異をとなえん |

中世の権力構造 - 理想国家としての日本(その8)

2008.10.28 Tue

11:29:41

なんか、手間暇かかっている割に内容がない。
弁解として、ここで述べている事は実証的研究ではなく、
私の歴史観に基づいた仮説だと主張しておく。
日本史はともかく、西ヨーロッパ史はよくわからないので、
基本的事実を間違えている可能性もある。

中世の権力構造について考えてみよう。
中世は、農村の余剰生産力が最低限度の軍事力を生み出せるようになった事で、
農村が政治的に自立した事だと述べた。
しかし、旧権力は未だに残っている。
それを一夜にして変更する事はできない。
長い時間をかけて、多くの紛争を重ねながら完全に自立化する事になる。

日本では、朝廷による国司を通した地方の支配構造は、ずっと残っていた。
荘園を通して武士の力は確立していったが、国司とはずっと共存している。
荘園が発生した当初、国司が国の治安は掌握していた。
それが土地紛争などで武士が生まれ、私事の争いにせいを出すようになる。
その結果平将門のように国家に逆らう武士が生まれた。
しかし、平将門を討ったのが、やはり武士であるように、
朝廷のお墨付きを貰うことで武士は認められていく。
鎌倉時代になると守護が設置され、
治安については武士の力がはっきりと優位に立つことになる。
そして、室町時代になると国司は意味を持たなくなり、
完全に新権力が取って代わった。

西ヨーロッパでは日本と違って、
旧権力であるローマ帝国は直ぐに滅んだ。
日本みたいに長期に渡る共存の過程を得なかった。
旧権力の名残りはキリスト教ぐらいだろう。
もっともローマ皇帝はカール大帝の元で復活するが、
旧権力というより、新権力の名前が変わっただけだ。

ゲルマン民族はヨーロッパに定着していった後も、
国家としてまとまってはいなかった。
そのため、各地に定着していった単位ごとに、
権力としては自立していった。
日本で言えば、武士の政権が直ちに形成され、王朝権力は崩壊した。
室町時代が直ぐに来たようなものだ。

ただ、農村の最下層はローマ帝国時代からの農民たちだろう。
そのため、日本と違って、地域の下から生まれた力が、
上からの力と争うのではなく、途中からゲルマン民族が真中を乗っ取った感じだ。
これがもたらした影響については、また別個に考えたい。
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