異をとなえん |

都市は、なぜ飢えないのか?

2009.07.16 Thu

03:03:01

高度経済成長は復活できる (文春新書)の中で、
増田悦佐氏が都市の飢えない理由について、説明をしていた。
元々は、都市の論理―権力はなぜ都市を必要とするか (中公新書)の中で
藤田弘夫氏が提示している謎だが、
その理由がおかしいとして、増田悦佐氏が別の回答を提示している。
しかし、私はその理由が納得できず、気になっていた。
最近、納得できる理由が思い浮んだので、説明してみる。


 藤田は『都市の論理』でも都市では飢饉の被害が少ないという謎に挑戦している。

 <古今東西、農村に飢えはつきものだが、都市が飢えることはめったにない。自らは食糧の生産を行わない都市のほうが、農村よりも飢えないのである。通常、都市は農村よりもはるかに「飢え」に強い構造をもっている。……また、なぜ都市は戦時-それも負け戦の場合-だけ飢餓に陥るのだろうか>(藤田弘夫、『都市の論理』、一九九三年、中公新書)

 残念なことに藤田は、農村は飢えるが都市は飢えないというパラドックスの答えを、「都市そのものが権力だからだ」というところに求めてしまう。都市が飢えない理由は、権力とはなんの関係もない。確率論や統計学の基礎になっている「大数の法則」が働くからだ。

 都市は自分自身で食糧を生産できないから、周辺の広大な地域から食糧を買い入れる。たとえば、ある都市が気候も風土も違う三つの地方から食糧を買い入れていて、その国の食糧生産が極端な凶作に見舞われる可能性は一〇年に一回あるとしよう。農業生産に依存した三つの地方は、それぞれ一〇年に一度ずつ飢饉に見舞われる。だが、もし三つの地方の気候条件がほかの地方とは独立していれば、三つの地方から食糧を買い入れている都市が飢餓に陥る可能性は、一〇かける一〇かける一〇で千年に一度だけということになる。

(増田悦佐著「高度経済成長は復活できる」P212)

「大数の法則」は最初読んだ時は納得していたのだが、なんかおかしい。
都市が他の地域から農作物を輸入できるなら、
飢餓の農村地域でも農作物を輸入できるはずだ。
今までは輸入していなかったとしても、
都市に農作物を輸出していたルートはある。
そのルートを逆に使えば、農作物を輸入できるはずだ。

権力も大数の法則も、ある意味正しいとは思うが、もっと単純な答えがある。
飢饉が起こるほどの不作だと、一部の農民は全然農作物を収穫できない。
つまり、穀物の生育に半年かかるとすると、
半年近く仕事をしていなかった理屈になる。
貯蓄もたいしてない、貧しい農民が半年も働いてなかったら、
飢えても当然だろう。

それに対して、都市の貧困層は、それなりに何らかの労働をして、
日々の糧を得ている。
生きているからには当然だ。
飢饉が襲ってきた場合でも、都市の仕事は天候に左右されにくいから、
当然働いている。
飢饉によって、農作物の価格が倍になっても、仕事さえなくならなければ、
半分の食物は手に入るわけだ。
一日2400カロリー食べていた人間だったら、
価格倍で食べる量が半分に減っても、
1200カロリーだからなんとか生きのびられるラインだ。

農作物の価格ば倍になるケースで、農村の状況を考えてみよう。
農民は、収入がなく、市場から食物を手に入れようとすると、
価格は倍以上になる。
都市で倍ということは、都市を介して食物が流通していることを考えると、
輸送費が上乗せされて倍以上になるわけだ。
収入同じとした都市貧民でも苦しいのに、
収入0の農民で価格がそれ以上なのだから、餓死も当然ということになる。
もちろん、その農村部でも余剰を持った農民はいるかもしれない。
しかし、その農民は農作物が高騰している以上、当然高い所に売りたい。
交換に何も提供できない人間に売りたくはない。
だから、飢餓が発生した地域から、都市に農作物が輸出されることになる。

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