異をとなえん |

日本は国家ではない

2008.07.02 Wed

03:16:55

カレル・ヴァン・ウォルフレンの「日本/権力構造の謎」を、
出た当初に読んだ。
その本の大体の主張は私には納得できたものだった。
結論が正反対だった事を除けば。
ウォルフレンの最終的な結論は、
日本は国家ではない、あるいは西洋的な意味での国家ではないというものだった。
そして、だから日本は変革しなければならないと。

私は逆に考えている。
日本は国家ではないというのは、正しい。
しかし、だからこそ、日本は優れている、
あるいは、次世代のシステムのありかたであると思う。

ウォルフレンの国家ではないという主張は、
リーダーが責任を持ち国家的意思を体現しなければならないのに、
日本はそうではないことからきている。
そして、責任を誰が持つのかはっきりさせた国に変革する事を、
要求していた。

余談になるが、ウォルフレンの小泉批判はどうかと思った。
小泉元総理はシステムが持つ抵抗を、選挙によって打破したという点で、
誰よりも、ウォルフレンの主張を具現化していた。
小泉元総理の政治的主張がウォルフレンの反対だったからと言って、
それを無視するのはおかしかった。

国家というか、指導者が責任を持つ社会は、戦争のためにある。
戦争においては、個人がバラバラに動いていては勝てない。
全員が一つの方向に向いて行動しなければならない。
そのため個人は自分自身の意見ではなく、指導者の命令に従う必要がある。
自分の力を自発的に指導者に委ねている。
これは指導者を信頼して自分の意見を殺すことだ。
辛いだろうが、状況を考えて納得してやる。

また、戦争では指揮系統を明確にする必要がある。
緊急に発生した状況に直ちに対応しなければならない。
そのためには、一人のリーダーが必要であり、
複数の指導者などということはできない。
また、部下は命令がどうであれ、絶対に従う必要がある。
戦争という極限状態では議論や対話などをしている暇はない。

だが、逆に言うと戦争時でもなければ、
一人の絶対的リーダーなど必要はない。
基本は全員が集まって決めればいいのだ。
平和時に誰が自分の嫌な事を実行するのに、言われたままな事があろうか。

日本は基本的にはずっと平和な国だった。
近代以前、取るに足らないのを除けば、
外敵から攻撃されたのは元寇ぐらいだ。
その中で日本人は平和に慣れ、
上の言うことを黙って聞かなくなり、
上も対話と説得で人々を動かした。

だから、基本的に戦争は苦手である。
下部は上の言うことを素直に聞かないし、
上部は全体の利益のためには、下部の努力をムダにしても自分の意見を押しつけ、
最終的な責任を取る勇気がない。
第二次世界大戦での悲惨な敗戦はそれを物語っている。

しかし、戦後は核抑止力による平和が訪れた。
戦争から生まれた、責任を持ったリーダーによるシステムの社会になる必要はない。
誰が命の危険もないのに、唯唯諾諾と上の事を聞く必要があるだろう。

日本以外の国は戦争が常態であり、
力をリーダーに委ね、リーダーの言う事は黙って聞くのが、
社会のシステムになった。
これからはそんな必要はない。
日本のシステムこそが、これからの国のありかたなのだ。
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