が一体と考えれば、政府が使わない土地をせっせと買っているに過ぎない。
政府がムダな土地を買っているということは、景気が良くなった時点での供給力不足を招くだろう。
つまり、スタグフレーション状態での引き締めであり、その時点で政策の失敗のつけを払わされる。

アメリカのFRBの政策に戻ろう。
アメリカのFRBによる不動産担保証券の買い取りは、結局は住宅の買い取りと同じだと述べた。
その政策は正しいのだろうか。
私にはアメリカの住宅価格の低下は、石油価格の上昇から来る必然に思える。
つまり、ガソリンの低価格を当然と見なして、アメリカ人は住宅の郊外化を進めてきた。
広い土地が取れるので大きな家を作り、通勤に楽なように大型乗用車に乗ってきた。
ガソリンが上昇すれば、そういう訳にはいかない。
ガソリンを節約するために、公共交通機関を使い、乗用車を小型に変える。
あるいは電気自動車などに変えるかもしれない。
電気自動車の航続距離がガソリン自動車よりも短いことを考えると、遠くに家を持つことはできない。
また、公共交通機関を使うということは、住む部分によって差異が生まれるということであり、都心から遠くに離れれば離れるほど、不利になる。
そのような条件を市場は考えに入れながら、住宅価格を決定する。
その中で、何も考えないで住宅を買っているFRBの政策は、ガソリン価格の上昇は偽りであり、今後は安くなることに賭けているだけだ。
その賭けにFRBが負けるとは必ずしも言えない。
けれども、そんな賭けをFRBにして欲しいとは、私がアメリカ国民だったら思わないだろう。
アメリカ国民の一つ一つの判断で価格が決まった方がいい。
そして、個人的にはガソリン価格は上昇するように思える。

そんな訳で、FRBによる不動産担保証券の買い取りは、日本の銀行が不動産価格の回復に期待して、いつまでも担保を抱えていたのと変わりない行動だ。
変わっているのは、中央銀行が破綻に追い込まれることはない位だ。
しかし、住宅価格が回復しなければ、その歪みはどこかで必ず現れる。
それはアメリカにとって、いいことだとは思えない。
とはいえ、市場における最も力を持った参加者が買いで勝負している以上、それに対して売りで立ち向うのはあまりにも危険である。
市場の流れに追随していくのが、賢い方法だろう。

なんか、いつも書いていることと同じだと思った方は私のリハビリだと考えて許してください。
長い文章は書けるようになったけれど、構成が無茶苦茶だ。
日本の財政赤字の問題が、途中でアメリカの金融政策の問題に変化している。
読み直すと、その他にもいろいろあらが見えてしまう。
本当はもっと推敲するべきなのだろうけど、それが大変だということが最近になってようやくわかった。
文章は少しずつしか、うまくならないと思う。
だから、今回はこの位であきらめる。
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