異をとなえん |

中国の中世 - 理想国家としての日本(その7)

2008.10.24 Fri

20:09:39

なんというか、円高がむちゃくちゃに進んでいる。
1ドル90円台って、見出しがあったから
99円から90円の間なのかと思ってしまった。
95円ぐらいから、いきなり90円になるなんて、なかなか思わない。
black everydayという言葉があるけど、本当そんな感じだ。
こんな時に昔の歴史の事を考えている私も、
呑気だと今さらながら思う。

中国における中世について考えてみよう。
かねて述べているように、中国は帝国モデルという事で、
農村の自立ができない。
常に上からの圧力で収奪が続いていく。

南北朝の時代とか、唐代末期とか、
地方の自立に向けた動きが見えない事もない気がするけれど、
遊牧民族の侵攻がそれを押し潰してしまう。
結局、いつまで立っても中国の農村は貧しいままだ。

王朝末期に農村から発生する反乱は、
中国名物だが個々の地域の自立の流れはない。
日本の江戸時代の一揆が条件闘争に近いのに対して、
中国の反乱は飢餓等で追いつめられ、
どうしようもなく立ち上がった感がある。
通常はたちまちのうちに鎮圧されるだろうが、
うまく武器などを手に入れると、都市を制圧して広がっていく。

ここで重要なのは、都市を制圧しないと武器を手に入れられない事だ。
日本の農村が日常的に武装しているのに対して、
中国の農村は通常は武装していない事になる。
実証研究していないから、そんなイメージを持っているだけだが。

中国は広いから、日本の古代の京都に値するような都市が各地にある。
そこには城壁があり、農村からの余剰農産物が蓄えられている。
都市自体は時代の進展につれて、各種技術が向上し豊かになっていく。
しかし、農村にはその恩恵が回らない。
余剰をすべて収奪されてしまうからだ。
余剰がなければ、資本として投入できないので生産性が上がらない。

結局、中国の農村はついに自立する事ができなかった。
明清の時代には鉄砲の時代になり、武装に要する手間が更に上がり、
逆に中央権力の軍事力が強化される事によって、
農村は戦う術を失っていく。
これが中国で中世が起こらなかった理由だ。
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古代と中世をわかつもの - 理想国家としての日本(その6)

2008.10.24 Fri

04:37:12

西暦1200年ごろ鎌倉幕府ができて、武家が優位に立つまで、
天皇家は日本の権力を握っていた。
西暦400年ぐらいに日本をほぼ統一してから約800年、
古代と呼ばれた時代である。
鎌倉幕府以後は中世になるが、
この古代と中世を分ける政治変動を引き起こした原因はなんだろうか。

結論から言ってしまうと、荘園における生産性の向上が、
小さい単位で軍事力を保持する事を可能にし、
その軍事力を編成する事によって、従来の権力構造を崩壊させ、
新しい権力構造が生まれたのだと思う。

古代の軍事力は当初極めて弱かった。
生存に必要なもの以外の余剰は少く、武器は満足に揃わない。
戦闘要員も独立した人間を持てないので、
最初の争いでは共同体全員が戦いに加わって行なわれただろう。
小さな地域が大きくなっていくにつれて、
ある程度専業とした軍事力が作られ、鉄を武器としていく。
大和王朝は、この流れを作り出す事によって他を圧倒していった。

大和王朝が技術者集団を各種保持している事から、
各地域の農村では、そのような技能を持つ人間は存在せず、
余剰農産物と人員のみを中央に供給していたと思われる。
戦闘要員は、農村から徴集された人員が武具を渡され、
訓練を受けることによって生まれた。
逆に言うと、各地域自体は戦闘能力を持たず、
中央からの指示に従わざるを得ない状況だった。

日本の歴史では、
当初農民の反乱がほとんど起こらなかった事は、これが理由だろう。
古代に起こった日本の反乱は、
ほとんどが権力者同士の争いで、下層の人間はいない。
943年の藤原純友と平将門の乱は地域から起こった始めての事件となる。
この事件が起こった背景には、各農村の生産力が向上し、
地域ごとに軍事力を持てるようになった事情がある。
当初は中央からの指示に従わざるを得なかった地方も、
生産力の向上で武具を自前で揃える事ができる。
馬も持てるようになる。
各地域ごとに軍事力を保持し、中央の横暴に戦う事ができるようになる。
中世の本質はここにある。

それよりも早く土地制度に大きな変化があった。
古代では耕地は国有地であり、
農民は耕作すべき土地を与えられ、収穫物を納める、
言われたままに働くしかない存在だった。
それが、荘園制の普及と共に変わっていく。
個人で開墾をし成果物を納める事ができるようになった。

つまり、現在では派遣契約から請負契約に変わったような物だ。
請負契約では創意工夫によって生産性を伸ばす事が可能になる。

請負契約と軍事力の保持は、生産性の向上が、
即農民の利益につながる社会を生みだした。
これが中世といえよう。
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