異をとなえん |

欧米かぶれの人はなぜ日本に批判的か?

2008.03.11 Tue

02:41:42

欧米に長くいる人は、そこにかぶれてしまうような傾向がある。欧米の論者と同じような事を日本に向かってしゃべり出す。欧米の論者と同じように、日本を批判する。そういうのを聞くと、ちょっと気にさわるが、それよりも不思議なのは、なぜそろいもそろって欧米の意見に同化してしまうかだ。ずっと、不思議に感じていたのだが、その理由がわかってきた。

欧米に長くいる人たちは、その社会に受けいれられるために、その社会のイデオロギーを受けいれねばならない。または、その社会のイデオロギーに賛同したから欧米に長く滞在することになる。

ここでいうイデオロギーとは自由主義とか民主主義とか人種の平等とかいう理念だ。欧米の国家は、そのイデオロギーによって成立した国家だ。もちろん、欧米もイデオロギーより実際は人種とかが優先される社会という意見もあるだろう。しかし、そういう風に欧米を捉える日本人は、そもそも欧米社会に溶けこめない。

欧米の国家の紐帯がイデオロギーである以上、人種平等という理念はどんな人種でも国民として受け入れることと同義となる。アメリカみたいに移民で成り立っている国は、どの人種からの移民も平等に受け入れなければならない。戦前のアメリカの日系移民の排斥やオーストラリアの白豪主義が批判されるのは、そのイデオロギーを否定しているからだ。

しかし、日本はイデオロギーで成立している社会というよりは、血縁によって形成された国だ。日本の人種平等というのは国家自体が人種で形成されているから、帰化した人間、国民は人種に関わらず平等に扱うという話だ。その前に国民として受け入れるかどうかは、人種で差別するのは当然のこととなる。普遍的なイデオロギーを持っている人は批判するかもしれないが、国としての成立ちが違うとしかいいようがない。欧米社会に長期的に滞在する人は、その普遍的なイデオロギーを受けいれたために日本を批判する。

日本の理屈は、たいていの場合極限すれば子供の理屈であり、日本個別の利益を問題にして意見が表示される。それに対して、欧米の理屈は大人の理屈であって、個々の国の利益を超越した観点から意見が表示される。もちろん、その理屈はたいてい自国の利益にもなっているが、日本の理屈のように自分の利益だけしか考えていないような感じはない。

一番最初に述べたように、欧米に長く住んでいる人たちは個別の利益ではなく、普遍的な理念を持って考える。そうすると個別的な日本とは、どうしても相性が悪い。日本に対して批判的になる。しかも、建前としては人種平等で自由民主主義と、欧米と変わらないから批判しやすい。その結果、どうしても欧米に長く住む人、普遍的な立場に立って考える人は欧米の意見に同調してしまうこととなる。

例をあげてみよう。たとえば、古森義久氏がいる。下記のコラムに欧米中心的な感じを私は受け取る。

冷え始めた日米同盟

欧米の意見にならって強力なタカ派のような意見を述べている。中国の共産主義に非常に批判的である。日本もそれに積極的に同調するように求めている。つまり、民主主義と共産主義の戦いというふうに世界を捉えているから、中国が勝ちそうになったら日本は寝返って中国側につくという考えがないのだ。それに対して普通の日本人は、日本という国の体制を一番得になるように設定すればいいと考えている。共産主義とか民主主義の上位に日本という概念を置いている。このような感覚の違いが、欧米に長く住んでいる人間と日本本国に住んでいる人間の意識の差になっているのだと思う。まあ、私も「自由と民主主義の弧」という考えには賛成だが、それに命をかけているわけではない。
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