異をとなえん |

日本はなぜ平等主義なのか? - 世界は日本化へ向かう(その12)

2009.07.09 Thu

03:15:06

戦争国家の不平等性を前回考えたが、今回は平和国家の平等性について考えたい。

平和国家は戦争という任務がないので、政治の対象は多くない。
政治というのは、全員の同意がなくとも全体の意思が決定され、
負担を負わす仕組みと考えて欲しい。
対象は少いけれど、平和国家にも政治はある。
平和国家という経済中心の世界では、相互の同意による交換の利益で社会は回っていく。
政治という、少数の利益を無視して全体の利益を追及する必要はない。
しかし、それでも全体の利益のために強引に事を進めることが必要な場面は出てくる。
道路は典型的な例だろう。
全体の利益の向上は図れるが、個々に負担を配分することはできない。
全体として負担を分配する必要がある。
また、平和国家特有とは言えないかも知れないが、日本では災害が非常に多い。
地震、台風といった災害は全体としての協調が必要になる。
これも政治が必要だ。

公共事業における負担はどのように配分されるだろうか。
基本的に強制は認められない社会なのだから、
利益が負担を上回るように説得していかなくてはならない。
道路の場合ならば、交通が便利になるのだから、
その分の得だけ負担してもいいだろうと言うわけである。
災害対策用の準備ならば、地震や台風が来た時の被害を考えれば、
このぐらいの負担をしろと言う話になる。
基本は、利益に応じた負担の分配ということだろう。

平和国家においては、生命の危険がないのだから、
利益にならない事を強制的に実行させる方法はない。
政治家たちが、ムリヤリ実行しようとすれば、
反発する人間たちを抑えるのにより多くの手間がかかってしまう。

江戸時代、江戸城の天守が焼けた時、再建されなかったのは、
それだけの価値がなかったからだ。
あ戦国の時代から統一に向った時、人々は戦国大名たちにできるだけ協力した。
平和をそれだけ渇望したからだ。
いろいろな方法で集められた税を通じて、戦国大名は莫大な戦費を賄っていった。
天下が統一された時、その余剰を使って豊臣秀吉は、その富裕さを示した。
しかし、平和が来た時、税金を増やすことは容易ではない。
検地によって農地ごとの税金が確定し、人々はそれを支払っていく。
けれども、時代が進み、人々の工夫によって生産物は増加していったが、
それに応じて税金を増やすことはできない。
税金に見合った利益が貰えないのに、単純に取られることに納得できる人間はいない。

徳川吉宗は、幕府財政を立て直すために、五公五民と言われた税負担が段々と低減し、
四公六民、あるいは三公七民となっていたものを、元に戻そうとした。
けれども、これは人々を納得させることができない。
結局、一揆が頻発することになる。
負担に対する利益がないのだから当然だろう。
そして、この増税政策は甚だしく無理であり、後継者たちは放棄する。

しょせん、武士たちは軍事を担うのが仕事なのに江戸時代は200年以上も平和が続いた。
武士は何の役目も果たしていないのだから、貧乏になるのも仕方がないところだろう。

平和国家において、負担をどう分けあうかは利益に応じて決まる。
基本は働き手一人当りで、平等に分担するだろうか。
金持ち貧乏人の違いや家族の数の違いで、微妙に異なるだろうけれど、
基本はとにかく平等ということになる。

なんか、趣旨がはっきりしない、散慢な文章になってしまった。
失敗だ。
強制的に負担を負わすことができない部分で終わってしまって、
平等性についてほとんど書いてない。
その部分については後で補足したい。

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世界は日本化へ向かう
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