異をとなえん |

「金融史がわかれば世界がわかる」感想

2008.10.17 Fri

20:42:56

倉都康行著『金融史がわかれば世界がわかる 「金融力」とは何か』を読む。
ちくま新書の金融史の本。

目次は以下の通り。

第1章 英国金融の興亡 地金からポンドへ
1 ポンドと銀貨の長い歴史
2 ポンドがめぐり英国経済はまわる
3 金が主役の時代へ
4 基軸通貨ポンドの誕生
5 英国金融の始祖「マーチャントバンク」

第2章 米国の金融覇権 ポンドからドルへ
1 英国はなぜ動脈硬化に陥ったのか
2 新興国アメリカの挑戦
3 世界を動かすウォール街の金融資本
4 遅れてきたFRB
5 ドル覇権の完成

第3章 為替変動システムの選択 金とは何だったのか
1 ブレトンウッズ体制の時代へ
2 変動相場制の幕開け
3 金本位制の終焉は何を意味するのか
4 変動相場制とドル不安
5 為替をめぐる欧州と米国のかけひき

第4章 金融技術は何をもたらしたか 進化する資本市場
1 先物取引の誕生
2 金融技術はどう利用されたか
3 膨張するマネーと米国金融の底力
4 市場リスクを管理するシステム
5 投資家は天使か悪魔か

第5章 二極化する国際金融 ドルvsユーロの構図
1 ユーロの驚くべき金融力
2 米国の金融覇権を支えるFRB議長
3 グローバル・バンクの再編劇
4 人民元がいよいよ表舞台に
5 日本の金融は生き残れるか

GDPの大きさが重要な経済力と違い、金融力と言うわかりにくい力があり、
その力によって経済の流れを説明しようとしている。
概略をさっと見るには、よくできた本なのだが、本質的な点に迫っていない。

たとえば、「規制による業務の分断や資源配分の非効率」(P228)が、
日本の金融力をそいでいるという批判がある。
一見もっともらしいのだが、具体的な事例がないとよくわからない。
日本国民が、資産のほとんどを貯蓄に回していて投資していない事を、
指しているのかもしれない。
しかし、現在の状況を見るかぎり、
日本国民が一番運用をうまくしているようにも見える。

作者が具体的に考えている事がわかっていないので、
的外れな批判かも知れないが、そういう部分の説明がないので、
言葉を上滑りしている。
最後のまとめみたいな文章にそう批判しても、作者には迷惑かも
知れないが。

突っ込みが欠けているのは、本全体にある。
「金融技術の発展は、金融システムの安定化に大きく貢献している」(P176)
と評価しているが、現在の金融危機の状況からみると、
リスクをごまかしただけだろう。
金融危機が発生する前の本への後知恵の批判だが、
要は本質的な事を十分考えていない、教科書的な本だ。

考えさせられた事もあった。
戦後のイギリスの停滞は日本の現在の停滞と比べられるものかもしれない。
表面的にはある意味似ているようにも見える。
では、何が違うのか、私にはよくわかっていない。
しかし、考える価値はあるような気がする。
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「疾駆する草原の征服者」感想

2008.10.17 Fri

03:12:10

杉山正明著「疾駆する草原の征服者 遼 西夏 金 元 中国の歴史 (08)」を読む。
講談社版中国の歴史8巻目で、
タイトル通り遼、西夏、金、元という北アジア史を語っている。

目次は以下の通り。

はじめに 世界史のなかの中国史
第一章 巨大な変容への序奏
第二章 キタイ帝国への道
第三章 南北共存の時代へ
第四章 失われたキタイ帝国を訪ねて-歴史と現在を眺める
第五章 アジア東方のマルティ・ステイト・システム
第六章 ユーラシアの超域帝国モンゴルのもとで
おわりに グローバル化時代への扉

超野心的な作品ながら、結果としては失敗している。
漢民族が野蛮とする事で、過小評価されている北アジアの遊牧民族の歴史を、
唐末からモンゴルの終わりまで描こうとするが、ページ数も足りなすぎるし、
練りも足りない。

たぶん、作者は北アジアで始めて歴史に登場した匈奴から、
現在のモンゴルまでを射程に入れた北アジア史を考えている。
その中で、唐末から始まる、遊牧民族が完全に中国に取り込まれていく過程に
焦点をあてta.。
ただ、ここでの中国は今までの中国ではなくて、
むしろ遊牧民族によって征服された結果新しく生まれた中国なのだ。
遊牧民族と漢民族が一緒になって生まれた新しい国だ。

ただ、はっきり言ってページ数が足りない。
たぶん、時間も足りなかったのだろう。
遼=契丹=キタイを、作者はモンゴルの原型国家として高く評価している。
その最初をきちんと描こうとして、唐末から始まる興亡をかなり詳細に描いているが、
初めてその歴史を知る者には、わかりにくくしてしょうがない。
五代十国を聞かれて、その国名がすらすら出てくる人間でないとお話にならない気がする。
巻末にある主要人物の略伝を読んで、まず流れを把握しないと本文に入れない。

そして、遼の歴史をかなり描いた後、このまま行くと到底予定枚数で終わらないと、
西夏、金の歴史をかなり省く。
西夏はもともとたいした資料がないから仕方がないが、
金の歴史はもう少し描けたのはないだろうか。
もっとも金の資料は漢文資料が中心だと言うことであまり書きたくなかったのかも知れない。

モンゴルの歴史は、流石に手慣れているだけあって、よくまとまっている。
ただ、中国史としてはどうなのだろうか。
漢民族の観点から見た歴史が抜けている。
漢民族という言葉のあいまいさは本の中でもいろいろ批判されているが、
要は南宋に住んでいた人間たちの観点だ。
その視点は今までさんざんあったからという理由だろうが、
中国史としてはやはり要るのではないか。

さらにページ数が足りないにも関わらず、いろいろと他の観点を詰め込みすぎている。
作者による北アジア取材旅行の話とか、いや面白いのだが概説史としてはどうよ、
現代中国批判とか、歴史における環境変化の影響の大きさの問題とかだ。
読んだ印象としてはバラバラなのだ。

杉山史観のファンとしては、いつか出るであろう北アジア史の下書きとして、
鑑賞するのが正しい立場だと思う。
実際刺激的で面白い事は面白い。
それにこの本を先に読んでおくと北方版水滸伝がより楽しめる気がする。
最初に読んだ時は、遼とか金の部分は流してしまった。
もう一度、北方版水滸伝を読み直したくなっている。
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