異をとなえん |

なぜ日本の総理大臣はころころ変わるのか?

2008.09.09 Tue

03:58:46

日本の総理大臣の在任期間は短い。
サミットの他の国に比べると明らかだ。
イタリアも短いけど、政治事情がよく知らないので、
日本と似ているかどうかはわからない。

戦後だけではなく、戦前から見ても短いままだ。
1885年12月22日の初代総理伊藤博文から始まって、1945年8月17日まで41代ある。
近衛内閣は総理は変わっていないので同じと考える。
60年で41代だから、平均1.46年。
戦後は、1945年8月17日から2008年の福田総理の辞任まで、30代ある。
63年で30代だから、平均2.1年。
戦前戦後両方を通してみると、123年で71代、平均1.73年。
平均在任期間は戦前の方が短かくて、戦後は少し伸びている。
戦前が短いのは、総理大臣が同輩の中の首席というだけで、
特別な権利がなかった事が大きい。
そういう制度に憲法を制定した事自体が、
在任期間の長期化を重視していなかった現れだろう。

在任期間が短いのは、日本の歴史で多くの場合共通している気がする。
古来日本には独裁者がほとんどいない。
戦国時代後半の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人と、
後は源頼朝、足利尊氏、足利義満ぐらいか。
後醍醐天皇、徳川吉宗なども入るかもしれない。
独裁者がいないのは国家の危機的状況が少かったからだ。
外敵から攻められるという危機的状況の代わりに、
国がバラバラになり、それを統一する過程があった。
内戦の連続であり、指導者は独裁的権力を持った。
日本の独裁者はその延長にある。

独裁者という言葉には全て自分一人で決定しているイメージがある。
ローマ共和国が国家の危機的状況に対して、独裁官を任命し外敵に立ち向かうのは
国家の危機的状況では、命令を一元化し、情報をトップに集中させなばならないからだ。
そして、あらゆる状況に対して決定がすみやかに下される事が必要になる。
これにはトップに権力が集中しなければならない。

国家に危機的状況がなかった事は、権力をトップに集中する必要性をなくした。
そうすると、上級者は一個人に責任を集中するシステムを嫌う事になる。
権力を分散したがる。
下級者からの提案を採択するだけでよいシステムが好まれる。
極めて楽だからだ。
結果、多くの人間に権力が分担される事になり、
稟議制、輪番制、年功序列、全員一致などが日本の統治システムとして採用される。
平安時代から既にそんな風に動いていた。

そして、トップの座は権限としては弱くても名誉としては大きい。
だから、みんな成りたがり、少しずつ就任することになる。
これが、日本の歴史でのトップの座の在任期間が短い理由だ。

現在、日本の総理大臣は雑用を大量に押しつけられている。
議会への出席、マスコミからの批判もある。
うまみも少い。
労多くして、益少し。
直ぐにやめたくもなる。
それなのに、総理大臣に固執するのは使命感があるからだ。

危機の宰相は権力に固執することになる。
自分が実行しなくては危機を打開できないと考える。
その使命感が職を投げ出す事を許さない。
戦時における指揮官の任務放棄が認められないのと同じだ。
だから、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争と戦時の総理大臣の在任期間は長くなっている。
そのような使命感がなければ、総理大臣はやってられない。

小泉総理の長期在任は改革に対する使命感の現れだった。
しかし、使命感は長続きするものではない。
それがなくなれば、平時の総理に戻ることになる。
つまり、気力が落ちた時点で退任する事になる。
安倍、福田の辞任理由は気力が落ちたからだ。
使命感を持つ日本の総理大臣はほとんどいない。
小泉は本当に例外だろう。
だから、在任期間が短くなっている。
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