異をとなえん |

『「脱日」する韓国』感想

2008.09.30 Tue

04:35:46

澤田克己著『「脱日」する韓国 隣国が日本を捨てる日』を読む。
2006年7月発行で出た直後にさらっと目を通したが、
古本を買ったのできちんと読んでみた。

目次は以下の通り。

第1章 虚像の「反日」
第2章 「反日」の実像
第3章 スポーツと日本コンプレックス
第4章 冷戦終結が「日本」を消した
第5章 三八六世代と「盧武鉉の反日」
第6章 「反日」から「反米」へ
第7章 古くて新しい「特別な国」
第8章 統一を恐れる韓国人
終章 韓国に「幻想」を抱いてはならない

読んだ当時も思ったが、脱日しつつあると言われても全然納得できない。
韓国の新聞の日本語版では日本の記事が出てこない日はない。
日本人が興味を持つならわかるが、
韓国人が日本人のメジャーリーグでの活躍になぜ関心があるのだろう。
はっきり言ってストーカーである。

しかし、同時に韓国が日本ばなれしている事も確かだ。
本の中では幾つかの事実が指摘されている。
韓国人の渡航先の一位が日本から中国になった。
輸出入や投資においても、日米しかいない世界から、日米が普通の国になっている。
これらの事実はどうつながるのだろうか。

澤田氏の仮説は次のようなものだ。
まず、韓国の反日の理由を次のように考える。

1.儒教=朱子学の道徳志向性が「反日」の根源である。
韓国は、日本が「正しい歴史認識」を持たないこと、
歴史に逸して「正しい態度」で臨んでいないことに反発する。
2.序列が上位の物=力が強い者に、
より高い道徳性を求める儒教の徳治主義的伝統が、「反日」の勢いを後押ししてきた。
ただし、強者に対する反発には、現実的な制約がある。
特に冷戦時代には、生きていくために越えられない一線があった。


そして、2の力の強さを日本が失った事から、反日の勢いは弱くなるが、
同時に制約も弱くなるので、1の理念が純化され、
少数の人間が反日に走っているとしている。
合っているような気もするが、ひねり過ぎの気もする。

私の解釈はこうだ。
反日が空虚な物になっているのだ。
昔の反日は切実なものだった。
良かれ悪しかれ、日本の韓国統治時代には、ほとんどの韓国人は親日派だった。
みんな脛に傷を持つ身として、反日が叫ばれる時は、
自分が親日派でない事を示すために、必死になって日本を叩いた。
朴政権などは親日派だという批判がずっと続いていた。
だからこそ、日本に対して強硬な姿勢を取る必要があった。

現在は違う。
日本との関連は薄れ、親日派などと言う批判は無効になりつつある。
まあ、先祖に親日派がいたなどと言う批判もあるが、それほど有効ではない。
だから、反日を気楽に叫んで、気楽に実行できる。
叫ぶだけなら害はないし、実行だってパフォーマンスだけだったら問題はない。

つまり韓国人の反日行動は、日本人から見れば自慰行為にしか過ぎない。
反応しようがないのが、本当のところである。
韓国人としては無抵抗な者を徹底的に恥ずかしめる事によって、
自分たちの正しさが裏書きされることになる。
閉じた世界の閉じた反日だ。

そして、澤田氏は下記のように書いている。


韓国において日本が「特別な国」だった時代は、もう終わったのだ。
韓国人にとって日本は今や、「外国の一つ」にすぎない。
日本人にとって面白くないかもしれないが、現実は、直視する必要がある。
(P119)


私から見ると、
韓国において日本が「特別な国」だった事を知っている日本人なんてほとんどいない。
私は嫌韓が流行るようになって、
韓国がとてつもなく面白い国である事を知って始めて理解した。
つまり、韓国において日本が「特別な国」だった事を知っている日本人は、
戦前の韓国と関連を持っている一部の人間だけだと思う。

韓国が脱日しつつあるように、日本も脱韓しつつあるのだ。
共産主義侵攻からの防波堤として韓国を特別な国と考える事はなくなった。
つまり、互いが互いをどうでもいい国と考えている。

韓国からすると、竹島関連での反日パフォーマンスは続いていく。
日本は無視するだけだ。
つまり、明治から昭和にかけての特殊な日韓関係と違う、
普通の関係に戻る事になる。
それはそれでいい関係なのだろう。
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