異をとなえん |

夏バテ

2012.08.17 Fri

21:19:51

夏バテがひどい。
暑いせいか頭が全然動かないし、眠くなる。
全然やる気がおこらない。
年を取ったからの気もする。

将棋では45歳ぐらいから老化が始まるのか全然勝てなくなるらしい。
私はそれ以上なのだから老化が始まっても当然か。

でもやはり何事かを為したい、と思う。

なんかこれだけでは、しょうもないので韓国ジョークを追加。
最初の文から段々と作られていくのを見てきたが、まとまっているのを見つけたので引用しておく。

引用開始

( ´∀`)< 私は日本人です
<丶`∀´> < 私は日本人です
( ´∀`)< 人の嫌がる事を進んでやります
<丶`∀´> < 人の嫌がる事を進んでやります
( ´∀`)< 人間は助け合って生きている
<丶`∀´> < 人間は助け合って生きている
( ´∀`)< イヌが大好きです
<丶`∀´> < イヌが大好きです
( ´∀`)< ちょっとライターを貸してください
<丶`∀´> < ちょっとライターを貸してください
( ´∀`)< かわいいお嬢さんですね、3才ぐらいですか?
<丶`∀´> < かわいいお嬢さんですね、3才ぐらいですか?
( ´∀`)< 息子は小さいんですよ
<丶`∀´> < 息子は小さいんですよ
( ´∀`)< 生存者を見逃すな
<丶`∀´> < 生存者を見逃すな
( ´∀`)< 10年ぶりですね。おかわりないですか?
<丶`∀´> < 10年ぶりですね。おかわりないですか?
引用終了

しかし、韓国のことを知らない人には全然意味がわからないジョークだな。
わからない人はわからないままでいましょう。
身近で知っている人がいないのに偏見を持って見るのはよくない。

韓国人ネタは2ちゃんねるで語られる、ある意味想像の産物だと思うので、現実としてそのまま受け取ってはいけない。
本気で韓国人を罵倒する人は危険に見える。
不況によって余裕がなくなっているからだろうけど、もう少し笑い飛ばせるような経済成長があればいいなと思う。

もっとも嫌韓をあおるような文章を書く私も同罪なわけだが、でも韓国人ネタはとてつもなく面白いんだよな。
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「十字軍物語3」感想

2012.06.22 Fri

20:19:08

塩野七生氏の十字軍物語3を読む。
十字軍物語〈3〉

リチャード獅子心王の評価が面白い。
塩野さんの物語の中のリチャード王は実にかっこいい。
小説の中で現れたらとても魅力的なキャラクターになるような気がする。
宗教的な情熱、義を見て為さざることはなく、誰からも好かれる人気、敵であっても許す包容力、不敗の戦上手、超人的な戦闘力、と羅列すると、どう見てもチートキャラだ。
これが十字軍と言うキリスト教世界の中では、もっとも重要であろう軍隊の一員として行動するのだから、西洋で人気があるのもわかるような気がする。
しかし、私はそれほど凄い人物と思っていなかった。
私がリチャード王の史実を知ったのは、イギリスの歴史からで、そこではあまり高い評価を得ていなかったと思う。
どちらかというと、フランス王との戦いを放り出して、十字軍に従事している人物というイメージだ。
フランスの領土の半分を支配していたイギリスだが、それをフランス王に段々と取り返されていく。
最終的に敗北を確定したのはジョン失地王となるのだが、それはリチャード王の次の王だ。
だからリチャード王はフランスとの戦いに負けつつある状況で、それを挽回できなかった王となる。

イギリスの歴史的には正しいのかもしれないが、それは歴史としての理解だ。
つまり、民衆伝説というか、庶民の間に膾炙される世界ではリチャード王は英雄なのだろう。
その英雄像を踏まえた上で、否定的な解釈が出ている。
日本でいうところの水戸黄門暗君説みたいなものだ。
水戸黄門の物語を知っている人に対して、先入観を覆すための説として意味はあっても、先入観がない人に対しては意味がなかったりする。
リチャード王に対して英雄としてのイメージがなかった私は、否定的見解をそのまま受け取っていたのだが、それは間違った理解なのかもしれない。

本の中でもp250にランシマンという歴史家がリチャード王を否定的に評価しているのを紹介している部分がある。
その評価は、息子としても、夫としても、王としても最悪だったが、兵士としては勇敢で見事な戦士というものだ。
こういう否定的評価を私はそのまま受け取っていた。

歴史を知る上でもっとも重要なことは、その時代の気持ちを感じ取ることだと思う。
後知恵で歴史を見るとバカばっかりに見える。
全然未来を見る目がない人間ばかりなのだ。
けれども実際その時現場に居合わせたのならば、人はあまり賢く行動できない。
そして賢く行動したいと思っていないのかもしれない。
自分の情熱で望むべき未来を切り開こうと思っている人間がほとんどだろう。
そういう人間が失敗すると愚か者に見えるだけだ。
けれどもその情熱がどこから来たのかを理解することが歴史を知る最大の楽しみだと思う。

リチャード獅子心王は魅力的な人物であり、その時代の人々の心に訴えかける力を持っていた。
それを知っただけでも、この本には十分価値があった。

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「十字軍物語1」・「十字軍物語2」感想
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「専門家の予測はサルにも劣る」感想

2012.05.23 Wed

20:30:17

ダン・ガードナーの「専門家の予測はサルにも劣る」を見る。

面白い。

いい悪口というのは、なんかわからんけれど本当に書いた人が賢く見える。
この本も、専門家が物事の未来を予測するときになぜ外しやすいかを批判していて説得力がありすぎる。
納得してしまう。

トインビーの「歴史の研究」がなぜダメなのかの言及がある。
専門家は自分の理論に従ってバイアスをかけて物事を見るからという。
ジフという人の今回の経済危機に対する警告がなぜ当たったかについての言及があり、そしてなぜ当たらなかったかについての言及がある。
同じことを言い続けていれば、たいていはいつかは当たるからだ。
予測の実現時期についての言及がなければ、予測はあまり役に立たない。

その他に日本経済が1990年ごろ好調で、アメリカを抜くという予測が広まっていたという話がある。
その後の現実を見ると全然当たっていないのだが、予測が広く信じられたのは未来が過去の変化の延長線にあるという仮定が間違っていることを説得力を持って語る。

人間の予測が直前に聞いた数値に影響されるという話も面白い。
ガンジーが6歳で死んだのは本当かどうかをたずねた後ガンジーが何歳で死んだかを聞くのと、ガンジーがずっと歳を取って死んだのは本当かと聞いて、年齢をたずねるのとでは答える数値が変わってくる。
人間は全然関係ない数値がわかっていても影響されるのだ。
前にコンピュータの思考法と人間の思考法の違いについて考えたけれど、人間は直ぐに答えを出すために、直感的に頭に浮んだ考えを試し、試行錯誤で予測していく。
だから、直前で聞いた数値に思考が影響を受ける。

私もなんというか歴史の法則の探求とか、未来予測をいろいろやっている。
たいていは間違っているわけだ。
日本経済が復活すると言い続けているわけだが、全然当たらない。
理由は幾つかあるだろうが、結局は時期が推定できないからだ。
でも時期の推測は難しい。
当てようとするならば、たぶん理屈をどうこうよりも、アンテナを広く張って、初期の兆候を見つけた方が正しい。
もっとも、私は正確な未来予測よりも、理論を考える方が面白いのだがら失敗するのが当然なのかもしれない。

未来予測の無謀さと、にも関わらず実行する場合の注意点を教えてくれる点で役に立つ本だ。

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「十字軍物語1」・「十字軍物語2」感想

2011.10.12 Wed

21:36:23

塩野七生さんの「十字軍物語1」と「十字軍物語2」を読む。


若干読みごたえが足りない気がする。
特に2の方は作者も文章をぶつ切りにしていて、のりが弱い。
1の方はキリスト教側が優勢で作者がヨーロッパ勢力を応援しているということもあって、気分よく書けている。

1は第一次十字軍の話で、キリスト教側が成功してイエルサレムを占領し、十字軍王国を築くまでである。
2はイスラム教側の反撃が始まり、最終的にほぼ全ての領土が奪還されるまでを描いている。
第二次十字軍はその中の一挿話という扱いだ。

全体的になんというか、十字軍という宗教的軍事行動に対して理解が弱いというが、普通人には狂信者のことをわからないが作者もわかっていない。
中世の宗教心の篤い人たちの考えは現代人の私には全然理解できないけれど、作者がばさっと断定している人物像はどうもなんか違う気がしてならない。
だから、登場人物が何を考えているか、全然伝わってこない。
臨場感がないのだ。
キリスト教の信者で、十字軍についてある程度知っている人が、別方向の見方に感心するとかはあっても、十字軍自体の知識がない人には、こういう歴史もあったよというだけに見える。

「ローマ亡き後の地中海世界」には新鮮な驚きがあった。


キリスト教側とイスラム教側が互いに海賊行為を繰り返していること。
侵略されたり、侵略したりが、当然のように行なわれている。
そして、イタリアにある多くの町が海賊行為から身を守るために山の高い所に作られていること。
日本人には理解しがたい、戦闘行為が日常の社会の厳しさを感じさせた。
十字軍はその中のキリスト教とイスラム教の接触の話の部分であり、話が大きすぎるから別分けにしたと感じ、続編として期待していた。
ただ、それは違ったのかもしれない。
海賊行為はある意味日常的な経済活動だ。
現代人も食べるためには仕方がなく実行する行為に見える。
それに対して十字軍は違う。
宗教心の弱い人間には狂気の沙汰にしか見えない。
つまり話を別にする理由は大きくあったのだ。
そんなわけで酷評であるが失敗作に見える。
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世の中にはバカが多い

2011.09.17 Sat

21:12:08

世の中にはバカが多い。
自分の意見と違うからではなくて、はしにもぼうにもかからない、そんな意見をよく見かける。
誰がどう考えてもおかしい、そんなトンデモ理論なのに、そんな人の本が山のように出ている。
むしろ、トンデモ理論の人ほど、本を量産していると言うべきだろうか。
本をたくさん書けるということはそれなりに売れているからで、買っている人もある程度いることになる。
世の中の読者のレベルに対して疑問を持ってしまう。

そして、極めつけにおかしいのは、そのバカの言うことが正しかったりすることだ。
本当に世の中、間違ってる。



まあ、そんな経験を持つことはまれであり、ある程度体験すると用心深くなるので、どんなにトンデモな理論に見えても簡単には否定しない。
それでも、幾ら考えてもおかしい意見と思えるものもあり、なぜこんな意見が広まるのだろうがと疑問を感じてしまう。

なお、このブログで反対意見を書いている場合は、元々の意見を真っ当だと認めているからだったりする。
本当にトンデモと考えた場合は文章自体を読めなくなってしまうので、反対意見を述べることもできない。

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ネットの情報の真実性

2010.12.28 Tue

03:28:59

中国のツイッターユーザーの講演の話を読む。
Togetter - 「101209 安替@mranti 「帰国前報告講演会:日本メディアの中国報道における構造的欠陥」」
面白い。

いろいろと感じる所はあるのだが、最後の部分で日本のメディアがなぜネットの情報を報道に生かせない理由について、本質的な疑問が提示されていた。
それについての議論が深まっていないように見えたので、自分の意見を述べておきたい。

引用開始

・ tsuda
会場からは「記者クラブの問題じゃないよ!ネットには怪しい情報もたくさんあってそれをどう検証するかって話だよ」とインタラプトする(恐らく)伝統メディアの人が。
tsuda
2010-12-09 20:14:47
引用終了

日本のメディアがなぜ中国上海の献花の話を報道できないかが、今回の講演の一つのテーマになっている。
日本のメディアが報道できないのは、まず何よりも検証できるかどうかが、わからないからである。

ツイッターにおいて、上海の献花事件の情報が幾ら山のようにあったとしても、それが本当がどうかはわからない。
中国語のツイッターで、こういう情報があったのは確かだとしても、それは報道の価値があるかどうかは難しい。
実際に献花があったかどうかの確認があって、始めて報道の価値がある情報だと言えるだろう。
それでは、どうやって献花があったかどうか確認できるのか。
行って見ればわかるだろうが、それは簡単ではない。
実際にその場所に行けるかどうかという問題もあるし、他の報道とのかねあいもある。
普通は確認が取れるデータ元で、なんとかこなすわけだ。
この場合、確認が取れるデータ元は中国の官製メディアになる。
中国の官製メディアが、献花事件を報じてくれれば、とにかくあったかどうかは確認できなくとも、中国のメディアが報道したことは事実であり、それは報道する価値がある事件だ。

それに対して、ネットの情報はそういう部分が弱い。
献花という事実の匿名の情報に対して、本当がどうかどうしたら記者にわかるのだろう。
山のように同じ記述があったとしても、全部匿名なら全部デマかもしれない。

ネットのユーザーと知り合いになって、名前を知ればいいかもしれない。
そうすれば、実際の事実を確認できる。
しかし、本当にそんなにうまくいくか。
まず、単なる一般の人間の知り合いだったら、その人がデマを飛ばしていないと、どうやって確認できるのか。
報道した後、あれはデマだったと言われても困るわけだ。

次に情報のネタ元が信頼できる人間であることが、はっきりしたとしよう。
でも、その場合信頼できる人間は当然そんなに多くはない。
その人間が、情報の大元にアクセスが必ずできるかと言うと、そうではないだろう。

メディアは出る情報をそのまま出せばいい、情報の真贋はユーザーがするなどと言う意見もあるが、それは信頼できる情報がある場合に言える意見だ。
日本のメディアの報道は意見はともかくとして、事実の報道はそれほど間違っていないと人々は信じている。
その固い土台の上に立っているからこそ、各種のデマが飛び交う中、人々は真実を把握したと思うのだ。
全ての情報に何の信頼性もなければ、ほとんど全ての事実は藪の中だ。

韓国の新聞が2ちゃんねるあたりからの情報を書いて記事にしている。
どう見ても、おかしいと思うわけだ。
匿名の何を代表しているかもわからない人間の意見など、何の意味があるのだろうか。
ネットユーザーの代表的意見という考え方があっても、それだったら実際の人間にインタビューして、確認を取ればいい。
それぐらいの手間を省いては仕方がないだろう。

今回の上海の献花事件にしても、ツイッター情報を元にして、現場に取材にいけばいいと確かに言える。
でも、それだけの労力がなければ、報道できない。
日本のメディアは、ネットの情報に対する感度が鈍そうだし、官製情報に頼りすぎているようにも見える。
ただ、だからと言って、ネットの情報をそのまま使えというような意見だとしたら、それは問題である。
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表現をする意味

2010.03.08 Mon

03:05:08

どうも書けないな。
書くことが喜びにならなくては書けないのだが、どうも喜びになっていない。
それが書けない原因だ。
どうしたら喜びにすることができるのか。
一つはそれを喜んでくれる人ができることだと思っている。
ただ、喜んでもらうと逆にプレッシャーになってしまって書けなくなる。
プレッシャーに弱い性格だ。
もう一つは気楽に書くことだろうか。
この文章はそんなに時間がかかっていない。
頭に浮んでいることをそのまま書いているからだ。
この流れをそのまま続けていけば、書けるはずということになる。
つまり、書くことを事前に決めておくのではなく、流れのままに書いておいて、後で編集する方法だな。
それはそれで問題はありそうだが、そうするしかないような気もする。

逆に書くことをはっきり決めて書く方法もいいのではないかという気がする。
たとえば、「武士の窮乏化とグローバリゼーション」の記事も続きを書きたいのだが、どうも書けなくなってしまう。
続きを書こうとすると、どうしても筆が止まってしまう。
不思議なものだ。
やはり文章を良くしたいとかの見栄が悪影響を及ぼすのだろうか?
成果物を完全にすることは又後にして、一応完成形を目指すことが必要ではないかと思っている。

こういう文章を書くようになると、小説やマンガなどを志望している人たちへのアドバイスとして、「まず完成させよ」というのがあるが、それが胸に響く。
私はまだ一つもきちんとした形で文章を作れていない気がする。
何がなんでも一つの文章として完成させたい。
そういう事を考えると、まず武士の窮乏化とグローバリゼーションを完成させたい。
その他にも主張しておきたいことはいろいろとある。
日本の国債発行で、どういう場合に本当に問題になるのか。
国債発行に問題がないという意見でもなく、問題があるという意見でもない、別の切口からの意見をまとめておきたい。
これはこれで意味があると思うのだが、ちょっと本筋から外れている。
やはり本筋を作ることが一番重要なはずだ。
本筋というのは自分にとって発表しておくのが大事な優先度みたいな意味だ。

けれども、本筋をきちんと書こうとすると、全然進まない。
記事の投稿がごそっと休みになる。
かと言って、毎日の投稿を休まないように努力すると、簡単なネタで潰してしまって、大きな流れの記事が書けない。
結局、どちらにしても、大きな流れの記事は書けないわけだ。

子供のころは集中力がある方だったのだが、年を取って散慢になってしまった。
かと言って、特効薬があるわけがない。
結局は日々の積み重ねにしかない。

そうすると最初に戻って、好きになるしかないのだが、自分は本当に文章を書くことが好きなのだろうか。
心の奥底を眺めてみると、少なくとも誰かに認められたい気持ちはある。
自分の生きてきた証しをこの世に残したい。
まだ、誰も語っていない思想を確立したい。
苦しまぎれにこんなことを考えた。
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